

メタリカの2代目ベーシストとして有名な、ジェイソン・ニューステッドが米国ミルウォーキー州に生まれる。キッスのジーン・シモンズに憧れてベースを始めた彼は、フロットサム・アンド・ジェットサムを経て、86年にメタリカに加入。激しいステージ・アクションで人気を得るが、バンド内ではあからさまに“小僧”扱いされていたようだ。結局2001年に脱退、ヴォイヴォドに加入した他、さまざまなミュージシャンとセッション活動を行なう、気のいいヤツなのである。
シンガー、ギタリスト、ソングライターと、さまざまな才能を併せ持つボビー・ウーマックが、米国オハイオ州クリーヴランドに生まれる。ゴスペルをルーツにし、ウーマック・ブラザーズで活躍した後、サム・クックのバンドのギタリストとしてその名を知らしめる。ソウル/R&Bのアーティストはもちろん、ローリング・ストーンズなどのロック・バンドにも影響を与えており、その黒人音楽に根差した独創的な音楽性で高い評価を得ている。
バロック末期の作曲家、アントニオ・ヴィヴァルディがイタリアのヴェネチアに生まれる。理髪師であり、ヴァイオリニストでもあった父親からヴァイオリンを習い、音楽に親しむようになる。教会関係の学校に通い、25歳で司祭になると、その髪の色から“赤毛の司祭”と呼ばれるように。それと同時に、身寄りのない少女が集うピエタ音楽院でヴァイオリンを教えはじめた。この頃に作曲もはじめ、後には「四季」などの名曲を残すに至る。
数々の超有名インスト曲の生みの親、ポール・モーリア生まれる。後にジェフ・ベックもカヴァーした彼の代表曲「恋はみずいろ」は、フランス生まれの楽曲が全米チャートのトップを獲得した初めての曲としても有名。そのほか「オリーブの首飾り」「蒼いノクターン」「ある愛の詩」などなど、その楽曲の数と知名度はまさに“帝王”の名にふさわしい。99年には小西康陽のプロデュースでサーフ・ギターの貴公子、中シゲヲがポールの名曲をご機嫌なノリで甦らせてもいる。
2001年、7歳年上の大学教授と結婚し話題となった山本リンダ、福岡県に生まれる。11歳の時にモデルとしてデビュー。15歳の時に「こまっちゃうナ」で歌手デビューも果たし、同曲は100万枚を超える大ヒット。世界の〈ツィギー〉ブームの波に乗り、〈ジャパニーズ・ツィギー〉として全米6大都市で公演なども行なった。また、代表曲である「どうにもとまらない」「狂わせたいの」は、'80年代後半に米米CLUBがカバーしたりもした。ちなみに、ブルーハーツの名曲「リンダ リンダ」は、スペイン語で「美しい」の意。間違えないか……。


英国イブニング・スタンダード紙にジョンの「ビートルズはキリストより有名」との発言が掲載。英国ではいつものジョークとして受け取られ、特に問題にはならなかったが、7月にアメリカで発行されたティーン向け雑誌『デイトブック』がこの記事を部分的に転載し、アメリカ全土にこの発言は広まっていった。とくに熱心な信者が多い南部では激しい怒りを買うことになり、全米の多くのラジオ局で放送禁止処分になったり、ビートルズのレコードやグッズを焼き払う集会が開かれた。8月11日にジョンは記者会見にて真意を説明し、謝罪した。