

アイアン・メイデンのギタリスト、エイドリアン・スミスが英国に生まれる。学生時代からデイヴ・マーレイとは知り合いだったという彼は、Urchinというバンドでその名が知られるようになった。81年発表の『キラーズ』からメイデンに加入し、ギター・プレイはもちろん、ストレートかつキャッチーなソングライティングでもバンドに多大な貢献をする。90年に一度は脱退するも99年に復帰。メイデンにはなくてはならない存在である。
優しげな顔立ちと見事なバリトンを武器に活躍するシンガー、ジョシュ・グローバンが米国ロサンゼルスに生まれる。彼が歌いはじめたのは中学生の頃だが、当初はそれほど自分の歌声に自信はなかったという。それでも音楽を学び続け、17歳の時に転機が訪れる。あのデヴィッド・フォスターに紹介され、デビューへと至ったのだ。日本では、歌は上手いが気弱な青年役で出演した米国の人気ドラマ『アリーmyラブ』で彼を知った方もいるかもしれない。
徳永英明、福岡県に生まれる。透明感あふれるメロディと甘くハスキーな声が人気を呼び、フジカラーのCM曲でもあった4枚目シングル「輝きながら…」が大ヒット。以後「風のエオリア」「恋人」などのヒットを飛ばす。93年には映画『シンガポール・スリング』の原案・企画・プロデュースなども担当。サッカー好きとしても有名で、TBS系の『スーパーサッカー』のメイン・パーソナリティも務めた。2001年5月、難病であるもやもや病で倒れるが、2002年11月に復帰、音楽活動を再開している。
globeのラッパーとして注目を集める、マーク・パンサー、マルセイユに生まれる。父はフランス人、母は日本人。2歳の時から日本で生活し、インターナショナル・スクールのフランス語学科に通う。子ども時代には、マーク・パンソナの名でSF映画『さよならジュピター』にも出演。高校2年の時に『メンズノンノ』のモデルになり、18歳の時に日本国籍を選んだ。その後、MTV-JAPANのVJとして活躍し、小室哲哉と知り合い、ラッパーとしてglobeに参加。好きな女優は早見優、食べ物はカツカレーだとか。
T-Boz、LeftEye、Chilliの頭文字を取り、日本でも絶大な人気を誇るTLCのChilli(本名ロゼンダ・トーマス)が米ジョージア州アトランタに生まれる。チリという名前は「チリソースたっぷりなHOT!」から来たもので、ほかに「Cookie」などが候補に挙がっていたという。デビューアルバムを全米で500万枚以上売り上げ、約1000万枚を記録した2ndに至っては、シングル4曲がトップ10入りという快挙を成し遂げた。

1988年2月27日、8本の短篇からなるオムニバス映画『不可思議物語〜FANTASTIC COLLECTION』(パル企画)が公開される。当時、新鋭監督だった4人が、SF、オカルト、コメディ、サスペンスといった多彩な題材を実験的な映像を駆使して映画化。なかでも、コアな映画ファンに支持されている山川直人監督が、三上博史、室井滋出演で実写映像化した大友克洋の短編「猫はよく朝方帰ってくる」は一部でカルト的人気を誇っている。他には、「すいか」「都死生活カタログ」「優しくって少しばか」「ワン・ステップ・ビヨンド」「TV」「家庭」「波に消える」といった話を収録。
ウイングスがアルバム『バック・トゥ・ジ・エッグ』に収録された、「ロケストラのテーマ」で第22回グラミー賞最優秀インストゥルメンタル賞を受賞。この曲にはレッド・ツェッペリンのジョン・ポール・ジョーンズ、ジョン・ボーナム、ザ・フーのピート・タウンゼンド、ピンク・フロイドのデイヴ・ギルモアなどが参加。ポールが自らコンタクトをとって参加を要請。ウイングスのメンバーを含めた23人でレコーディングは行なわれた。ウイングスのラスト・ライヴとなったカンボジア難民救済コンサートでこのロケストラは再現された。