

“産業ロック”の形成に重要な役割を果たした、ボストンのリーダーであるトム・ショルツが誕生。出身は米国オハイオ州。世界的に著名なインテリ校、マサチューセッツ工科大学を卒業、一人だけで仕上げたデモをもとに、76年、『ボストン』でデビューを果たした。2作目の『ドント・ルック・バック』は2年後にリリースしたが、以降、アルバムは8年置きに発表と超マイペース。完璧主義すぎるのか、はたまた呑気なだけなのか、凡人には理解し難い思考回路のようで……。
お笑い芸人の藤井隆が大阪府に生まれる。オカマ・キャラやハイテインションなギャグなどからは想像もできないが、私生活では非常に実直な人間で、芸人になる前はとある会社の経理としてまじめに仕事をこなしていたという。小さな頃から歌手に憧れていたという彼の夢は、2000年に浅倉大介のプロデュースによるシングル「ナンダカンダ」で叶うことに。盗作疑惑が持ち上がったものの、NHK『紅白歌合戦』に出演するほどのヒットとなった。

THE YELLOW MONKEY、横浜アリーナにて驚異のロングツアー、PUNCH DRUNKARD TOUR 1998/1999のファイナルを迎える。北から南まで、約1年でライヴの本数113本。そのラストは史上初の試みである衛星三元中継され、ツアーの大団円が会場へ行けなかったファンの元にも届けられた(ビデオも後に発売され、オリコン初登場第1位!)。精神的にも肉体的にも壮絶を極めたこのツアー。全てを出し尽くしたかのようなメンバーは、グラマラスな衣装を身にまとっていても、色気というより晴れ晴れとした精悍な顔つきが印象的だった。
〈永遠のアイドル〉松田聖子、福岡県に生まれる。'78年「ミス・セブンティーン」の九州大会に合格するも父の猛反対にあい、'79年やっとのことで父を説き伏せ上京。NTVドラマ「おだいじに」に出演し、その時の役名「松田聖子」をそのまま芸名とする。'80年「裸足の季節」で歌手デビューし、一気にトップアイドルの座に。


『ボキャブラ天国』で一世を風靡した“つぶやき芸人”、つぶやきシローが生まれる。真心ブラザーズの桜井秀俊と共に結成したユニット“セキララ〜つぶやきと桜井”ではCDデビューも飾っているほか、『南の島の小さな飛行機 バーディー』や『ドラえもん のび太の新魔界大冒険 〜7人の魔法使い〜』では声優にも開眼。ほんのりとした存在感で作品へ色を添えている。
ジョージ・マーティンがEMI第2スタジオにて「キャント・バイ・ミー・ラヴ」「ロング・トール・サリー」など4曲のステレオ・ミックスと、「抱きしめたい(ドイツ語版)」など3曲のモノ・ミックスを制作。また91年に初公開された資料に、午前10時から3時間、「キャント・バイ・ミー・ラヴ」のセッションにドラマーが参加したことを思わせるものがあり、この日に何らかのオーヴァーダビング作業が行なわれたと考えられる。しかし、セッション報酬も支払われたこのドラマーの名前はどこにも明記されていなかった。