

アイアン・メイデンのベーシスト、スティーヴ・ハリスが英国ロンドンに生まれる。少年の頃はサッカーに夢中で、プロを目指すほどの実力だったとか。パンク全盛の70年代後半に“聴きたい音楽がないなら自分で作ればいい!”とアイアン・メイデンを結成する。まだ下積みだった頃、“髪を切れば契約してやる”と言われたが拒否したというのは有名な話。その意志の強さはメイデンでの活動振りに表れており、彼なくしてヘヴィ・メタルの勃興はあり得なかった。
女優・歌手のライザ・ミネリが米国ロサンゼルスに生まれる。父親は映画監督のヴィンセント・ミネリ、母親は女優のジュディ・ガーランド。デビューは1949年、母の出演作でもある『古き良きサマータイム』においてだった。なんと、当時の彼女はわずか2歳。さすがにこの時は親のナントカだったかもしれないが、その後の活躍はまさにホンモノ。ミュージカルにはじまり映画、歌手と、米国のショウビズ界で八面六臂の大活躍。病に打ち勝つ精神力の持ち主でもある。
声優・歌手の椎名へきるが東京都に生まれる。高校生の頃に日本ナレーション演技研究所に入学し、声優の道へ。93年にデビューを果たし、アイドル的な人気を博した。その後、94年には歌手デビュー。なんでも、この頃の本人は音楽活動に消極的で、周囲に“だまされて”デビューしたとのこと。その意に反し、セールスは好調。その気になった彼女は、武道館でライヴを行なうまでの存在になった。ちなみに、プライヴェートではHR/HMを愛聴している。

アルト・サックス奏者のチャーリー・パーカー、麻薬と酒が原因で死去。34歳だったにもかかわらず、死亡証明書には“推定年齢53歳”と書かれたボロボロの体であった。アドリブを一気に演奏のメイン・ディッシュの格に押し上げた、ビ・バップの開祖であるチャーリーは、少年時代から麻薬漬け。麻薬と手を切ろうとするミュージシャンが多い中、最後までどっぷりとつかり、TV番組を見て大笑いしている時に、あっけなく死んでしまったと言われている。愛称“バード”の由来は、チキン(ヤードバード)が大好物だったから、など諸説あり。
ピチカート・ファイブの野宮真貴、誕生。'90年からピチカート・ファイブの3代目ヴォーカルとして、アジア・ヨーロッパ・アメリカと世界的な人気を誇る。類い希なる歌唱力とファッションセンスで、ピチカートのシンボリックな存在として人気を呼び、音楽活動以外でも雑誌モデル・ナレーター・広告のイメージキャラクターなど多彩な才能を見せる。ちなみに、ピチカート以前にソロシンガーとしてデビューしていて、その頃は、アイドル志向でコケティッシュな佳曲満載のポップスを歌っていた。
映画『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』で描かれた、地球連邦軍と新生ネオ・ジオンの戦い(第二次ネオ・ジオン抗争)がU.C.0093年3月12日に終結。地球連邦軍のアムロ・レイは、ネオ・ジオン総帥となったシャア・アズナブルの“アクシズ落とし”を阻止するが、2人はともにこの日を境に行方不明になる。『逆襲のシャア』は、一年戦争があったU.C.0079年から続く、アムロとシャアの因縁の対決にピリオドが打たれた作品。

ポール、ロンドン北部のメアリーボーン区の登記所で、カメラマンのリンダ・イーストマンと結婚式を挙げる。式に出席したのはポールの弟でスキャッフォルドのマイク・マクギア、ビートルズのロード・マネージャーであるマル・エヴァンス、リンダの娘へザー、アップルの重役を務め、後に暴露本的内容の『ラヴ・ユー・メイク』なる本を発表するピーター・ブラウンが出席した。