“世界の巨人”として日本のプロレス界を牽引した
ジャイアント馬場は、1938(昭和13)年1月23日がバースデー。馬場は、高校2年の時にスカウトに誘われて、読売ジャイアンツ(巨人)に入団。プロ野球選手「馬場正平」としては5シーズンで断念せざるをえませんでしたが、その後
力道山に日本プロレスへの入団を直訴し、プロレスラーへ転向しました。
プロレスラーとなった馬場は、武者修行中のアメリカで“ババ・ザ・ジャイアント”と呼ばれたことから、リングネームをジャイアント馬場に。2メートル超えの長身と巨体、抜群の運動神経を活かしながら、海外の一流レスラーと数々の名勝負を演じ、チャンピオンベルトを獲得。「16文キック」「32文人間ロケット砲」「ランニング・ネックブリーカー・ドロップ」などの大技で人気を博しました。
1972年に全日本プロレスを旗揚げすると、
ザ・デストロイヤー、
ドリー・ファンク・ジュニア、
アブドーラ・ザ・ブッチャー、
タイガー・ジェット・シン、
ブルーザー・ブロディ、
スタン・ハンセンといった強力外国人レスラーや、一番弟子のジャンボ鶴田、天龍源一郎らとしのぎを削りました。
1985年にスタン・ハンセンに敗れてPWFヘビー級王座から陥落すると、タイトル争いの第一線からは退きましたが、“義弟”を名乗る
ラッシャー木村らとファミリー軍団を結成し、渕正信らの“悪役商会”とファイトを展開。“明るく楽しいプロレス”を掲げて、愛弟子の
三沢光晴、
川田利明、
小橋建太、
田上明の“四天王プロレス”をはじめとする危険度の高い大技を繰り出し合う激しいプロレスとはまた異なる、老獪かつ楽しいスタイルで、大いに会場を盛り上げました。
また、タレントとしてクイズ番組『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!』などのバラエティ番組やCMにも多く出演。口数は少ないながら時折とぼけたキャラクターはプロレスファン以外にも広く人気を博し、その口調や動作などはものまねタレントの定番“ネタ”にもなりました。
ところで、ジャイアント馬場の入場テーマ・ソングとなったのは、作曲家でクラシック音楽番組『題名のない音楽会』の司会を務めた
黛敏郎が作曲した「スポーツ行進曲」です。通称「日本テレビスポーツのテーマ」と呼ばれるこの曲は、当初は日本テレビのスポーツ中継のテーマ曲として使われ、同局にてゴールデンタイムやプライムタイム、深夜枠など時間帯を変えながら放送された『全日本プロレス中継』のオープニングにも使われました。
後に全日本プロレスに入団した
輪島大士の入場テーマ曲が「日本テレビスポーツのテーマ」となると、ジャイアント馬場は実川俊・TEmPA作曲の「王者の魂」を入場テーマ曲に使用。ちなみに、実川俊(
実川俊晴)は、あんしんパパの名前でアニメ『キテレツ大百科』テーマ曲「はじめてのチュウ」をヒットさせています。
なお、ゴールデンタイムやプライムタイム、深夜枠など時間帯を変えながら放送された『全日本プロレス中継』は、オープニングでは「日本テレビスポーツのテーマ」を起用。エンディングでは、アーティストや歌手の楽曲などが使われることもありましたが、長く起用されたのが
セルジオ・メンデスの「オリンピア」のインストゥルメンタル・ヴァージョン。また、試合が両者時間切れ引き分けになった際や、エンディングでの次期シリーズ予告の際に使われたのが「THEME FOR "KAKUTOUGI"」(“カクトウギ”のテーマ)。同曲は
坂本龍一&カクトウギセッションが1979年にリリースしたアルバム『
サマー・ナーヴス』にて発表。高橋ユキヒロ、
生田朗が作詞、坂本龍一が作曲を担当しています。
カクトウギセッションは、
坂本が開催したライヴ「格闘技セッション」の出演者を中心に結成されたユニットで、高橋ユキヒロ、
矢野顕子、
小原礼、
鈴木茂のほか、アブドゥーラ・ザ・“ブッシャー”名義で
渡辺香津美が名を連ねています。バックヴォーカルには「浅田飴」CMソング「恋はパッション」で知られ、70年代以降の日本の歌謡シーンの数々のアーティストのヒット曲のコーラスを担当した3人組コーラス・グループの
EVEをはじめ、
山下達郎や
吉田美奈子も参加しています。
また、親交が深かった
松山千春は、1999年のジャイアント馬場の死後にアルバム『
ガリレオ』にてジャイアント馬場の追悼曲として制作した「Champ Never Die」を発表しています。
(写真は、1997年12月リリースのアルバム『
全日本プロレス25thアニバーサリー〜テーマ・ヒストリー』)