2026年5月17日、高輪ゲートウェイシティの新名所「MoN Takanawa: The Museum of Narratives」にて、“デトロイト・テクノ”のパイオニア的存在である
ジェフ・ミルズ(Jeff Mills)による完全オリジナル公演〈火の鳥 ーエレクトロニック・シンフォニカ〉が披露されました。
「MoN Takanawa」の開館記念プログラム『MANGALOGUE(マンガローグ):火の鳥』と連動した本公演では、ジェフ・ミルズが、大スクリーンに映し出された「火の鳥 未来編」のページを背に、
手塚治虫の代表作「火の鳥 未来編」に着想を得たこの日限りの書き下ろし楽曲を披露。さらに、ゲストとして世界的ピアニストの
上原ひろみと、箏の俊英・
LEOも迎え、トッププレイヤー3人の音楽で「永遠の命」や「輪廻転生」という壮大なテーマを描き出す、まさに貴重で贅沢なステージとなりました。
今回、自身が主宰するプロジェクト〈爆クラ〉でジェフ・ミルズと共演するなど、ジェフとも交流も深いプロデューサー / 著述家の湯山玲子による当日のライヴ・レポートが到着。再演の予定はないという“奇跡の一夜”の模様を鮮やかに伝えています。
[ライヴ・レポート] 原初のエネルギーホリゾントを感じさせるオレンジと黄色が照射され。円い太陽がじわりと収縮していく。ジェフ・ミルズの手からは、ビッ、ビッという電子音と完全五度の音階の静かなループ。出音は単純だが、彼の手にかかるとそこに独特の圧がかかる。
彼の音楽の境地を言葉にするのが難しいのだが、その単純に思われる出音自体がすでに表現の目的に適切に調整され、選択されていく。楽器に例えるとわかりやすい。ヴァイオリンで同じ音のロングトーンを弾いた場合、ストラディバリウスと定価1万円前後の楽器では音の質が大きく違う、というわけだ。
音楽はコンピューター時代になって、作曲の範囲に「音そのものを音質と音響をともにクリエイトする」分野が入ってきており(一般にはあまり認識されていないが)、ジェフ・ミルズは、まさにそのフロントラインに立つアーティストである。現代音楽ジャンルでは珍しくないが、DJという活動を通して、そのことを大衆レベルに浸透させた功績は、生死の哲学や文明論を『火の鳥』というマンガに展開した手塚治虫のそれととても似ている。
今回の公演はジェフ・ミルズの「音響作曲家」としての面目躍如であり、宇宙という彼が長年追求し続けているテーマを『火の鳥』という、ビジュアルオペラに結実させたものになった。
スクリーンには手塚治虫「火の鳥」未来編のカラーページが次々と展開。この公演に先んじて行われた「MANGALOGUE(マンガローグ):火の鳥」は、手塚治虫の「火の鳥/未来篇」のページそのものを映し出す巨大LEDを軸に舞台化したものだったが、それと同様の視覚要素を知り入れた演出だ。
メガロポリスの摩天楼、星雲のゆらぎ、雪に包まれた地球の断面――漫画のコマ割りがそのまま映像となっていくが、音楽はといえぱ、ビジュアルにピッタリとそう、いわゆる劇伴アプローチをとらない。映像が激しい爆発シーンになっても音楽は、あえて冷静な輪郭を保ちながら淡々と世界をつくっていく。
最初に登場したのは上原ひろみ。電子音楽の音源と違って、生楽器にはそれぞれ特徴がある。ピアノのそれは、ロングトーンが出せないことで、音はペダルを使って引き延ばしたとしてもすぐに減衰する。しかし、上原はロングトーンの「面」的な表現を音階の早弾きでもって置換し、ジェフの繰り出す電子音に独特のテクスチャーを加えてくる。彼女のスキルフルで膨大な連打の中の一音は、まるで宇宙を形作っている素粒子のようにも観じられる。
「いやだ、戦争はごめんだ。いくらハレルヤの命令でもこれだけはごめんだ」というコマが映し出されると、上原の演奏にドライブがかかり、ジェフはオクターブの単音の電子ビープ音のループで、不穏な余白を与え、観客を思索へと誘う。
荒涼とした地上の冬景色が映し出される場面では、鐘の音に似たパルスが繰り出され、この場面はなぜだか、歌舞伎の『鷺娘』と同じような情緒が流れる。こういう場面では、鍵盤を全部鳴らすクラスター奏法などを使っても良さそうだが、彼女にはその選択は無く、情緒的なラインを正確に紡いでいった。
上原とジェフの音の関係は、個性と個性が激突し対話するようなセッションではない。上原の音階のビッチに合わせて、ジェフは音響のそれを丁寧かつ静かに沿わせてくる。上原の音はまるでジェフがマシーンのボタンをひとつ押したかのように、ジェフの音楽の中の一部に溶け込んでしまっているのだ。上原が高音域で繰り出すトリルに合わせて、ジェフはキラキラしたウィンドチャイムのような音を重ねた。そういえば、宇宙にあるのは光とそしてプラズマによる風。ふたりが奏でる音楽からは、そんな宇宙の肌合いが伝わってくる。
映像に描かれる「滅び」と「再生」の断片は、決して音楽のヴォルテージに直結せず、むしろ淡々とした音の流れが爆発的な映像を受け止めるという構造だ。「あなたはもう肉体から離れているのに、あなたは今意識だけなのよ」という火の鳥の台詞が大写しになり、限りなく上昇するビープ音が消えていくとき、会場は黒い静寂に包まれた。
