

ジェフ・ベックが新作『フー・エルス』をリリース。93年にロカビリーのカヴァー集『クレイジー・レッグス』を発表していたとはいえ、オリジナル・アルバムとしては89年の『ギター・ショップ』以来10年振りなのだから、ある種の事件だった。自身初となるサイド・ギタリストを起用、その役にマイケル・ジャクソンとの活動で知られる天才女性、ジェニファー・バトゥンを迎えて制作された本作は、生涯一ギタリストのオーラを強烈に放つ、ファン納得の一作となった。
演歌歌手の五木ひろしが福井県に生まれる。本名は松山数夫。1964年に松山まさるの芸名でデビューを果たしたものの、まったくヒットに恵まれなかった。その状態が7年間も続いたというのだから、相当な苦労人である。改名すること数度、これが最後と望んだ70年の全日本歌謡選手権で見事に10週を勝ち抜き、翌年の「よこはま・たそがれ」の大ヒットに繋がっていく。独特のこぶしを持ちつつも、ポップスまで歌いこなせる幅広い実力の持ち主である。
シンガー・ソングライターの杉真理が福岡県福岡市に生まれる。大学時代にバンド活動をはじめ、とあるコンテスト出場をきっかけにプロの道へ。77年にデビューを果たすのだが、病によって思うような活動はできなかった。その後、80年に再デビューをすると、83年に「バカンスはいつも雨(RAIN)」がスマッシュ・ヒットを記録。以降、プロデューサーとしても活動するなど、その才能を発揮している。ビートルズ・フリークとしても非常に有名だ。

マルチな才能を持つクインシー・ジョーンズ、シカゴに生まれる。そもそもトランペッターであった彼だが、デューク・エリントンらジャズ界巨匠の編曲をはじめ、マイケル・ジャクソンの『スリラー』やチャリティー・ソング 「We are the world」、'95年のベイビーフェイス、フィル・コリンズらの豪華アルバム『Q'sジューク・ジョイント』などのプロデュースなどなど、関わった楽曲数はあまりにも膨大。またマルチメディア企業の最高共同責任者なども努め、自伝も話題を呼んだ。
ケツメイシの大蔵、誕生。'93年ケツメイシ結成。'96年現メンバーで新たに発足。ごく身近な出来事や思いを、RAPという独特な手法でリリックとして書き綴るケツメイシ。RYOと大蔵は薬剤師の免許を持っていて、RYOは「ケツノポリス2」のリリース時も、都内の薬局で薬剤師として働いていた。バンド名のケツメイシは、中国で古来より下剤などに使用されている薬草「決明子」より引用。〈全てを出しつくす〉〈見えない神秘的な〉という意味がある。
1932年3月14日、50年代から活躍するベテラン声優の大竹宏が東京都に生まれる。『パーマン』のパーマン2号(ブービー)、『オバケのQ太郎(1作目)』の小池さん、『もーれつア太郎(69年版)』のニャロメ、『Dr.スランプ アラレちゃん』のニコチャン大王、キテレツ大百科』のブタゴリラ(初代)など、個性的なキャラクターの声を担当することが多い。また『マジンガー』シリーズほかの悪役のボス・キャラでも知られる。
1945年、栗原小巻が東京都に生まれる。“サユリスト”と双璧を成す“コマキスト”を生み出した女優。吉永小百合とは1日違いの誕生日。NHK大河ドラマ『三姉妹』で脚光を浴び、1967年『ゴメスの名はゴメス』で映画デビュー。日本中国文化交流協会の代表理事を務め、『乳泉村の子』などの中国映画に出演。ロシア映画にも数多く出演し、文化交流に尽力する国際的女優のひとりだ。
第14回グラミー賞において、「アンクル・アルバート〜ハルセイ提督」で最優秀歌唱賞と最優秀編曲賞を受賞。この曲はアルバム『ラム』からのシングル・カット曲。アメリカのみで71年の8月2日に発売され、全米1位を記録した。 B面には同じくアルバム『ラム』からの楽曲、「トゥー・メニー・ピープル」が収録された。