


シンガー・ソングライターの柴田淳が東京都に生まれる。幼少期からピアノのレッスンを受け、高校時代に聴いたSing Like Talkingの「離れずに暖めて」をきっかけに歌手を目指すようになった。インディーズでの活動を経た後、2001年に「ぼくの味方」でメジャー・デビュー。当初からインターネットを活用し、さまざまな層から注目を浴びる。シンガーとしてはもちろん、ラジオのパーソナリティも好評。女優にも挑戦するなど、多彩な活動を見せる才女だ。
ソウルフル・ヴォーカルが魅力の松崎しげるが東京都に生まれる。2000年にはデビュー30周年を迎え、ハジケまくった松崎。まず注目を集めたのが、9月に発売されたピチカートファイヴ with 松崎しげる名義のマキシ・シングル「東京の合唱」。小西康陽からの熱烈ラヴ・コールを受け、野宮真貴とともに超ポップなナンバーを熱唱。また毛髪クリニックのCMに出演したり、『親父の爪のアカ』なる本を出版したり、11月29日にベスト・アルバム『Eternal Love』も発売と、52歳にして破竹の勢い(子供も生まれた)で活動していた。
ユーミンの夫にして、音楽プロデューサーの松任谷正隆、東京に生まれる。50歳になった今でも〈慶應義塾出身のおぼっちゃん〉な風体はそのままに、TV番組『カーグラフィックTV』や『FUN』などのひょうひょうとした司会ぶりで、若い子からの認知度もUP。しかし、その実彼が〈ユーミン〉成功の立て役者であることはもちろん、'70年代前半のポップスのサウンドを一新した最強のリズム・セクション&プロデューサー・チーム「キャラメル・ママ」(細野晴臣や鈴木茂ら)を結成した一員だったことを忘れてはならない。
T-REXのマーク・ボランがデビューシングル「ザ・ウィザード」を発売する。'47年マーク・フェルドとして生を受けたボランは、幼いころからスターに憧れバンドやモデルをしながらレコード会社に売り込んでいたが、思ったように売れなかった。単身フランスへ放浪の旅に出たボランは、そこで魔法使いと出会い(ボランの妄想という説あり)、それに敬意を表してこの1stが完成することとなる。初期サンプルを見たボランは、プロデューサーによって名前が「マーク・ボーランド」に変えられたことに激怒。元通りにさせたという。


ジョージ自身のレーベル、ダーク・ホースから移籍後初のアルバム『33 1/3』が英国、米国で同時発売(日本では12月10日)。全英最高35位、全米最高11位、日本では最高23位を記録。タイトルはジョージ自身の年齢とレコードの回転数にひっかけたもの。このアルバムの制作時はパティとの離婚や盗作問題による裁判など問題をいろいろ抱えていたが、アルバムの内容は宗教色が薄れ、ポップな作品になっている。