

AORシンガーとして数々のヒットを持つマイケル・ボルトンが、米国コネチカット州に生まれる。マイケル・ボロティンの名前でデビューしたのは75年のこと。しかしヒットに恵まれず、ブルース・キューリック(後にキッスへ加入)らとともにブラックジャックというバンドを結成する。そのような訳で、83年にマイケル・ボルトンの名前で再ソロ・デビューした際も、そのサウンドはハード・ロック色が強かった。人に歴史あり、ですね。
R&Bシンガーのエリカ・バドゥが米国テキサス州に生まれる。本名はエリカ・ライト。女手ひとつで子どもを育てた母親は、舞台女優として活動しており、エリカに多大なる影響を与えたようだ。なんでも、4歳の時には母親の出演する劇場の舞台に立ったことがあるらしい。その後、成長した彼女は大学を中退し、音楽の道へと進む。ちなみにErykahという芸名に含まれる“kah”という綴りは、イスラム語で自らの内面という意味を持つらしい。
サザンオールスターズの桑田圭祐、神奈川県に生まれる。2000年には「TSUNAMI」を大ヒットさせ(これまでに300万枚を突破したのは「およげ!たいやきくん」と「女のみち」だけ)、21年ぶりの茅ケ崎ライヴなどで話題を呼んだ。この年の誕生日には、超シークレットライヴ・ビデオ『'99 SAS 事件簿 in 歌舞伎町』が発売された。ちなみに、1982年の誕生日には原由子との結婚記者会見を開いている。
'79年に「さよなら」「YES・NO」などがヒットし、一時代を築き上げたオフコースの解散コンサートが東京ドームで行なわれる。'83年にバンドの創立メンバーであった鈴木康博が脱退したことから、少しずつ歯車が狂いはじめ、最終的には「バンドとしてできる僕らの役割は果たした」という理由で解散を発表するに至った。約5万4000人を集めててのドームコンサートでは、小田和正が声をつまらせ、「これからは、みんなが、オフコースだからね」。ファン号泣である。
数々のミリオンセラーを記録し、R&Bの巨人として語り継がれるファッツ・ドミノが米ルイジアナ州に生まれる。7才のときにピアノを弾き始め、'40年代後半から本格的なプロ活動に入る。ニュー・オーリンズ独特の明るい三連サウンドは人々に支持され、「エイント・ザット・ア・シェイム」「ブルーペリー・ヒル」などの多くのヒット曲を制作。エルトン・ジョンを始めとするピアノ・シンガーの先駆け的存在となる。ビートルズにも影響を与え、ジャズやブルースのファンからも人気の高い大御所である。


ビートルズ初のCD『プリーズ・プリーズ・ミー』『ウィズ・ザ・ビートルズ』『ア・ハード・デイズ・ナイト』『ビートルズ・フォー・セール』が全世界で同時発売された。英国盤を全世界統一規格として発売していくことになり、この4作に関してはモノラル仕様での発売となった。87年末までには全タイトルが発売された。ちなみに日本ではビートルズの83年に『アビイ・ロード』を東芝EMIからCD化されていたが、店頭から回収となっている。回収の理由には英国EMIの許可なしにプレスされた、日本からの輸入盤で欧米の市場が荒らされるからなどの説がある。