

「カモン・エヴリバディ」「サマータイム・ブルース」などで知られるロックンローラー、エディ・コクランが米国ミネソタ州に生まれる。従兄弟のハンクとともに“コクラン・ブラザーズ”として活動を開始したのは17歳の頃。50年代後半に数々のヒットを飛ばした、ロックンロール黎明期を代表するミュージシャンのひとりだ。先述の2曲は様々なアーティストがカヴァーしており、コクランの名を知らずとも楽曲を聴いたことはあるはず。60年、21歳の若さで死去している。
モトリー・クルーのドラマー、トミー・リーがギリシャに生まれる。すぐに米国カリフォルニアに移住し、初めてドラムに触れたのは4歳の時だったとか。本格的にドラマーを志したのは10代になってからで、キッスやレッド・ツェッペリンでロックに目覚めたという。ドラマーというと地味な印象がなきにしもあらずだが、この人は完全に別格。80年代には、空中で360度回転するドラム・キットをライヴで用い、ファンを仰天させたのは有名な話だ。
大沢誉志幸、東京都杉並区高円寺に生まれる。高校生のときに結成したR&Bバンドは〈コンテスト荒らし〉の異名をとり、プロ・デビュー後は沢田研二の「おまえにチェックイン」、中森明菜の「1/2の神話」などのヒット作を手がけて依頼が殺到。1984年の「そして僕は、途方に暮れる」は、カップラーメンCMとの相乗効果で大ヒットした。99年に一旦シンガーとしての活動を停止した大沢。そのラスト・ライヴではアンコールが4回も起こり、照明が明るくなってセットが解体されても誰1人会場を出ようとしなかったという。その後、2001年に復活を果たしている。

バックストリート・ボーイズの、ケヴィン・スコット・リチャードソン、3人兄弟の末っ子としてケンタッキー州に生まれる。グループ内で最年長であるケヴィンは、厳格なクリスチャンの両親の元、何不自由なく育ち、社交ダンスのインストラクターの資格なども取得。そして、'93年ディズニーワールドでアラジン役を演じていたところを、才能ある新しいメンバーを探していた、同グループ(当時はニック、AJ、ハウィー・Dの3人)に誘われ、従弟のブライアンとともに参加することとなったのであった。


ロックとオーケストラの融合という、ポールが長年温めていたアイデアを実現した「ロケストラ」のレコーディングが行なわれた。 ポールが自ら電話してミュージシャンを誘い、セッションにはピート・タウンゼンド、デイヴ・ギルモア、ジョン・ボーナムら総勢23人が参加。エンジニアのマイク・ヴィッカーズはレコーディングをこう回想する。「1週間前になって撮影もあると知らされた。ポールは懸命に、カメラは見えない位置に置いてほしいと言ったんだけど、そうもいかなくて。映画会社はいろんな高さでカメラ用の仮設の壁をスタジオの端に作ったから、ラインを臨時で引いて。全部で約60本のマイクを使わないといけなかったし、レコード用と映画のサウンドトラック用に24トラックのテープ・マシンが2台ずつ必要だったし。スペースの関係で、それぞれのドラムにはマイク4本つけるのがやっと。できるだけのことをするしかなかったけれど、そのわりにはよくやったと思う」