

つんく率いるシャ乱Qがメジャー4枚目となるシングル「ズルい女」をリリース。前作の大ヒット・バラード「シングル・ベッド」とは一線を画すアップ・テンポのナンバーながら、切ない歌詞とメロディはつんくが得意とするところ。この曲も売れに売れ、つんくの細〜い眉毛やメンバーの奇抜なファッション、大阪出身らしいギャグ・センスでお茶の間にも存在を浸透させた。いろいろな意味でバンドのターニング・ポイントとなった1曲と言えるだろう。
歌手の橋幸夫が9人兄弟の末っ子として東京都に生まれる。本名は橋幸男(読みは同じ)。1960年に歌手デビュー、そのデビュー曲「潮来笠」がいきなりの大ヒットとなり、日本レコード大賞新人賞を受賞した最初の歌手となる。吉永小百合とのデュエット「いつでも夢を」(62年)や「恋のメキシカンロック」(68年)などヒット曲を連発し、瞬く間に国民的な人気を博した。その独特の歌唱法は、ぼんちおさむによる大袈裟なモノマネでもお馴染みだ。
20世紀黒人音楽最大の功労者、ジェイムス・ブラウン誕生。貧しい家に育った彼は非行に走り、10代の頃少年院に入るが、その後音楽に目覚めて21歳でプロ・デビュー。跳ね上がるような独特の唱法、絶妙な掛け合い、そしてソウルフルなダンスで一気にスターダムへのし上がる。ファンク・ミュージックの創始者であり、現在のライヴ・パフォーマンスは、ほぼ彼から生まれたと言っても過言ではない。カップラーメンのCMやSMAPとのジョイントなど、本業以外でも日本人にはおなじみ。
プリンセス・プリンセス、ユニコーン、スピッツなどのプロデュースで有名な笹路正徳、群馬県に生まれる。若手バンドのプロデュースや楽曲アレンジで知られているが、もともとは超技巧音楽集団マライアなどで活躍していたキーボード奏者。小学校時代にピアノを習い、中学時代はクリーム、ジミ・ヘンドリックス、その後セルジオ・メンデス、マイルス・デイヴィス、ハービー・ハンコックなどに傾倒。趣味はシュールな絵を見ることであるようだが、好きな食べ物はカレー、と意外と普通。


俳優・野村宏伸が生まれる。1984年、映画『メイン・テーマ』のオーディションで23,000人の中から選ばれて俳優デビュー。1987年、『教師びんびん物語』で、田原俊彦と熱演した先輩後輩教師コンビが人気となり一躍ブレイク。アイドル路線での活動、教師びんびん〜で演じた榎本の頼りない風貌から一転、近年では数々のドラマでその成長ぶりがうかがえる。
ビートルズ初の来日公演が、読売新聞朝刊に「待望の日程決まる」という見出しで発表された。そこには6月30日から7月2日までの3日間の公演日程、会場、チケットの販売方法、値段などが掲載されていた。また、この記事には読売新聞による演奏予定曲目が掲載されていたのだが、実際に演奏されたのは「ベイビーズ・イン・ブラック」と「アイ・フィール・ファイン」の2曲だけだった。のちのチケット抽選には3万枚のチケットに対して約21万枚の応募があった。また、この来日公演の放映権は日本テレビが獲得し、7月1日の夜9時から放映された。