大石 始 presents THE NEW GUIDE TO JAPANESE TRADITIONAL MUSIC - 第2回:アラゲホンジ
掲載日:2012年06月26日
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 大石始 presents THE NEW GUIDE TO JAPANESE TRADITIONAL MUSIC
第2回:アラゲホンジ

アラゲホンジ
トーキョー・ワッショイ!! VOL.1(ダイジェスト)

 みなさんはアラゲホンジというバンドをご存知だろうか? 秋田県湯沢市出身の齋藤真文(ヴォーカル/ギター)を中心にして2007年に結成された彼らは、「秋田音頭」や「秋田萬歳」といった郷土芸能〜民謡をソウルフルなバンド・サウンドで蘇らせて話題を集めているバンド。昨年発表された1stアルバム『アラゲホンジ』では美空ひばりの名唱で知られる「リンゴ追分」がサンバ・ファンク風にカヴァーされていたり、祭り囃子がラテン・ファンクと絶妙に配合されていたりと、かなりユニークな内容。村祭り的な爆発力を持ったライヴ・パフォーマンスの噂が口コミで広がっていることもあって、その不思議なバンド名をあちこちで目にするようにもなってきた。秋田の郷土芸能が持つ底なしの魅力と、それを現代流に表現しようとした経緯を中心に、リーダー/ソングライターである齋藤真文に話を訊いた。


5月13日、青山・月見ル君想フで行なわれたイベント『トーキョー・ワッショイ!! Vol.1』より。
撮影/ケイコ・K・オオイシ(以下同)


