

ザ・フーのベーシスト、ジョン・エントウィッスルが米国ラスヴェガスのハード・ロック・ホテルで死去。享年57。心臓麻痺によるもので、後にコカインの使用がそれを引き起こしたと発表、北米ツアー初日前日の出来事ということもあり、全世界に衝撃を持って伝えられた。ザ・フーのメンバーが亡くなるのはキース・ムーンに次いで2人目。ピート・タウンゼントのやかましいギターに負けることのない、ブ厚い音像で迫るベース・ラインは、後続に多大な影響を与えていた。

世界中にスキャンダラスな話題をまき散らしたジェーン・バーキン&セルジュ・ゲンスブールの大ヒット作「ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ」がイギリスで発売になる。が、発売と同時にそのインストの間に入る官能的な吐息のため“あまりにも猥褻”と、BBCでは放送禁止、イタリアではヴァチカンから大目玉をくらう。にもかかわらず、この曲はヨーロッパで軒並みNo.1を獲得、アメリカでも大ヒット。イタリアでは、マリア・カラスのレコード・ジャケットの下に隠されて売られたりもしたという。
待望の活動再開を果たした椎名林檎率いるバンド・発育ステータスが、シークレット・ツアー「御起立ジャポン」を福岡で行なう。'00年春に行なった初の全国ホールツアー「下剋上エクスタシー」の熱も冷めやらぬうちの、突然の出来事であった。同バンドの特徴は、林檎嬢を含む3ベースの重厚なサウンド。〈どんどん完成していく過程を見せたい〉という同ツアーだけあって、多少乱暴な演奏ながらも、テンションはかなり高し。メンバーであるナンバーガールの田淵ひさ子との絡みなどは、かなり貴重である。
5男のマイケル・ジャクソンが、4人の兄とともに結成。音楽に触れたきっかけは、家のテレビが壊れて、父親のバンドの練習に参加するようになったから。所属するモータウンから“3枚連続で1位になる”と言われ、デビュー・シングル「アイ・ウォント・ユー・バック」、2枚目の「ABC」、そして3枚目の「ラブ・ユー・セイブ」いずれもビルボード1位を記録。続く「アイル・ビー・ゼア」も1位に。72年にマイケルと3男のジャーメインが抜けて活動を休止。その後のマイケルの活躍はご存知の通り。


この時点ではタイトルのついていない「エヴリバディーズ・ゴット・サムシング・トゥ・ハイド・エクセプト・ミー・アンド・マイ・モンキー」のリズム・トラックを26日録音分をボツにして、6テイク録音。ベスト・テイクとなったテイク6は、当初3分7秒の長さだったものの、テイク7およびテイク8へのリダクション・ミックスを毎秒43回転で行なったため、かなりスピードがあがり2分29秒になった。そして、のちのミックスでさらに縮まり2分24秒になった。テイク8にオーヴァーダビングを加えた結果、セッション終了時には、ドラムス、2本のリード・ギター、ハンド・ベル、チョカルホ(円筒形の楽器。金属製の容器に鉛玉や豆を入れたマラカスみたいなもの)をフィーチャーした曲になった。