


米国の女性シンガー・ソングライター、ローラ・ブラニガンが脳動脈瘤により死去。47歳だった。どうやら、彼女の父親と父方の祖父も、同じ原因で亡くなっているらしい。90年代は癌を患った夫の看病のため、活動のペースを落としたものの、本格的な復帰に向けて期待が高まっていた時期だった。「グロリア」「哀しみのソリテアー」「セルフ・コントロール」など、あのパワフルな声で歌われる数々のヒット曲は、死後もファンを魅了している。
サニーデイ・サービスの曽我部恵一、香川県に生まれる。デビュー当時は「ポスト・フリッパーズ・ギター」と称されたが、メジャー1st『若者たち』以降アコースティック中心の楽曲に。サニーデイの作詞・作曲を担当するだけではなく、「今日を生きよう」などのジャケット・イラストなども手がける(サインを頼むとイラストもついてくるとか)。さまざまな音楽に精通していた曽我部は、文学的な詞で埋め尽くしたアルバムをハイペースに発表していたが、'00年12月8日に突然の解散宣言。6日後のライヴの後に正式解散となる。
兄弟ユニット・キリンジが「双子座グラフィティ」で、メジャーデビュー。ポップだが一筋縄ではいかない楽曲と、堀込泰之(弟)のやわらかなヴォーカルが心地よく、音楽関係者から高い評価を受けた。そもそも'96年インディーズ・レーベルから「キリンジ」を発表していた彼ら。タワレコのインディーズ・チャートで「キリンジ」は見事1位を獲得し、'98年レコード会社各社の争奪戦をへて、メジャーデビューに至ったのであった。ちなみに、牡牛座である弟・泰行が作詞したのが「双子座〜」、双子座の兄・高樹が作曲したのが2ndシングル「牡牛座ラプソディ」。
1977年、声優の千葉紗子が生まれる。南青山少女歌劇団や飯田 未、広橋佳以とのユニット・FEELでの活動、ミュージカル版『サクラ大戦』での主役を経て、1998年アニメ版『彼氏彼女の事情』(津田雅美原作)にて本格的に声優としてデビュー。2001年にはアニメ版『Dr.リンにきいてみて!』(あらいきよこ原作)で初主演を果たす。現在では年間10本以上の作品に携わり、アニメ界には欠かせない声優の1人だ。

米国でシングル「ヘイ・ジュード」発売(英国では30日、日本では9月14日)。英国では2週連続、米国では9週連続の1位を記録、日本でも最高5位を記録した。また、この日のレコーディングは、EMIの第2スタジオにリンゴがいなかったこともあって、これまで行なわれていなかった作業が中心となり、午後4時から5時までケン・スコットによって「レボリューション9」のステレオ・マスターから調整を入れながらコピーしたモノ・マスターが作られた。続く27日にもケン・スコットは「オブ・ラ・ディ、オブ・ラ・ダ」「ブラックバード」「ノット・ギルティ」のモノ、「レボリューション9」のステレオ・テープのコピーを作っている。