


ほぼ半裸の状態でパフォーマンスするなど、強烈なインパクトを残した元プラズマティクスの女性シンガー、ウェンディ・O.ウィリアムスが死去した。拳銃による自殺だった。享年48。かつての過激さとは裏腹に、後年は動物愛護や菜食主義を広める活動を行なっていた。自殺の直前は非常に元気がなく、自らの芸術活動に悩みがあったようだ。遺書と思われるメモには「私にとって、世界は何の意味なさない」というなんとも悲しい言葉が残されていたらしい……。
花*花の向かって右(たいてい)、こじまいづみが兵庫県に生まれる。5歳からピアノをはじめ、小学生時代に市の合唱団で相方であるおのまきこと出会うが、こじまはまったく覚えておらず。音楽専門学校時代に、おのとバンド“rinse”を結成。しかし同じ名前のバンドが当時4つもあることを知り「漢字の名前が良くて、女の子二人だから」という理由で“花*花”に変更。メジャー第1弾の「あ〜よかった」が大ヒットを記録する。kiroroに続く花*花のヒット、その後も次々増える女性二人ユニットの行方はいかに?
60年代前半、ナベプロ3人娘として、中尾ミエ、園まりとともに人気を集めた伊東ゆかり、東京に生まれる。5歳から米軍キャンプで歌いはじめ、11歳で「クワイ河マーチ」でデビュー。「小指の思い出」や「恋のしずく」が大ヒットし、1971年には佐川満男と結婚、女の子をもうける(76年には離婚)。“大人の色気”が、特に大学生などから人気で、結婚したい女性の歌手部門1位に選ばれたこともあったという。中尾ミエとは私生活でもテニスをしたり、旅行に行ったりしている仲。
キンクスのベーシスト、ピート・クェイフがバンドを脱退。イギリス4大ロック・バンド(他にはビートルズ、ローリング・ストーンズ、ザ・フー)の1つとして知られるキンクス。“パンク・ロックの偉大なるゴッド・ファーザー”とも呼ばれる。ヴァン・ヘイレンのカヴァーでも有名な「ユー・リアリー・ガット・ミー」はロック史上に残る名曲。クェイフは、キンクスを脱退する前にも度々辞めたり戻ったりしていた。戻るたびに辞めさせられたジョン・ドルトンにはいい迷惑だった。また、ストーンズのミックは、彼のことを“嘘つき”と言っていたとか。
1945年4月6日、声優/俳優の野島昭生が東京都に生まれる。代表作である『ナイトライダー』のKITTのほか、『プロジェクトA』のユンピョウ、『オースティン・パワーズ』のジェリー・スプリンガーなど、海外作品の吹き替えを中心に活躍。アニメ作品では『∀ガンダム』のシド・ムンザ、『名犬ラッシー』のサム・キャラクロー、『聖闘士星矢』の双子座のサガなどが有名。80年前後には、当時の人気男性声優5人によって結成されたバンド、スラップスティックのメンバーとして活躍していた。なお、声優の野島裕史と野島健児は実子。

EMI第3スタジオにて、アルバム『リボルバー』のセッション開始。最初にレコーディングされたのは、「Mark I」と名づけられていた「トゥモロー・ネヴァー・ノウズ」。午後8時から午前1時15分までのセッションで、リズム・トラックを3テイク録音。この曲でジョンはジョージ・マーティンに「ダライ・ラマと数千人のチベットの僧侶が山の頂で経文を唱えているようなサウンド」を求めたという。結果、ヴォーカルをレスリー・スピーカーに通したり、SEなどのテープ・ループなどを駆使し、その難題を見事クリアした(ジョンはまだ物足りなかったそうだが)。