日本の伝統音楽を採り入れることで満足せず、
ユッスー・ンドゥールやジルベルト・ジルと同じように聴けるまでやろうと思ったんです
――斎藤さんは何年生まれなんですか?
 「78年です。生まれは母親の実家がある秋田県横手市なんですけど、2年間は東京の江古田に住んでました。それから高校を卒業するまで湯沢市ですね。だから、故郷は湯沢だと思ってます」
――湯沢ってどんな場所なんですか。
 「江戸時代に酒造りで大きくなった町なんですよ。他の町に比べるとちょっとだけ文化的レヴェルが高い感じなんですけど、民謡や伝統芸能はそれほど盛んじゃなかった。年に3回大きな祭りがあって、夏は参勤交代を模したパレードが行われるんですけど、その中でお囃子が出るんですね。竿燈(注1)と西馬音内の盆踊(注2)のお囃子に似たものでしたが、でも、あそこまで規模の大きいものではなかった」
注1:竿燈/かんとう。8月に行なわれる秋田を代表する夏祭り。巨大な竿燈をアクロバティックに操るあたりが見所。
注2:西馬音内の盆踊/にしもないのぼんおどり。秋田南部、羽後町西馬音内で行なわれる盆踊り。
――同級生で郷土芸能をやってる友達は?
 「郷土芸能クラブはあったんですけど、年中活動しているわけではなく、お祭りの前に有志が駆り出されるというシステムでした。だから、東京の中高生とそんなに変わらないと思いますよ。ただ、ちょっと違うと思うのは、大人になってから秋田のお囃子を聴いた時、感覚的に分かるものがあったんですよ。小さい頃から伝統芸能に関わっていたわけではないので、大人になってからじゃ入り込めないかと思ってたんですけど、聴けば聴くほど身体と感覚がフィットしてきたんです。自分のバイオリズムに近いものがあったんでしょうね」
――それは面白いですね。
 「ウチの母方は室町時代から秋田にいた家系らしいんですよ。僕自身もその土地の習慣と食べ物で育ってきたので、土地の音楽に自然とフィットするように育ってきたのかも」
――楽器に初めて触れたのはいつ頃?
 「母親がピアノの教師免許を持っていたので、3歳からピアノを弾いてました。じいちゃんも父親も市民管弦楽団に入ってたので、音楽に理解のある家庭だったとは思います。ただ、ちゃんとバンドを組んだのは大学に入ってから。その頃から漠然と音楽で生活したいと思ってて、自分の曲も作りはじめました。でも、方向性も決まってなかったので悶々としながらやってましたね」
――その方向性が固まってきたのは?
 「同じ大学にHermann H & The Pacemakers(注3)というバンドがいたんですよ。彼らはマジで都会の人たちで、当時は全部英詞だった。それが衝撃的に格好よくて……東京に来る前は自分が都会の人間だと思ってたんですけど、思いっきり田舎の人間だったことに気づかされまして(笑)。その時、絶対に自分の歌詞で英語は使わないと決めたんですよ。彼らのようには絶対にできないと」
注3:Hermann H & The Pacemakers/97年に結成され、2004年に活動を休止したバンド。2012年には再結成ライヴも行なった。
――なるほど。
 「その後、英米のロックを聴いても飽き足らなくなった頃、コーネリアス『FANTASMA』(97年)というアルバムにハマッて、一気に音楽の世界が広がったんですね。渋谷系やモンド・ミュージックを聴くようになって、その流れの中でブラジルやアフリカの音楽も聴くようになって……」
――90年代後半の東京の音楽リスナーとしては非常に真っ当なルートですね(笑)。
 「そうですね(笑)。ただ、その中で“自分の音楽をやらなくちゃいけないんだな”と思うようにもなっていったんですね。自分がやろうとしてることは細野晴臣さんか山下達郎さん、もしくは小西康陽さんがすでにやってることに気づいたんですよ。今から小西さんほどレコードを集められるわけもないし、小山田圭吾さんみたいにギターを弾けるわけでもないし……と考えた時、“自分の生い立ちを押し出すことでしかオリジナリティを獲得できない”という結論に達して、それがアラゲホンジの原型になったんです」
――郷土芸能とそれまで聴いてきたようなポップ・ミュージックを融合しようというイメージ?
