

ガンズ・アンド・ローゼズのオリジナル・ギタリスト、イジー・ストラドリンが米国インディアナ州に生まれる。本名ジェフ・イザベル。W.アクセル・ローズとは同郷で、スケートボード仲間だったというのは有名な話。メインソングライターとしてGN'Rに多大な貢献をしたものの、ビッグになりすぎたバンドの機能不全に嫌気が差し、91年の感謝祭に脱退する。静かなる男というイメージが強い彼だが、ドラッグ癖がもっとも酷かったというのもファンならご存知だろう。
イエスやエイジアなど、プログレッシヴ・ロック・シーンで名を馳せる名ギタリスト、スティーヴ・ハウが英国ロンドンに生まれる。ハウ家の4人目の子どもにして末っ子である彼は、ジャズやブラス・バンドなど、両親のレコード・コレクションを幼い頃から聴いていたという。その後、クラシック・ギターにも興味を持った彼は、12歳のクリスマス・プレゼントでもらったアコースティック・ギターによって、人生を決定付けられることになるのだった。
岡田有希子が、新宿区四谷のサンミュージックが入ったビル屋上から飛び降り即死。同日の午前、自宅で自殺をはかり病院で手当てを受けた直後だった。原因は恋愛関係のもつれともいわれるが、定かではない。「くちびるNetwork」などのヒットで当時人気を集めるアイドルだっただけに、その後20日の間に全国で若者の自殺が114件。その衝撃の大きさを思い知らされる。また、運命の皮肉か2000年の7月には、彼女のマネージャーも同ビルで自殺を図り不帰の人となる。
当時人気絶頂であった元BOOWYの布袋寅泰と、吉川晃司がユニットCOMPLEXを結成、「BE MY BABY」でデビューを果たす。オリコンチャートは当然のごとく1位。昔からの友人であったビッグネーム二人が組んだ同ユニットは、デビュー当初から注目を集めるも、音楽性の違いから翌年の1990年11月、あっさり解散。にしても、身長190cm近い大男二人が、固定カメラの前で踊り歌う「BE MY BABY」のビデオクリップは、かなり強烈な印象でした。


リヴァプールのセフトン・ゼネラル病院でジョンと最初の妻であるシンシアとの間に長男が生まれ、ジョン・チャールズ・ジュリアン・レノンと名づけられた。ジョンに子供が生まれたことは、ブライアン・エプスタインの主張により、公表されなかった。後にジュリアンは、84年に『ヴァロッテ』でレコード・デビュー。グラミー賞にもノミネートされるという成功を収めたが、その後は大きなヒットに恵まれなかった。ちなみに「ヘイ・ジュード」はジョンとシンシアが離婚して落ち込んでいるジュリアンを勇気づけるためにポールが書いた楽曲である。