

ローリング・ストーンズでの活動で知られるギタリストのミック・テイラーが、英国に生まれる。ギターをはじめたのは9歳の時で、ティーンエイジャーになる頃にはバンドを結成していた。そんな彼がプロとしてのキャリアをスタートさせたのは16歳の時。エリック・クラプトンがプレイできなくなったジョン・メイオール&ザ・ブルース・ブレイカーズのステージに飛び入りし、クラプトンのギターを見事に再現したという。天才は早熟なのですね。
“教授”のニックネームでお馴染み、日本が世界に誇るミュージシャン、坂本龍一が東京都に生まれる。幼少期にはじめたピアノは音楽的才能の開花に有用だったようで、はじめて作曲したのは幼稚園児の頃だったと言われている。東京藝術大学から同大学院で学ぶなど、音楽理論に精通。スタジオ・ミュージシャンを経て、YMOでその名を一気に知らしめた。その後の活躍は誰もが知るところであり、芸術性とポピュラリティを絶妙に融合させる、まさに天才である。
未だ語り継がれる永遠の歌姫、山口百恵が東京都に生まれる。72年にオーディション番組『スター誕生』で準優勝した彼女は、翌年「としごろ」でデビュー。森昌子、桜田淳子らと「花の中三トリオ」と呼ばれアイドル的存在となる。74年の映画『伊豆の踊り子』で共演した三浦友和と結婚。絶頂期での引退に日本中が騒然となった。最終コンサートで万感の思いを込めてマイクを置く……そのシーンを収録したビデオが未だ売れ続けるのは、単なる“女優もやるけど本業は歌手”というアイドルと違うオーラがあったからだろう。
「今、日本人でプロデュースしようとしている歌手が1人いる」と世界的なプロデューサー、ベイビーフェイスともタッグを組んだ、男性R&Bブームの先駆者、平井堅が大阪に生まれる。名前の由来は、4歳年上の兄が「“けん”にして」といったからだとか。完璧でいてナルシスティックなファルセット・ヴォイスに加え、それとは正反対のコテコテのダジャレトークも人気のひとつ。ラジオにゲスト出演した原田知代に「おつかれやま!(←おにぎり山のポーズ)」をやらせるなんて……、この人にしかできません。
'80年代に、ミスター〈ブルー・アイド・ソウル〉(ソウルフルなボーカルを聴かせる白人シンガー)と呼ばれたポール・ヤング、イギリスに生まれる。'82年、甘くソウルフルな歌声を遺憾なく発揮したマーヴィン・ゲイのカヴァー「Wherever I Lay My Hat」が初ヒット。続く1stアルバム『No Parlez』もミリオン・セラー、そして'85年の2ndアルバムからのシングル「エヴリタイム・ユー・ゴー・アウェイ」が全米チャート1位を記録し、そのソウル・シンガーとしての地位を確立した。ちなみにこの「エヴリタイム」はホール&オーツのカバー曲。
2008年1月17日、TVアニメの草創期から活躍した脚本家の鳥海尽三が肝臓がんのため死去した。78歳だった。『ヤッターマン』ほかのタイムボカン・シリーズをはじめ、『昆虫物語みなしごハッチ』『科学忍者隊ガッチャマン』『新造人間キャシャーン』など、タツノコプロの多くの作品に企画・脚本として参加。また後進の育成にも積極的で、人材輩出の面でも大きな役割を果たした。2000年には日本シナリオ作家協会より、シナリオ功労賞を受賞している。

同名のアニメ映画のサントラにあたるアルバム『イエロー・サブマリン』が英国で発売。最高位は3位。A面にビートルズの楽曲、B面にジョージ・マーティンによるスコアを収録。のちにこのアルバムの収録曲で新たに33回転の7インチ・モノEPをリリースする企画があったようだ。69年3月13日付で編集されたマスター・テープがEMIに残されており、A面に「オンリー・ア・ノーザン・ソング」「ヘイ・ブルドッグ」「アクロス・ザ・ユニヴァース」、B面に「オール・トゥゲザー・ナウ」「イッツ・オール・トゥ・マッチ」という内容であったようだ。