 「当時はそこまで意識できてなくて、フェラ・クティやレゲエの自分版をやろうと思ってました。地元のリズムや歌をアップデートしたものというか。ユッスー・ンドゥールジルベルト・ジルが伝統楽器や伝統音楽を使って格好いいものを作っているように、日本の伝統的なリズムを使ったって格好いいものを作れると思ったんですね。日本の伝統音楽を採り入れることで満足せず、(ユッスー・ンドゥールやジルベルト・ジルと)同じように聴けるまでやろうと思ったんです」
――子供の頃から民謡や郷土芸能に触れてきたわけじゃない斎藤さんがその方向に向かったのは、“あっちに何かあるんじゃないか?”という直感みたいなものがあったからなんですか?
 「そうですね。あと、僕は小さい頃から民謡をやってたわけじゃないですけど、“そこにしか自分がやるべきことはない”と思ってましたし、割と頭で考えてそちらにいった部分もあります」
――それから伝統芸能を勉強しだした、と。
 「24か25歳の頃、まずは和太鼓を習いに行こうと思ったんですよ。“日本の音楽にはリズムがない”なんて言われますけど、絶対ウソだと思ってたんですね。それで自分の中のリズム感覚から変えようと思って、板橋の荒馬座(注4)に民舞と民謡を10ヵ月間習いに行ってました。ただ、和太鼓を習いに行ったんですけど、荒馬踊り(注5)という踊りをやったらめちゃくちゃ楽しくて(笑)。本当にいいビートなんですよ。荒馬座では日本の民族音楽のメジャーどころはだいたい教えてもらえたので、それも大きいですね。水口囃子(注6)とか有名なお囃子は全部荒馬座で教えてもらいました」
注4:荒馬座/東京・板橋で66年に創立された民族歌舞団。現在も関東を中心に数多くの公演活動、民舞教室を開催している。
注5:荒馬踊り/青森県の今別町大川平に伝わる踊り。アラゲホンジの楽曲「藍や真紅に白い百合」には荒馬踊りのお囃子が使われている。
注6:水口囃子/滋賀県水口で毎年4月に行なわれる水口曳山まつりの囃子。
東北の民謡はニュー・ソウルっぽいんですよ。特に青森と岩手。
秋田はちょっと拍子がヘンなので、プログレッシヴ・ソウル的
――伝統芸能を勉強していく中で挫折したことはなかったんですか?
 「作曲に関しては27歳ぐらいまで挫折の繰り返しだったんですけど、芸能に落胆したことはないですね。荒馬座に通い出す前、図書館で民謡全集を借りてきたことがあったんですよ。そこに載ってた<外山節>(注7)っていう岩手の民謡を歌ってみたら、内側から込み上げてくるものがあって。今でもその感覚は覚えてるんですけど、好きで好きで仕方なかったスティーヴィー・ワンダーの曲を歌っても得られることのなかった感覚だったんですね。その時に“やっぱり自分の身体に合う音楽がここにあるんだな”と確信したんです。あと、<外山節>がソウル感覚で聴ける曲だったのも大きいかもしれませんね」
注7:外山節/岩手県盛岡市に伝わる民謡で、もともとは草刈り作業唄。
――確かに東北の民謡が持つソウル感ってありますよね。江州音頭(注8)や河内音頭(注9)がファンクだとすれば、東北の民謡はソウル。
 「そうそう、東北の民謡はニュー・ソウルっぽいんですよ。特に青森と岩手。秋田はちょっと拍子がヘンなので、プログレッシヴ・ソウル的。秋田だけちょっとヘンなんだよな。掴みどころが難しいというか」
注8:江州音頭/滋賀県の各地域で親しまれている音頭。
注9:河内音頭/全国的な知名度を誇る、大阪・河内地方の音頭。
――東北の民謡も土地によってカラーが全然違いますよね。それこそ同じ県でも全然違う。
 「そうですね。ウチの実家の近くに小安温泉っていう有名な温泉地があるんですけど、南に行くと院内銀山っていう銀山があって、その麓には花街があったんですね。そういう場所には中央から落ちてきた芸者が集まってきたそうで、全国各地の芸能のメルティングポットになってたそうなんですよ。その頃のことは熊谷新右衛門(注10)という方が書いてまして、19世紀にすでに<秋田音頭>(注11)の原型のようなものがあったと。そういう場所がある一方で、閉鎖的な共同体の中で芸能が育まれてきた例もあって、すごく多次元なんです」
注10:熊谷新右衛門/気仙沼の大工。秋田まで米を買い付けにいく道中を記した著作『秋田日記』で知られる。
注11:秋田音頭/秋田各地に伝わっていた即興的な唄が明治時代に統合されて作られたもの。アラゲホンジのほか、SOUL FLOWER UNIONもカヴァーしている。

