

英国のロック・シンガー、キース・レルフがロンドンに生まれる。彼と言えばヤードバーズで有名な訳だが、シンガーとして名声を得たとは言えない。レルフが下手だからジミー・ペイジは新しいシンガーを探したと言われ、ルネッサンスは彼がいなくなってからの方が人気があり、アルマゲドンではヴォーカルが弱点などと、その評価は散々だ。しかし、彼がヤードバーズを結成しなければ、後のロック・シーンは大きく変わっていただろう。76年、33歳で死去している。
ミュージカルの作曲家として著名なアンドリュー・ロイド・ウェッバーが、英国ロンドンに生まれる。父親は同じ作曲家のウィリアム・ロイド・ウェッバー。幼い頃から作曲を行なっていたそうで、9歳の時には6つのパートからなる組曲を作り上げたとか。60年代から本格的に活動をはじめ、『ジーザス・クライスト・スーパースター』や『エビータ』は特に高評価。80年代には『キャッツ』や『オペラ座の怪人』などを手掛け、ミュージカルの世界では知らぬものはいない。
ジャズ・ギタリスト/シンガーのジョージ・ベンソンが米国ペンシルヴァニアに生まれる。幼い頃からプロのミュージシャンを夢見ていたとのことで、高校をドロップアウトした後、本格的な活動に足を踏み入れる。はじめはジャック・マクダフ・グループの一員としてプレイ。その後、21歳の時に初のリーダー・アルバム『ザ・ニュー・ボス・ギター』を発表した。70年代以降はフュージョンの世界に進出し、シンガーとしての評価も高めていく。
数々の名曲を生み出したバンド、ユニコーン結成。大学の後輩や仲間で集まった手島いさむ、西川幸一、EBI、向井美音里。残るはヴォーカルだけ……と、そこで目を付けたのが“READY”というバンドを解散させようとしていた奥田民生。だが奥田はその誘いを断り、西川たちは別のヴォーカルを迎えて“メシア”(救世主)というバンドを結成。しかしどうもしっくりこない。そこで再び奥田に……。かくして奥田は、このバンドの“救世主”となったのである。
192cmの黒田俊介と、168cmの小渕健太郎による男性デュオ、コブクロが「YELL〜エール〜/Bell」でメジャー・デビュー。2人が出会ったきっかけは、地元である大阪府堺市の商店街の路上。当時から路上ライヴをしていた黒田に対し、自称・関西イチの営業マン(害虫駆除の会社だったとか)であった小渕は、仕事の息抜きとして週一回歌っていただけだっだという。お互いに「歌の上手いヤツだ」と思った2人は意気投合。初デュオ作の歌詞カードに「こぶちとくろだで『コブクロ』でええか」と書いていたユニット名がそのまま続いたという。


英国でファースト・アルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』が発売。このアルバムは3月29日付のチャートに9位で初登場し、7週間後の5月8日付のチャートで1位を獲得。以来29週間にわたってその座を守った。そして、このアルバムを1位から引きずり落としたのが、セカンド・アルバム『ウィズ・ザ・ビートルズ』であった。日本でこの英国盤と同じ曲目で構成されたレコードが初めて発売されたのは66年5月、来日記念盤として発売された「ステレオ!これがビートルズ vol.1」。曲順やジャケットは英国盤とは異なっていた。