

ガンズ・アンド・ローゼズの初代ドラマーだったスティーヴン・アドラーが、米国オハイオ州に生まれる。家族とともにLAへと移り住んだ彼は、12歳の時にスラッシュと出会い、お互いに楽器の腕を磨いたという。その後もスラッシュとは活動をともにし、GN'Rでデビュー。危険な香り漂うバンドにおいて、ブロンドをなびかせながらプレイし、人懐っこい笑顔を振りまく彼は人気も高かった。しかし、いつまでもドラッグの悪癖が直らず、90年にクビを宣告されてしまう。

取り壊される直前の有楽町日劇で、最後のウエスタン・カーニバルが開催。ザ・タイガース、ザ・スパイダースなどが一時的に復活して集合した。この様子は、3枚組のライヴ・アルバムとしても発売されている。ウエスタン・カーニバルは昭和33年に始まり、当時人気を集めていたミッキー・カーチスなどを演奏させ、一躍ロカビリーを大流行させるなど、若者向け音楽ショーの先駆的公演だった。時には、頭脳警察が“マスターベーション事件”を起こすなど、数々のハプニングも起こっている。
SMAPがカバーした「セロリ」の楽曲提供者としても注目を浴びていた山崎まさよし、「One more time,One more chance」を発売。ギター1本で歌い上げる切ないメロディと歌詞、それに加えてモノクロの映像の引き語り姿がやたらと絵になり、一気にブレイクに至る。間違って役者のオーディションを受けてしまったことがデビューのきっかけ、というお茶目なエピソードは有名だが、役者としても通用することは、同曲が主題歌となった『月とキャベツ』を見ていただければ一目瞭然。決して上手いわけではないが、なんか絵になるんですよね〜。
ジャーニーのVo.スティーブ・ペリーが生まれる。'74年に鳴り物入りでデビューしたジャーニーであったが、イマイチぱっとせず、そんなバンドの打開策として投入されたのがVo.スティーブ。幅広く歌いこなせる彼の声は、メロディアスな楽曲にピタリとはまり、'81年にはアルバム『エスケイプ』が全米No.1を獲得。〈ロック版ハリウッド〉的な彼らの楽曲は売れまくり〈産業ロック〉と揶揄されることすらあった。しかし絶頂期の'83年、スティーブはバンドを脱退。'84年にソロ・アルバムを発表し「Oh、シェリー」を大ヒットさせた。
1972年1月22日、声優/女優の朴ろ美が東京都に生まれる(「ろ」は「王」へんに「路」)。在日韓国人3世。演劇を志した後、舞台を見た富野由悠季に声を掛けられ、TVアニメ『プレインパワード』で声優デビュー。その後、『∀ガンダム』のロラン・セアックで注目され始め、大ヒットした『鋼の錬金術師』のエドワード・エルリックや、「第1回声優アワード」で主演女優賞を受賞した『NANA』の大崎ナナなどを、卓越した表現力で演じきっている。なお、歌手としても2006年にシングル「ボクたちにあるもの」でデビューしている。

アップル・スタジオへ場所を移動して2日目の22日、ハンブルク時代からの旧知の仲であったキーボード・プレイヤーのビリー・プレストンが参加。この日、偶然にアップル本社のロビーでジョージがビリーと再会したことから、セッションに参加。彼の参加は関係が悪化していたビートルズにとって非常に有効な潤滑油となり、多くの曲が完成に近い形へと仕上がっていった。ビリーはのちにアップルから2枚のアルバムを発売。このセッションがきっかけとなって、アップルのアーティストとなったのだった。