

キング・クリムゾンの総帥、ロバート・フリップが英国ドーセットに生まれる。学生時代にはロックンロールはもちろんジャズも好み、クラシック・ギターまでも習得したという。クリムゾンで颯爽と登場したイメージがあるが、前身のジャイルズ、ジャイルズ&フリップはほとんど売れなかったそうだ。“偏屈”、“独裁者”というイメージが付きまとう彼だが、それも明確なサウンド・コンセプトがあるからこそ。それはクリムゾンの歴史を見れば明らかだ。
ジャズ・シーンで名を馳せるドラマー、ビリー・コブハムがパナマに誕生。3歳の時に米ニューヨークへ移住、8歳で初めてのステージを踏んでいる。その後、真剣にドラムを会得しようと考えた彼は、音楽学校へ進学。軍隊のバンドでも腕を磨き、60年代後半以降、マイルス・デイヴィスらと共演を重ねた。彼のルーツはパナマの従兄妹が叩くスティール・ドラムやコンガだったとのことで、幼い頃はそれに合わせてシンバルを叩いていたそうだ。
ジャネット・ジャクソン、インディアナ州に生まれる。7歳のときにファミリーの一員として舞台に立ち、16歳でレコード・デビュー。'96年には兄マイケルを上回る史上最高の約85億6000万円でレコード会社と契約を結んだことも話題に。ヒットした「ダズント・リアリー・マター」は、日本では島谷ひとみが「パピヨン〜papillon〜」の曲名でカバー。♪マラミン タマラッ ダンニャバード〜などユニークな歌詞がジャネットのお気に召さなかったらしく、一時はお蔵入りになりかけたとか。
ビーチ・ボーイズの傑作と名高い『ペット・サウンズ』が発売。しかし、それまでの陽気なサーフィン・ミュージックとは正反対の内省的な内容に、ファンはがっかり。評論家は絶賛するも、あまり売れなかった。そもそも、ビートルズの『ラバー・ソウル』にショックを受けたブライアン・ウィルソンが、ほぼ1人で作ったこの作品。はじめメンバーも絶句し、「犬にでも聴かせるのか!」とマイク・ラヴが言い捨てたのが、このタイトルの由来だとか(その後マイクは同アルバムを「最も好き」といっているらしい)。
玉置浩二率いる安全地帯のギタリスト武沢豊、北海道旭川にて生まれる。10歳の時、ビートルズ「ヘイ・ジュード」を聴いて音楽に目覚め、翌年から「東京音楽アカデミー」の通信講座でギターを本格的に始める。中学2年の時に玉置浩二に出会い、翌年、安全地帯を結成(武沢・玉置以外はデビュー時とは別メンバー)。'83年には、「ワインレッドの心」が大ヒット。武道館公演も果たし、注目を集めるバンドに成長する。'88年の安全地帯の活動休止後は、ギタリストやプロデューサーとして活躍している。

映画監督・溝口健二が東京都に生まれる。1925年に恋人に背中を剃刀で斬られるという体験をして以来、女性をテーマにした作品に力を入れる。1952年の『西鶴一代女』はあまりヒットしなかったが、ヴェネツィア国際映画祭で国際賞を得たため、流れが変わる。翌年『雨月物語』で銀獅子賞、またその翌年には森鴎外の小説を映画化した『山椒大夫』で同じく銀獅子賞と、3年連続のヴェネツィア国際映画祭入賞という快挙を達成する。かのゴダールも好きな監督に彼の名を挙げるほど、世界中の映画作家に多大な影響を与えた巨匠。
ポール、2枚目のソロ・アルバム『マッカートニーII』英国で発売(米国では26日、日本では6月5日)。英国では2週連続1位、米国では5週連続3位を記録。日本での最高位は8位であった。すべての楽器をポールが手がけ、自宅スタジオにて録音された。ニューウェイヴやテクノの香りが漂い、シンプルかつ、いい意味でチープな仕上がりとなっているこのアルバム。もともとは気分転換のような感覚で作られたもので、ポール自身は当初、発表しようとは考えていなかったようだ。