

60年代にゼムでデビュー、頑固なまでに自身の道を追求するシンガー、ヴァン・モリソンが生まれる。故郷はアイルランドのベルファスト。父親がジャズやブルースのレコードを集めており、母親がシンガーだったとのことで、幼少期から音楽に親しんでいたそうだ。影響を受けたのはレイ・チャールズやソロモン・バークなど。意思の強さは子どもの頃からなのか、ミュージシャンになることを決意した彼は15歳で家を出たんだとか。その歌声は若い頃から貫禄に満ちている。
スコーピオンズのギタリストであるルドルフ・シェンカーが、ドイツに生まれる。ご存知のように、弟はマイケル・シェンカー。初期のスコーピオンズでは弟とともに活動、この頃からリズム・ギタリストとしてのポジションを確立していたようである。一部の楽曲を除いてほとんどソロは取らないが、その“剃刀のような”と称されるリフ・ワークは実に素晴らしい。ナニかと問題の多い弟とは異なり、年齢を重ねても若々しさを失わない精悍な人物である。
イギリスのワイト島で開催されたロック・フェスティバルの第2回。ボブ・ディランがザ・バンドをバックに「ライク・ア・ローリング・ストーン」を演奏するなどのパフォーマンスを行ない、約20万人が集まった客席にはビートルズやストーンズらの姿も見られた。また翌年の第3回は、4日間で60万人を動員。しかし、時代の空気“愛と平和”を勘違いした観客が暴徒と化し、クリス・クリストファーソンが演奏途中に帰ってしまうハプニングも。映画『ワイト島1970』には、このイベントの模様が生々しく記録されている。



ニューヨークの連邦地裁でリチャード・オーエン判事から、「マイ・スウィート・ロード」がシフォンズの63年のNo.1ヒット曲「ヒーズ・ソー・ファイン」の盗作だとして有罪判決を受ける。判決内容では「作曲するにあたって、自分のイメージに肉付けをする音の組み合わせを意識下であれこれと探っているうちに結果的に盗作となった。故意ではなかった」とジョージに対して同情的であった。ジョージはそれに対して「答えはアルバム『33 1/3』にある」と発言した。