

女優の杉田かおるが東京都に生まれる。幼い頃から子役として活躍し、7歳で出演したドラマ『パパと呼ばないで』のチー坊役で人気が爆発、天才と称された。『3年B組金八先生』での“15歳の母”、『池中玄太80キロ』の挿入歌「鳥の詩」の大ヒットなど、注目を集める女優となったが、その裏には借金まみれの惨状があったそうだ。一時の低迷期の後、バラエティ番組での毒舌ぶりで人気が再燃、チー坊を知るファンの嘆きをよそに大活躍する。
英国のグラインドコア・バンド、ナパーム・デスのベーシストであるシェーン・エンバリーが誕生。とにかくメンバーの出入りが激しいN.デスにおいて、87年の加入から徐々にその存在感を強めてきた男だ。オリジナル・メンバーがすべていなくなってからというもの、バンドの顔はこの人。強烈なインパクトを誇る“爆発”ヘア・スタイルがトレードマークだった時期もある。多数のプロジェクトにも関与する、英国アンダーグラウンド・シーンの重鎮だ。
小室哲哉、東京都世田谷区三軒茶屋に生まれる。哲哉の「哉」は母親がファンだったヴァイオリン奏者から取られ、案の定彼もヴァイオリンを習うハメに。しかし、エレクトーン、ギターと興味を移していった彼は、驚異的スピードでコードを覚え、高校生のときに聴いたT・レックスをきっかけにロックを聴きあさり、早稲田実業高等学校在学中にニュー・ミュージック系「哀婉」を結成、キーボードを担当する。1983年にTM NETWORKを結成してからの活躍は周知の通り。
今もなお伝説として語られるギタリスト、ジミ・ヘンドリックス、ワシントン州シアトルに生まれる。ジミヘンといえば、その卓越したセンスと、右利き用のギターを逆さまにして弾く独特のスタイルやエキセントリックなパフォーマンス。有名な歯弾き奏法を上手く行なうコツは、“毎日3回歯を磨くことだよ”と答えたとか。死後どれだけ経っても未発表音源のリリースは止まるところを知らない。ホント、いつまでCDの発売は続くのだろうか……。
現在、日本を代表する俳優として成長を続ける浅野忠信、横浜に生まれる。'88年に「3年B組金八先生PART3」で俳優デビュー、'90年「バタアシ金魚」で映画デビュー。俳優としての活動は周知の通りだが、バンド活動もかなり盛んにやっており、'89年にバンド・ピースピル結成。ヒップホップ、ラップ、ポップ、ハードコア、レゲェ,etc.何でもありのライヴ活動を行ない、また映画監督・石井聰互のバンド、MACH 1.67に参加したり、ピースピルの活動に行き詰まっていた時期には、初のソロプロジェクト・ブーノダッタも始動させている。
CLAMP原作によるTVアニメーション『魔法騎士(マジックナイト)レイアース』が、第2章第29話『勝利への道!信じる心が開く明日!』(第1章も含めると全49話の最終回)を以って放映終了。テレビ版“レイアース”は監督に『超時空要塞マクロス』『Dr.スランプ アラレちゃん』『メガゾーン23』の作画監督として知られる平野俊弘、音楽にすぎやまこういち/松尾早人の“ドラゴンクエスト”シリーズコンビを起用。好評を博した。

ジョージ、3枚組の大作アルバム『オール・シングス・マスト・パス』米国発売(英国では30日、日本では71年2月21日)。米国では7週連続1位を記録、英国、日本ともに最高4位を記録した。プロデューサーはフィル・スペクター。アルバム『レット・イット・ビー』のオーヴァーダビングやミックス作業の見学の際に、ジョージがプロデュースを依頼。収録された楽曲にはビートルズ時代に書かれたものも多く、「オール・シングス・マスト・パス」「イズント・イット・ア・ピティ」などは69年1月の「ゲット・バック・セッション」で取り上げられた楽曲であった。