

ローリング・ストーンズが結成40周年を記念するワールド・ツアーを開始。初日となったのは米ボストンのフリート・センターだった。ツアー中には新曲入りのベスト盤『フォーティー・リックス』を発売、平均年齢60歳目前のバンドとは思えない規模の大きなツアーで、衰え知らずのパフォーマンスを世界中で披露した。日本には翌2003年3月に上陸。幻に終わった73年の“初来日公演”で使用するはずだった、日本武道館のステージに立ち、大きな話題となった。
アルバート・キング、B.B.キングと並ぶブルース三大キングのひとり、フレディ・キングが米国テキサスに生まれる。15歳の時、母親の再婚を機に2人の叔父が住むシカゴへと移り住み、16歳の頃にはクラブでの演奏をはじめていた。「ハイダウェイ」など、シカゴ・ブルースの名曲を多数残し、エリック・クラプトンなどの後続に多大なる影響を与える。ピッキングの強さと太いギター・サウンドは、ロック・ギタリストが好んで彼の曲をカヴァーするのも納得である。
歴史的カリスマ・ロックンロール・バンド「キャロル」のジョニー大倉が生まれる。バンド結成時、矢沢永吉から誘いを受けたジョニーは、しばらく連絡が途絶えた後、いくつも切り傷の痕が残る顔で矢沢の前に現れたという。原因は「自殺未遂のための入院」。それを聞いた矢沢は「こいつロックン・ロールのわかるヤツだな」と思ったらしい。ちなみに、キャロルのトレード・マークであるリーゼントに革ジャンという出で立ちは、当時メンバーがイカれていたビートルズのハンブルグ時代を真似たもので、「やろう」と言い出したのはジョニーだった。

スガ シカオが1stアルバム『Clover』を発売。デビュー・シングル「ヒットチャートをかけぬけろ」、名曲「黄金の月」、元バービーボーイズの杏子との超エッチなデュエット曲「イジメテミタイ」など、ラヴ・ソングからやや変態チックな曲までを含むこのアルバム。その卓越した言葉のセンスと、ハスキーでセクシーな歌いっぷりで「天才新人」の名を欲しいままにする。が、新人といっても当時のスガはすでに31歳。広告代理店務めなどを経た歌手活動は、遅咲きながらも前途洋々としたものとなったのであった。
国民的アニメとして世代を超えて愛され続けている、藤子・F・不二雄の同名漫画に登場する架空のネコ型ロボット「ドラえもん」が誕生する。性別は雄。普段は野比のび太の家に居候しており、のび太の部屋の押入れが寝床になっている。苦手なものはネズミ。好物はドラ焼き。おなかについた“4次元ポケット”から出る“ひみつ道具”でのび太を助けている。親類として、子守用ネコ型ロボットのサポートのために特注で作られた、妹ロボットのドラミがいる。
同い年で同じ名を持つ2人の友情と恋を描いた、矢沢あいの大人気コミック「NANA」が大谷健太郎監督によって映画化。主演は中島美嘉と宮崎あおい、出演に成宮寛貴や平岡祐太など若手人気俳優を起用し大ヒットを記録した。続編の『NANA2』では宮崎あおいが降板したため、代役として市川由衣が出演している。
EMI第2スタジオでセッションが行なわれたこの日、リンゴがビートルズに復帰。マル・エヴァンズはリンゴのドラム・セットに花をいっぱい飾りつけて迎えたものの、この日、リンゴの出番はなかった。また、ジョージ・マーティンは10月1日までの長期休暇をとってしまい、不在であった。午後7時からのセッションでは、3M社製の8トラック・レコーダーが使用されることになり、まずジョージが「ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス」の4トラック・テープをコピーした8トラック用のテープを製作。ちなみにこの8トラック・レコーダーは専門技術者のフランシス・トンプソンのところにあったもの。そのことを聞きつけたビートルズは勝手に持ち出すことに決め、テクニカル・エンジニアのデイヴ・ハリスがスタジオまで運んできた。このことで、デイヴ・ハリスは危うくクビになるところであった。