

ロキシー・ミュージックでデビュー、ソロになってからも人気を博すヴォーカリスト、ブライアン・フェリーが英国に生まれる。彼がシンガーとしての活動をはじめたのは、大学で美術を学んでいた頃。キング・クリムゾンのオーディションを受け、落選したものの、後にクリムゾンのマネージメントであるEGとの契約を獲得した、というのは有名な話だ。ロキシーではグラマラスな要素もあるアート・ロックを聴かせ、ソロになってからはそのダンディな声で大人のサウンドを聴かせる。
ソロ・シンガーとして数々のヒット作を世に送り出したロバート・パーマーが、心臓発作によって急死。滞在先のパリでのことだった。享年54。この年の5月には、アルバム『Drive』をリリースしたばかりだっただけに、誰もが驚きを隠せなかった。74年にソロ・デビューを果たし、80年代にはデュラン・デュランのメンバーらとともにパワー・ステーションでも活躍するなど、常に意欲的に活動した彼。最後の15年間はスイスのルガーノに暮らし、その地に眠っている。
GLAYが初の全国ツアー「灰とダイヤモンド」を開始。13ヶ所を回り4000人を動員する。同年5月25日に「RAIN」でメジャー・デビューした彼らが、同日発売した唯一のインディーズ・アルバムが『灰とダイヤモンド』であった。その後「彼女の〈Modern…〉」で佐久間正英をプロデュースに迎え次第にセールスを伸ばし、'96年「グロリアス」でブレイクに至った。ちなみに〈灰とダイヤモンド〉の由来は、ポーランドの同名戦争映画。灰のような世界で輝く「生」の純粋さ。珠玉の名画が持つそんな深いテーマを、彼らの姿に重ね合わせて……。
オリビア・ニュートン・ジョン、イギリスのケンブリッジに生まれる。5歳の時にオーストラリアに移住し、'71年ボブ・デュランの「イフ・ノット・フォー・ユー」でデビュー。'74年「愛の告白-I Honestly Love You」が初の全米第1位になり、グラミー賞も受賞。そのクリスタル・ヴォイスは日本でも人気爆発で、来日コンサートは13万人動員した。その後も'81年には「フィジカル」が大ヒットし、時代に合わせ、ロック路線やセクシー路線、そして映画出演など、常に既存のイメージを壊しつつ、活躍を続けている。

小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の命日。彼が書いた怪談の中から「黒髪」「雪女」「耳無芳一の話」「茶碗の中」の四篇を収録したオムニバス映画『怪談』は幽玄かつ壮大なスケールが話題となり、第18回カンヌ国際映画祭審査員特別賞を受賞した。 日本の文化でもある都市伝説、“怪談”を世界に広めた文学者。
アルバム『アビイ・ロード』英国発売(米国では10月1日、日本では10月21日)。英国では17週間1位、米国では11週間1位を記録。日本でも最高3位を記録した。最後のスタジオ・レコーディング・アルバムである『アビイ・ロード』は、「ゲット・バック・セッション」が終わったあとも断続的に続いていたレコーディングを、ジョージ・マーティンがポールの依頼でプロデュース。7月1日からはEMI第2スタジオをおさえて進行し、ベーシック・トラックは7月中に録音終了。そして、8月20日に行なわれた「アイ・ウォント・ユー」のオーヴァーダビング作業が、4人がスタジオで顔を合わせた最後の日となった。