

ピンクレディーのケイとしてお馴染み、増田惠子が静岡県に生まれる。幼い頃から歌手を夢見ていた彼女は、中学生の時に運命の相棒、未唯に出会っている。高校に入学してからは本格的に歌手を目指し、ヤマハ主催のオーディションに合格、未唯とともにヤマハ音楽スクールに通いはじめた。その後、あの『スター誕生!』を勝ち抜き、デビュー。以降の活躍は説明不要だろう。グループ解散後は女優業からバラエティ番組まで、活躍の場を広げている。
1977年公開の映画『人間の証明』の同名主題歌をヒットさせたことで知られるジョー山中が、横浜に生まれる。黒人と日本人のハーフであり、そのヴォーカルの力量は日本のロック・シーンでは群を抜いていた。GSの491でデビューを飾り、フラワー・トラベリン・バンドでは世界を股にかけて活躍、レゲエにも傾倒するなど、その音楽的探究心は多岐に渡る。一度聴いたら忘れられない、個性的な声が魅力だ。抜群の存在感を活かして俳優としても活躍。
同年7月21日より来日していたベンチャーズが帰国。この年の日本公演ではのべ17万人を動員し、テレビでのエレキ・コンテストも人気爆発、まさに日本でのエレキ・ブームの頂点となった。前年(64年)大ブームを巻き起こしたビートルズを思わせる人気ぶりだが、彼らよりもかなり年上であるベンチャーズの面々。コンサートの楽しまれ方も少々異なっており、ファンたちは、来日直前に発売されたアルバムで予習し、コンサートで指使いをじっくり見るという楽しみ方をしていたようだ。
男女ユニット、エゴ・ラッピンの『色彩のブルース』が発売。大阪インディーズ界ではすでにブレイクしていた彼らであったが、同曲がJ-WAVEでヘヴィ・ローテーション状態となり、東京でも話題沸騰。青江三奈を彷彿とさせる圧倒的な歌唱力と、ジャズやソウル、歌謡曲などをミックスした楽曲が注目を集める。その後、同曲は中田秀夫監督映画『サディスティック&マゾヒスティック』の主題歌にも抜擢。東京に活動の拠点を移した彼らは2001年5月にレーベルを立ち上げ、ついにメジャー・デビューを果たす。



ジョージと仕事で出会ったメキシコ系のアメリカ人女性オリヴィア・トリニアード・アリアスとの間に息子ダニーが生まれて4週間後、ふたりは自宅近くにあるテムズのヘンリー・オン・テームズ登記所で婚姻届を提出。式はオリヴィアの両親が立会いのもとで進められた。その後、ふたりはチュニジアへ新婚旅行に出かけた。ちなみにこの結婚は、新聞社には9月8日まで発表されることがなかった。