


アニメ・ソング歌手として有名な影山ヒロノブが大阪市に生まれる。16歳の時に結成したレイジー(後のラウドネス)のシンガーとして、77年にデビュー。“和製ベイ・シティ・ローラーズ”と称されたバンドにおいて、ミッシェルの愛称で人気を博した。レイジーの解散コンサートは、奇しくも彼の20歳の誕生日。その後はソロとして、エアブランカの一員として、そして85年以降はアニソン歌手として名を馳せる。『ドラゴンボールZ』のオープニング曲は特に有名だ。
日本テレビ系オーディション番組『スター誕生』の決戦大会が行なわれ、根本美鶴代と増田恵子の二人組が合格した。後に日本中に旋風を巻き起こしたピンクレディーの誕生であった。静岡の中学校で出会った二人は、同じ私立の高校に進学し、演劇部に所属。歌手になることを夢見ていくつかのオーディションを受けるも、最終的には『スター誕生』で見い出され、同年8月に「ペッパー警部」でデビューしたのであった。ちなみに『スター誕生』の第1回卒業生は森昌子。歴代最高得点&11社からスカウトがきたのは、中森明菜。
'97年1月シングル「犬と猫」で大注目を集めた中村一義、東京都江戸川区に生まれる。高校卒業後2年間部屋にこもり、ギター、ベース、ドラム等の楽器を独学で身に付け、デビュー作でセルフ・プロデュース。宅録で100曲ほどを作っていたらしい。何もかも信じられなくなった彼が、〈状況の裂いた部屋〉と呼ぶ自宅部屋から生みだした音楽は、デビュー作とは思えぬほどのクオリティの高さであった。
キッスが1stアルバム『地獄からの使者』を発売。G.のポール・スタンレーとB.のジーン・シモンズを中心にバンドを結成。Ds.のピーター・クリスが在籍していたグループ名がリップスだったことから、バンド名を〈キッス〉にし、同アルバムでデビューを果たした。コミカルな白塗りメイク、ド派手な衣装、キャッチーな楽曲が注目を浴び、'75年のライヴ盤『アライヴ〜地獄の狂獣』も大ヒット。ロック・シーンの第一線をかけぬけていったのであった。
1962年2月18日、アニメーター/イラストレーターの佐野浩敏が福岡県に生まれる。ガンダム・イラストレーションの第一人者で、10余年以上にわたってガンダム・イラストを描き続けた“ロボ描き屋”。またメカだけでなくキャラクターにも定評があり、安彦良和フォロアーとしても抜き出た存在である、主な作品は『機動戦士ガンダム0083』(総メカニカル作画監督)、『機動武闘伝Gガンダム』(メカニカル作画監督)、『エスカフローネ』(メカ作画監督)、『ラーゼフォン』(アニメーションディレクター)など。

1933年2月18日、銀行家の小野英輔・磯子夫妻の長女として東京都で生まれた。学習院幼稚園に入園、52年に学習院大学哲学科に入学。53年に家族とニューヨークに移り、サラ・ローレンス大学に入学。56年に作曲家の一柳慧と結婚するも、62年に離婚。同年11月に映画製作者トニー・コックスと結婚するが、63年に離婚。その後再婚するも、69年に離婚。娘のキョーコは63年8月8日に誕生している。60年代初めには前衛芸術集団フルクサスに参加、66年にロンドンに活動の場を移した。そして、66年11月ロンドンのインディカ・ギャラリーでジョンと出会うことになる。