

タータン・チェックの衣装に身を包み、70年代に旋風を巻き起こした男性アイドル・グループ、ベイ・シティ・ローラーズの「サタデイ・ナイト」が全米シングル・チャートで1位を記録した。“S-a-t-u-r-d-a-y night!”というリフレインが実にキャッチーで、まさに土曜の夜に盛り上がるは持って来いの楽しい1曲だ。数ある彼らのヒット曲の中でも特に人気の高いナンバーで、後年になっても多くの人々に親しまれている。

年末恒例の紅白歌合戦、第1回が放送される。今では信じられないが、最初の紅白はNHKのラジオ第1で夜8時から50分間だけの放送だった。男女各7組の歌手が出演し、東海林太郎、藤山一郎らの白組が勝利を飾る。紅白をテレビで観られるようになったのは53年から。63年の第14回では81.4%という驚異的な視聴率を記録した。歌詞を忘れた北島三郎(98年)、コンドーム型衣装に身を包んで登場したモックン(92年)、小林〈サッチン〉幸子のホタル電飾不点灯(92年)……と、毎年ネタは尽きることなし。
かつて、女子の人気を一手に集めていた吉田栄作、神奈川県に生まれる。'88年タカキューナイスガイ・コンテスト・イン・ジャパンでグランプリを獲得。その後、数々のトレンディドラマで女子のハートをメロメロにする。また、歌手としても「心の旅」などのヒット曲を持ち、公的な芸能活動とは関係なく結成されたバンド「¥100 PARKING」でライヴ活動も行なったことも。なんと、このライヴではあの栄作が、ものすごい間近で見られるらしい。

“ギバちゃん”の愛称で親しまれる柳葉敏郎が秋田県で生まれる。路上パフォーマンスを繰り広げ話題を呼んだ一世風靡セピアでの活躍を経て、86年には『南へ走れ 海の道を』で本格的にスクリーン・デビュー、日本アカデミー新人賞を受賞する。以後、TV、映画、CMなどの幅広い分野で活躍中だ。多くのヒット作を持つが、一番の当たり役といえば『踊る大捜査線』シリーズの室井慎次。2005年にはスピンオフとして映画『容疑者 室井慎次』も制作されている。
1926年1月3日、ロンドンに生まれる。15歳の頃にダンス・バンドを結成。測量士の事務所に就職した後、海軍航空隊へ入隊。その後、ギルドホール音楽学校で作曲、指揮法、オーケストレーションやオーボエの演奏を学び、1951年にEMIに入社。パーロフォン・レーベルの担当となり、クラシックやジャズなどの録音を手がけ、55年にチーフ・プロデューサーになる。それからは多くのコメディ・レコードを制作し、1962年にビートルズと出会う。70年には自らのスタジオも設立。ビートルズ解散後も多くのアーティストを手がけ、98年に現役を退いた。