

デスティニーズ・チャイルドの一員として知られるケリー・ローランドが、米国アトランタに生まれる。幼い頃にヒューストンへと移住した彼女は、ともにデスチャで活躍することになるビヨンセと、姉妹同然にして育った。デスチャに加わったのは11歳の時で、数年後には世界を席捲する存在にまでなる。グループ内での人気、“政治的”な立場でビヨンセに一歩譲るのは事実だが、ソロとしても成功している通り、その実力は誰もが認めるところだ。
リンキン・パークのラッパー、マイク・シノダが米国カリフォルニアに生まれる。本名はマイケル・ケンジ・シノダ。その名前からもわかる通り、日系人である。中学生の頃にピアノを習いはじめ、クラシックやジャズの演奏法を学んだとのこと。その後、ギターやラップにも手を伸ばすなど、音楽的センスに恵まれていたようだ。なんでも、彼のルーツになったのはアンスラックスとパブリック・エネミーの共演だとか。リンキンの音楽性からも納得である。
シェリル・クロウ、アメリカのミズーリ州に生まれる。ジャズ演奏者を両親に持ち、5歳からピアノを始め、13歳で最初の曲を作る。大学で音楽を学び、バーでの歌手生活を経て、93年の『チューズデイ・ナイト・ミュージック・クラブ』でグラミー賞3部門を受賞(96年の2ndも2部門受賞)。シンプルなメロディと力強いヴォーカルで、“歌で物語を語る”ことのできる数少ない人である。後に発売されたライヴ盤のジャケットでは、キース・リチャーズ&ロン・ウッドに両脇から肩を持たれて立つ、キワどい衣装の彼女を見ることもできる。
「マシュ・ケ・ナダ」の世界的大ヒットで有名なブラジル人ミュージシャン、セルジオ・メンデス、リオデジャネイロ近郊に生まれる。幼いころからピアノをはじめ、'65年アメリカで本格的に活動を開始。'66年ポップテイストあふれるボサノバにアレンジした「マシュ・ケ・ナダ」が大ヒットする。彼の才能は、作曲能力というより、そのアレンジ能力。ビートルズの「デイ・トリッパー」などをボサノバアレンジでヒットさせ、また、プロデューサーとしてもサラ・ヴォーンの『ブラジリアン・ロマンス』などで手腕を発揮している。

1969年2月11日、人気漫画家の小畑健が新潟県に生まれる。86年に『CYBORGじいちゃんG』(土方茂 名義)で連載デビュー。以降、“小畑健”へと改名してからは漫画原作者と組んで活躍しており、少年少女の間に囲碁ブームを巻き起こした『ヒカルの碁』や、複雑なストーリーと細密な画風が人気を呼び、社会現象ともなった『DEATH NOTE』の作画を担当している。両作品ともアニメ化された。なお、2003年には『ヒカルの碁』で第7回手塚治虫文化賞の新生賞を受賞している。

午前10時、「ゼアズ・ア・プレイス」から始まったファースト・アルバムのレコーディングは、午後10時半過ぎの「ツイスト・アンド・シャウト」で終了。シングルで発表されていた4曲を除く10曲がこの日一日で録音された。4人は昼食をとらずにリハーサルを続け、プロデューサーのジョージ・マーティンを驚かせた。当日、ジョンはひどい風邪をひいていて、声の調子が悪く、レコーディング終盤の5曲では声が枯れている。また、この日はセカンド・アルバムに収録された「ホールド・ミー・タイト」も録音されたのだが、お蔵入りしている。