




自宅の玄関前で何者かにナイフで刺されて死去、享年37歳。1934年2月17日、テキサス州フォートワースに生まれ、後にニューヨークで活躍。15歳ころからバンドを作り、20代前半で頭角を現す。コースターズ、オーティス・レディングなどのバック演奏で強い印象を残した。60年頃から自己名義のレコードを発表、62年の「ソウル・トゥイスト」がヒット。洗練を好まず、あくまで渋く熱いプロウを聴かせた彼のプレイはR&Bサックスの典型とされる。
岡村靖幸、神戸に生まれる。デビュー前から渡辺美里に楽曲を提供しており、美里のレコーディング時の独創的なパフォーマンスが自身のデビューのきっかけとなる。プリンスを敬愛し、ステージ上で一枚ずつ服をぬいだりセクシー・ポーズをとるなど、河村隆一も真っ青のナルシスティックな行動・言動でファンを魅了。早口でエロティックな言葉が凝縮された歌詞、さらりと転調する独特の楽曲はアーティストからの支持も高い。川本真琴のプロデュースなども手がける。
ホフディランの小宮山雄飛、東京に生まれる。Tokyo No.1Soul Setの前座を務めたことがきっかけで、渡辺 慎とホフディランを結成。'96年「スマイル」でデビュー。〈90年代フォークの旗手〉として注目を集め、2ndアルバム『Washington,C.D.』はオリコン初登場10位となる。その後もマイペースに活動を続け、最近では、架空のデザイン集団を結成して、グリム童話を出版したり、Tシャツをデザインしたりと、歌以外の活動もさかん。そういえば、一時期名乗っていた「テンフィンガー・ユウヒ」という名前、もう使わないんですかね〜。


ヨーコも参加したこの日のセッションで、ジョンは「ホワッツ・ザ・ニュー・メリー・ジェーン」のレコーディングを開始。この曲のクレジットはレノン=マッカートニーとなっているが、ジョンはのちにアレクシス・マーダスと一緒に書いたと語っている。レコーディングで演奏したのはジョンとジョージだけで、歌っているのはジョンのみ。しかし、この日のセッションで録音した4テイクには、ヨーコとマル・エヴァンズも参加した。アルバム『ザ・ビートルズ』に収録される予定だったこの曲は、ぎりぎりのところで外され、69年12月にプラスティック・オノ・バンド名義のシングルとして「ユー・ノウ・マイ・ネーム」とのカップリングで発売する計画が持ち上がるも結局発売されず、96年の『アンソロジー3』で陽の目をみた。