

女優・タレントの田村英里子が茨城県に生まれる。オーディション番組をきっかけとして、1989年にアイドル歌手としてデビュー。自身をモデルにしたアニメ『アイドル伝説えり子』が制作されるなど、大きな瞳が印象的なルックスで熱狂的なファンを獲得していた。そんな彼女の名前が一気に広まったのは、とある年のカレンダーで胸とお尻を極端に露出したことから。どちらかというと大人しいという印象の娘だっただけに、その衝撃は大きかった。
キリング・ジョークなどで活躍したベーシスト、ポール・レイヴンが英国ウォルヴァーハンプトンに生まれる。80年代初頭から本格的にミュージシャンとしての活動を開始、キリング・ジョークには82年にオリジナル・メンバーであるユースの後任として加入した。その後、90年代にはHide(元X JAPAN)のZilchでもプレイ、ミニストリーにも参加するなど、常に個性的なバンドに関わり続けた。2007年に46歳で死去している。
JとINORANが高校の頃に結成していたバンド、“LUNA SEA”にSUGIZOと真矢が加入。2人は“PINOCCHIO”というバンドで、LUNA SEAと一緒にライヴなどを行なっていた。が、PINOCCHIOが解散問題に直面、LUNA SEAも進路問題で揺れていたため、合体に至った。最初は真矢だけに声がかかったが、真矢が「SUGIZOも一緒でないとイヤ!」と言ったためSUGIZOも参加。LUNA SEAはツイン・ギターとなる。その後ヴォーカルが脱退し、当時“RAYLA”と名乗っていたRYUICHIが加入。このメンバーで2000年の終幕まで活動を続けた。
'00年11月には約8年ぶりの新譜を発表した、歌手シャーデー・アデュ、ナイジェリア人の父とイギリス人の母との間に生まれる。エキゾチックな顔立ちとハスキーなボイス、そして歌手になる前はデザイナーとして活躍していたという経歴は、まさに都会的な女性の象徴。ZARDの坂井泉水も彼女に憧れ、歌手になったという。'84年にアルバム『ダイアモンド・ライフ』でデビューを飾り、シングル「スムース・オペレーター」はワールド・ワイドなヒットを記録した。約8年ぶりの『Lovers Rock』でも洗練されたスタイルを披露している。
'01年の8月、22歳という若さで死去したR&Bの歌姫アリーヤ、NYに生まれる。15歳の時アルバム『エイジ・エイント・ナッシング・バット・ア・ナンバー』でデビュー。そのタイトルの通り〈年齢なんて関係ない〉色気を秘めた歌声で、同アルバムは大ヒット。'01年には自らの名をタイトルに冠した3rdアルバムを発表。彼女の魅力が詰まった傑作として高い評価を得るが、その直後、新曲のPV撮影のため訪れたバハマからの帰途で、飛行機が離陸直後に墜落、命を落とした。ちなみに宇多田ヒカルがR&Bにはまったのは彼女の歌を聴いたのがきっかけだったとか。

ホラー/SFを中心とした監督作品を数多く残すこの筋の巨匠、ジョン・カーペンター。とんでもない設定、ひねくれたキャラクター作りには定評があり、『ゴーストハンターズ』『遊星からの物体X』をはじめいくつかのカーペンター作品で主役を演じた俳優カート・ラッセルは、これまで自身の演じたキャラクターのフェイヴァリットに『ニューヨーク1997』のスネーク・プリスキンを挙げているほど。“Call me Snake.”の台詞は誰もが一度は言ってみたくなる名台詞。自ら音楽も手がける特異な監督としても知られ、サウンドトラックにもファンが多い。
ポール、リンダと4人の子供を連れてウイングスの日本公演のために来日。しかし、成田空港に到着するものの、大麻219グラムを所持していたため、麻薬取締法違反の現行犯で逮捕。翌17日にウイングスの日本公演(全11公演)の中止を発表。リンダを除くメンバーは21日に帰国。25日、ポールは起訴猶予処分となり警察庁から釈放。初めて逮捕後家族と顔をあわせ、午後9時50分発のJAL403便でイギリスへ帰国した。