上原がステージを離れて、ジェフの低音のパルスと音響ループだけの時間が続く。その音に重なる形で、ジェフのパーカッションソロ。まもなく、バルスと演奏は止まり、雨のような「シーン」というノイズ音響だけが残る。映像も今までとうって変わって、緑と白の流線型が川のように流れていき、やがてモノクロに変わる。
上原が宇宙の光と風を感じさせてくれたのならば、LEOの登場は、水の匂いを連れてきた。火の鳥/未来篇のヒロイン、タマミの大写しとともにステージに現れた彼は、箏の短音でフレーズをつくり、ループを重ねていく。驚いたのが、彼のビート感。やり方としては、いくらでも上音として流麗に箏らしさを聞かせる方法もあっただろうに、あえて困難な道を選んだその意気や良し! リズム隊でもあるベースと違って、伝統的な箏の奏法ではそれが簡単ではないことは大いに想像できる。
滝や川、植物の進化を思わせるコマが流れると、彼の旋律はヨナ抜きに近い東洋的な雅とガムラン的な反復を両義的に含んで旋回していく。時間をかけて、旋律はスーフィ音楽のような音階取りへと変容し、また、ラヴェルを思わせる地中海的な明るさをも放ち始める。ジェフの音響と接続することで、LEOの音は単なる古風な音色ではなく、現代のテクノロジーと結びついた新しい弦の言語となった。
楽器としての歴史は非常に古い弦楽器に属し、加えて日本の民族楽器でもある和琴が連れてくるエスニックな音楽文化が出現してきた。「地水火風(ちすいかふう)」とは、仏教や古代インド思想などで万物を構成するとされる四大元素だが、火風が上原のピアノならば、宇宙の一部である地球の象徴である地と水を、今度はLEOの箏が請け負うのである。
スクリーンには、人類の進化の歴史を象徴するようなマンガの一コマが登場。ジェフの音楽は急に転調して、ロングトーンの音色。だんだんとそこにノイズが加わっていき、熱を帯びてくる。ジェフが繰り出す激しいシンバルクラッシュ。ヘリコプターの到着音のようなノイズの中に、LEOの旋律がアブストラクトに響く。弦楽器としての箏のDNAを思い出させる。生命の誕生から進化までを音で描き切った彼の演奏は、このコンサートに欠かせない「自然」の声だった。地球の中から太陽が出るような映像とともにLEO退場。
ステージが真っ白な光に包まれると同時に待ちに待った「ビート」が降臨した。
映像は地球にロックオン。三分割にて、ハワイのキラウエア、ビッグウェーブ、アマゾン川、砂漠などの自然や遺跡が立ち現れ、一転して、煙突の炎、スーパーコンピューターの壁面、監視カメラ、スクランプル交差点、東京タワーなどの、ザッツ地球の景観ナウがめぐるましく展開する中に、ドン、ドンという四つ打ちリズムにパラッ、パラというハンドクラップが入ってくる。そう、ビートこそ肉体という自然と最も繋がりやすい音楽要素。観客の身体も自然と揺らぎ始める。ビートはまた宇宙との紐帯。手塚の「火の鳥」が問うところの、生と死、再生の輪廻の軸となる生命の鼓動なのだ。
上原とLEOが再登場し、今度は3者のセッションが展開。ジェフがタムタム(TR-909)を叩き、上原はトリルや早弾きによるウォール・オブ・サウンドにて有機体的なテクスチャーを盛り込み、LEOもまたループをビルドアップしてリズムに溶け込む。前半の静謐な物語音楽から、後半の肉体的なリズムの祝祭へ――。祝祭感を補強するのはジェフのパイプオルガンのような音色。そういえば、ピンク・フロイドの『狂気』にも似たようなシンセサイザー使いがあったっけ。
火の鳥が壁面にバーッと大写しになる瞬間、クライマックスへの予感が会場を満たした。LEOとジェフの応酬に上原が乗っかり、フレーズを補強する。ここにきて、強力におのおのが化学反応を愉しみだしている。本当にビート/リズムは空気のようだ。そのバイブスは過剰全体をも包み込む。
前半は各々のソロの自由闊達を見守るように音を添えていったジェフだが、後半でたたき出す彼のビートはプレイヤーたちを巻き込む決意の表明のようでもある。前半が肉体のない想念の宇宙ならば、ビートを得た後半は空気も水もある地球のイメージ。前者はどこまでも自由だが、どこか心許ない。しかし、後者はビートという生きるための空気をえることで、初めて他者とのコミュニケーションが始まるということを示唆しているようだった。
このライブが持っていた最大の魅力は、手塚治虫の原作へのリスペクトと同時に、ジェフ・ミルズがこだわり続けている宇宙というテーマと、すでに確実に彼の中にある「宇宙の音群」に全くバックグラウンドが違うプレイヤーを巻き込み、自立した表現を成立させていた点だ。
「火の鳥」は人間の業と宿命、輪廻という普遍的な命題を問う作品だが、ジェフの作り上げた音響宇宙がすべてを受け止め、上原のピアノが素粒子の集積のような早いパッセージを火や風のように奏で、LEOの箏が水、自然や民族性のアーカイブを紡ぐ。
手塚治虫の作品に顕著な「生きるとは何か?!」という問いは、現代の音響技術と演奏家の身体性で再び問い直されたのだった。








text:湯山玲子
photo by Yukitaka Amemiya