


ジャズ・サックス奏者のスタン・ゲッツが米国フィラデルフィアに生まれる。両親はウクライナ系ユダヤ人の移民。なんでも、小学生の頃は常にトップクラスの成績を残していたとか。音楽にも強い興味を持っており、13歳の時にクラリネットとともに父親が与えたサックスにのめり込み、その腕を磨いていく。1940年代からトップ・クラスのプレイヤーとして活躍、麻薬やアルコールの問題に悩まされるものの、常に精力的な活動を行なっていた。91年に死去。
パンク・ムーヴメントの中心人物、シド・ヴィシャスが21歳で死亡。セックス・ピストルズの親衛隊だったシドは、楽器もロクに弾けないまま二代目ベーシストとして加入。この頃すでに最愛の女性ナンシーと出会い、ヘロインを始めていた。その後アルバム一枚で解散したピストルズを後目に、シドはニューヨークでソロ活動を開始。ドラッグ漬けの生活のなか、ナンシーの刺殺疑惑が。保釈後すぐに暴力事件で服役した彼は、その出所パーティの晩に多量のヘロインを服用して死亡した。シドの母親はナンシーの墓を探し、その上にシドの灰をまいたとか。
GLAYのメンバーの中で最もミステリアスなHISASHI(本名・外村尚)、青森県弘前市に生まれる。ステージ演出を愛機のmacを使って行なったり、みずからのホームページを立ち上げたりもしているが、その機械好きは幼少の頃から。人見知りで、一人遊びが好きだった(印象変わらず?)というHISASHIは、小学生の時にパソコンにハマったり、また、よくラジカセを分解したり、モデルガンを作ったりしていたという。
コロンビア出身のシンガー、シャキーラが誕生。シャキーラとはアラビア語で「優美な者」。8歳で作曲をはじめ、13歳でデビュー。アラニス・モリセット的なサウンド、マライア・キャリーのデビュー当時を彷彿とさせるルックスで、'96年『裸足のままで』が大ヒット。その後、より一層ワールドワイドな活躍を意識してか、黒髪を金髪に変え、母国語スペイン語でなく英語でアルバム『ランドリー・サーヴィス』もリリース。来日も果たした。ちなみに、日本でのお気に入りは、日本茶、サーモンのお寿司、和菓子だとか。
1960年2月2日、マルチクリエイターの河森正治が富山県に生まれる。大学在学中からメカ・デザイナーとして頭角を現し、82年にはTVアニメ『超時空要塞マクロス』の主役ロボット“可変戦闘機バルキリー”をデザイン、その斬新な変形機構で一躍脚光を浴びる。84年には24歳にして劇場アニメ『超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか』で監督デビュー。以後も、数々の作品にデザイナー、原作者、監督とさまざまな角度で参加。また“ビジョンクリエーター”として、ゲームや玩具などの分野でも活躍している。
さまざまなキャラクターを演じ分けることで“劇団”を意味する、お笑い芸人・劇団ひとりが千葉県に生まれる。ブレイク後は俳優業もスタートさせ、『嫌われ松子の一生』『ドラえもんのび太の恐竜2006』『どろろ』『バブルへGO!』など多くの映画に出演しているほか、月9ドラマ『ファースト・キス』でも主要キャストとして活躍。自身の小説家デビュー作『陰日向に咲く』は、岡田准一と宮崎あおいら豪華キャストが集結し、2008年1月に映画化された。
当時イギリスで大人気だった女性シンガー、ヘレン・シャピロをメインにした初のイギリス国内ツアーに参加。ツアー当初は出演者中一番下の扱いで前座のトップバッターだった。しかし、「プリーズ・プリーズ・ミー」がチャートの1位になると、大きな反響を呼び、最終日の3月3日にはヘレン・シャピロと並ぶ人気を獲得、前座のトリを務めるようになった。このツアーでのビートルズの持ち時間は20分。「ラヴ・ミー・ドゥ」「プリーズ・プリーズ・ミー」のほか、公式発表されなかった「 キープ・ユア・ハンズ・オフ・マイ・ベイビー」「ビューティフル・ドリーマー」を含めた全6曲が演奏された。