1934(昭和9)年12月26日に日本初となるプロ野球球団・大日本東京野球倶楽部が誕生したことから、「プロ野球誕生の日」となっています。その後、球団名が読売ジャイアンツ(読売巨人軍)に改称したため、「ジャイアンツの日」とも呼ばれています(1920年に最初のプロチームとなる日本運動協会が設立されていますが、1929年に解散)。
同年11月にベーブ・ルースら米大リーグ選抜チームが来日し、全日本チームなどと対戦を行ないましたが(結果は米大リーグ選抜が16戦全勝)、そのためにプロ野球チームの大日本東京野球倶楽部を創立。全日本代表チームの選手を中心とした19名が選ばれ、
沢村栄治、三原修、水原茂らが在籍していました。
ただ、当時は東京六大学野球や高校野球の人気が高く、前年の1933年には中京商業が夏の甲子園大会3連覇を達成し、戸塚球場で日本初のナイター(早稲田大学2軍対早稲田大学新人戦)が行なわれるなど、話題性も豊富。一方、プロ野球は当初“職業野球”と蔑視されることも少なくありませんでした。
しかしながら、1936年に東京巨人をはじめ、大阪タイガース、名古屋、東京セネタース、阪急、大東京、名古屋金鯱の7球団により日本職業野球連盟が創立。プロ野球のリーグ戦が始まると、技術の高さもあって次第にファンを獲得。なかでも東京巨人軍は、3度のノーヒットノーランを記録した豪腕・沢村や42勝をあげたスタルヒン、プロ野球初の三冠王のタイトルを獲得した中島治康らの活躍で、太平洋戦争中断までの11シーズンで8回の優勝を飾り、第一次黄金期を築きました。
1941年に太平洋戦争が勃発すると、日本職業野球連盟(現・日本野球機構)より英語禁止が通達され、ジャイアンツの名称は用いず、ユニフォームのマークや球団旗が漢字の「巨」に変更されました。
なお、チーム名ですが、大日本東京野球倶楽部から1935年より東京巨人軍、1947年より読売ジャイアンツと変遷していますが、“巨人”となったのは、米大リーグとの対戦時に米大リーグのジャイアンツの関係者たちが「チーム名が呼びにくい」と指摘。「トーキョージャイアンツにするのはどうか」との提案を受け入れて、“ジャイアンツ”を和訳した“巨人”が、のちに正式名称として採用されることになりました。
(写真は、2025年3月リリースのヒット・エンド・ランによる選手別応援歌集『
読売ジャイアンツ 選手別応援歌 2025』)