


米国ロサンゼルス拠点のアルメニア系移民4人によるヘヴィ・ロック・バンド、システム・オブ・ア・ダウンのデビュー・アルバムが日本でも発売に。当時のシーンはラウド・ロック、ラップ・メタルなどと称されたバンドが全盛。そんな中でリリースされた、このセルフ・タイトルのアルバムは強烈な個性を放っていた。ハードコア由来の生々しさと政治的な歌詞、ブラック・ユーモアを超越したアイロニカルなキャッチーさなど、圧倒的な存在感が際立つ一作だ。
ロンドンのザ・ポリテクニックで行なわれたクリームのコンサートで、ジミ・ヘンドリックスとエリック・クラプトンが初対面。ジミの演奏した「キリング・フロア」に衝撃を受けたクラプトンは、この日からジミのライヴを追いかける日々に。同年12月に『フレッシュ・クリーム』でデビューしたクリームは大成功を収めるが、それまで地味ないでたちだったクラプトンは、髪をカールにしサイケデリックなシャツを着用。また、クリームを見たジミはトリオ・バンド「エクスペリエンス」を結成し、互いに強く影響し合っていることを印象づけた。
松田聖子と神田正輝の長女・沙也加が東京都に生まれる。'00年8月に母・聖子のコンサートに飛び入りしてダンスを踊ったり、同年11月に母のアルバムで母娘デュエットを実現したりと、芸能界には並々ならぬ興味を持っていた沙也加。SAYAKAとして正式にデビューした'01年5月のCMでは、自ら作詞を手がけた歌も披露している。出演映画がカンヌ映画祭の最優秀賞に輝くなど、20世紀最大のアイドルだった母のオーラは受け継いでいるようだ。



米国で9月にシングル・カットされた「イエスタデイ」がチャートで1位を獲得(4週連続)。といってももともと「アクト・ナチュラリー」のB面として発表されたもので、英国でもシングル・カットされず、66年3月に4曲入りのEPとして発売されるにとどまった。英国でシングル・カットされなかったことについてポールは「そんなことしたら身のほど知らずになるからね。お互いにうぬぼれの兆候がないかどうか目を光らせていたんだ。ある日、撮影にグレーのスーツを着て行ったら、他のみんなは黒のスーツを着ていて。何色を着て来ることになっていたか知らなくて、僕だけ目立つってからかわれたんだ。それくらい民主的なバンドだったんだ。イエスタデイは僕にスポットライトが当たる曲だから、当時はシングルにならなかった」と述べている。