『アラゲホンジ』

――「秋田音頭」のフロウはものすごく独特ですよね。でも、ラップ的とも言えるあの独特のフロウがどこから出てきたのか、いまいち分からない。秋田にはそういう謎の部分を感じるんですよ。
 「秋田人の気質として割と外のものを受け入れる傾向があるんですね。岩手は“日本のチベット”とも言われるし、青森は北のどん詰まりなわけですけど、秋田には越後から船が渡ってきたり、内陸から伝わってくるルートがあったり、鉱山が多かったため花街が多かったりと、いろんなことが影響してる。だから、縄文的なものの上に大陸的なものが乗っかっていたり、混血の文化が息づいてるんですよ。ねぶたもそうですけどね。アイヌ的なものの上に中国的な装飾が加えられているわけで、だからあれだけ派手なんです。ブラジルも同じようにインディオ的なものとポルトガル、アフリカ的なものが混ざり合って独特のクレオール文化が生まれたわけですけど、東北もそういうところがあって、中でも秋田は分かりづらいぐらい混ざり合ってるんです」
――なるほど。
 「だから、アラゲホンジのメンバーは出身地/バックグラウンドも全然違いますけど、僕がまとめれば“秋田的”な混血音楽になると思ってて」
――“混血音楽”っていうのは前回の大島保克さんが故郷の石垣島・白保について話していたこととも重なってきますね。
 「それは縄文文化のひとつの特徴なのかもしれませんね。縄文人はとりあえずヤッちゃうんですって。子孫を増やすために番(つが)うらしいんですよ。国を作らず、言葉を持たず、生存本能で番っていく。そういうところが縄文の文化にも影響を残しているのかもしれませんね。……ちょっと話が脱線しすぎですけど(笑)」
伝統芸能や民謡の中に閉鎖性を感じるとすれば、
それは手っ取り早く気持ち良くなれるルールとかフォーマットが決まってるからだと思うんです
――いずれにせよ、伝統芸能や民謡っていうと閉鎖的で保守的な世界だと思われがちな反面、その奥底にはユニヴァーサルなものが横たわっていたりするんですよね。僕はそこが面白いと思ってて。
 「伝統芸能や民謡の中に閉鎖性を感じるとすれば、それは手っ取り早く気持ち良くなれるルールとかフォーマットが決まってるからだと思うんですよ。踊り方やリズムが決まっているわけで」
――すぐトランスに入れるよう機能性が追求されてる、と。
 「そう、そういうことです。その機能性というものはその土地固有のものであって、他の土地の人間にとっては機能的じゃなかったりもして、そこがちょっとややこしい。一歩踏み込めばものすごく快楽が待ってるんですけど、その前のルールの段階でハードルが上がっているようにも思われたりするんでしょうね」
――言ってしまえば、ハウスもそうですよね。BPMがどれぐらいで、四つ打ちのキックが入って……と決まってるわけですけど、そこには機能性が追求されてる。モロッコ〜アルジェリアのグナワもそういうトランス音楽ですけど、日本の民謡や伝統芸能も同じだと思うんです。
 「まさにそうですね。秩父の屋台囃子なんて、ブラジルやモロッコで得られるものと同じぐらいの快楽があると思いますしね」
――で、僕はアラゲホンジはそういった感覚を体感させてくれる数少ないバンドのひとつだと思ってるんですよ。
 「いやー、そうだとしたらそんなに嬉しいことはないですね。土地のお祭りに感じるような、デカくて深いものを僕らのライヴに感じてくれる方がいたなら、そんなに素晴らしいことはないと思ってます」
――あえて言うならば、日本の伝統音楽や郷土芸能をモダンに表現しようとすると、失敗するケースが本当に多いじゃないですか。
 「そうですね(笑)」
――“日本”という記号を無理矢理加えただけだと、どうも取って付けたようなミクスチャーになってしまう。でも、アラゲホンジはパッと聴いた時の感覚が全然違うんですよ。ひとつひとつの要素がしっかり結びついてて、なおかつ自然で。
 「最終的に“アリ”か“ナシ”かを判断する場合、それが例え秋田のものだったとしても、最終的に自分の感覚に頼るしかないと思ってます。<秋田音頭>にしても、単なる記号としてやるのはイヤだったんですね。あの曲のアレンジはほぼワン・コードなんですけど、最初から“元のお囃子のリズムを変えない”と決めてて、テンポもそれほどは変えてないんです。細かいリズムを加えたらエイジアン・ダブ・ファウンデーションみたいになるんじゃないかと」
――他の曲はどうやってアレンジしてるんですか。
 「モチーフになるリズムがあったとすれば、それをベースにメロディを乗せたりギターを乗せたり……あとは“ジョルジ・ベンの<Taj Mahal>とねぶたのお囃子を合わせたらどうなるだろう?”なんて野望を形にしてみたり。全体の7割ぐらいのイメージは頭の中で先にできてる感じですね」
――ライヴでは「斎太郎節」(宮城)や「相馬盆唄」(福島)もやってますけど、震災前からやってるんですか?
 「いや、震災後からです。震災に関しては僕の中でもまだ整理が付いてないんですけど、とりあえず取り上げないといけないと思って。芸能は土地の精霊や魂のようなものを記憶しているので、ひとりでも多くの人がそれを伝えていかないといけないんじゃないかって……原曲にリスペクトを払いながら、それを自分たち流に表現したいと思ってカヴァーしてます」
――今後の活動についてはどんなイメージを持ってますか。
 「ちょっとしたシーンにしていけたらいいですよね。で、ゆくゆくは我々のルーツを使って独自のサウンド・フォーマットを作れたら……それこそアフロ・ビートみたいに」
――手応えを感じてます?
 「うん、感じてますね。メンバー・チェンジを経て、今は本当のバンドになりつつあるような気がするし、これからどうなっていくのか自分でも楽しみなんです。自分の考えを越えたところでバンドが動いてるような感覚があるんですよ」
[アラゲホンジ最新情報]

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