

ホワイトスネイクなどの活動で知られるギタリスト、ミッキー・ムーディーが英国で生まれる。最初のバンドを組んだのは1964年だそうで、67年にロンドンに移り、本格的にミュージシャンとしての活動をはじめた。ジューシー・ルーシーでその名を広め、ホワイトスネイク加入後はその見事なスライド・ギターで人気を得ていく。ライヴでの「ラヴ・ハンター」で聴かせるソロは彼の見せ場で、その様子は白蛇の『ライヴ…イン・ザ・ハート・オブ・ザ・シティ』で堪能できる。
シンガー・ソングライターのJYONGRIが大阪府に生まれる。幼い頃からインターナショナル・スクールに通い、後には米バークレー音楽院のサマープログラムにアジア人で1人だけ参加するなど、国際感覚に長けている。早稲田大学に籍を置く才女でもあり、4歳からはじめたというピアノを武器に自ら作曲。2006年にシングル「Possession」でデビューを飾った。あどけないルックスとは裏腹な、パワフルな歌声を聴かせて瞬く間に人気者に。
福岡県に父・若水、母・フジの長男として生誕。命名・陽水(あきみ)。兄弟は他に姉1人と妹1人。父・若水は歯科医であった。ビートルズをラジオで知り、1969年CBSソニーからアンドレ・カンドレの名前で「カンドレ・マンドレ」でデビュー。その後、72年には移籍とともに名前を現「井上陽水」に改め、「傘がない」「夢の中へ」と大ヒットを飛ばし、以降、音楽シーンの第一線に立ち続けている。
武道館で行なわれた松田聖子の20周年コンサートツアー「SEIKO MATSUDA CONCERT TOUR」最終日に、愛娘SAYAKA(神田沙也加)が飛び入りしてダンスを披露。また、同年11月発売のベスト盤に収録された「Twinkle Star,Shining Star」では、初の母子デュエットも実現した。CMや海外の映画でも活躍中のSAYAKAは、'86年生まれ。趣味はカラオケ&ショッピングで、特技は丸暗記。尊敬する人は「母」だとか。

アニメ化はもちろん、実写版映画/TVドラマも制作され大ヒット作となった漫画『ハチミツとクローバー』の作者、羽海野チカが東京都に生まれる。“ハチクロ”は美術大学を舞台にした青春群像劇。2000年から2006年にかけて宝島社「CUTiE Comic」、集英社「YOUNG YOU」、集英社「コーラス」と掲載誌を変えながら連載され、男女問わず若者の共感を得た。世界7ヶ国で出版され、2008年には台湾でもTVドラマが制作された。

ニューヨークのマジソン・スクエア・ガーデンにてジョンとヨーコは『ワン・トゥ・ワン・コンサート』を開催。このコンサートはウィローブルックの子供たちを救うために行なわれたチャリティ・コンサートだった。2万5千人の観客を集めたこのコンサートでは、ジョンとヨーコはバック・バンドにエレファンツ・メモリーを従え、「マザー」「イマジン」「カム・トゥゲザー」など11曲を演奏した。この日のコンサートは86年にアルバム『ライヴ・イン・ニューヨーク・シティ』として発売(英国では2月24日、米国では1月24日、日本では3月1日)。のちに、完全収録されたビデオも発売された。