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和田彰二=著
『漣流(さざなみりゅう)〜日本のポップスの源流を作り出したヒットメーカー〜』
草野昌一×漣 健児
2009年4月23日発売
A5判 256頁
本体2,000円 + 税
雑誌コード:64371-50
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「赤鼻のトナカイ」を皮切りに400曲以上の日本語カヴァー・ポップスを生み出し、『ミュージック・ライフ』の初代編集長としても活躍した漣健児=草野昌一。日本のポップスの時代を切り拓いたヒットメーカー、初の自伝!

60年代の日本語カヴァー・ポップスのオリジネイター、漣健児。その正体は、牛込生まれの東京っ子・草野昌一。ロック少年・少女を熱狂させた『ミュージック・ライフ』の初代編集長にして、ウエスタン・カーニバル、GSブーム、世界が注目したビートルズの独占取材の仕掛人。そして60年代から80年代にかけて著作権からファッションまでロックをビジネスに育て上げ、ビートルズを賭けてマイケル・ジャクソンと闘ったロックンロール・ビジネスマン。それが漣健児=草野昌一。
〈漣流〉の時代を日本のポップス・クリエイターたちが証言!

朝妻一郎 / 飯田久彦 / 市村恵美子 / カマチガク / 草野浩二 / 草野夏矢 /高 護 / 九重佑三子 / 小山恭永 / 財津和夫 / サエキけんぞう / 佐藤 剛 / 田辺靖雄 / デリシャススウィートス / 東郷かおる子 / 中山加奈子 / 長谷部 宏 / ピーター・バラカン / 弘田三枝子 / 星加ルミ子 / 森山良子 / 山本隆士 / 湯川れい子 / 渡邊美佐(敬称略・五十音順)

【主な内容】

第一章 敗戦の国に起こったひとつめの漣
第二章 ウエスタン・カーニバルの時代、ロカビリー・マダムとの出会い
第三章 漣健児、そしてカヴァー・ポップスを生んだ兄弟
第四章 ビートルズ来日大作戦!
第五章 新たなビジネスの光明
第六章 シンガー・ソングライターの時代、アーティスト・プロダクツのはじまり
第七章 70年代、音楽雑誌黄金時代
第八章 いくつかのダイアモンド
第九章 漣健児、再評価の時代
第十章 それぞれの漣トリビュート
第十一章 シャンテ、そして「いっしょ」
第十二章 最後の日々、そして未来への漣

草野昌一(くさの・しょういち) / 漣健児(さざなみ・けんじ)
訳詞家・作詞家・編集者。シンコー・ミュージック前会長。1931年(昭和6年)、東京生まれ。1951年(昭和26年)、新興楽譜出版社に入社し、休刊中だった『ミュージック・ライフ』の編集長に就任。1957年(昭和32年)以降、主に漣健児の名前でアメリカン・ポップス、ロックの訳詞を400曲以上手がけた。また、訳詞をきっかけに音楽出版ビジネスをいち早く手がけ、未整備だった日本の音楽出版ビジネスの道も切り拓いた。2005年(平成17年)死去。享年74。

***************** お詫びと訂正 ****************

CDジャーナル・ムック『漣流〜日本のポップスの源流を作り出したヒットメーカー』において以下のような誤りがありました。ここに訂正するとともに、ご迷惑をおかけした読者ならびに関係者の皆様にお詫び申しあげます。

●裏表紙の「九重祐三子」さんのお名前は、「九重佑三子」さんの誤りでした。

●P.176本文内の草野昌一氏とマイケル・ジャクソンのビートルズ出版権争いは、SBK「買収後」(1987年)ではなく、「買収前」(1985年)の出来事でした。

●P.193キャプションのCDボックス『60年代の60曲』は「4枚組」ではなく「3枚組」の誤りでした。
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