[こちらハイレゾ商會] 第29回 アンドラーシュ・シフがイメチェン?
掲載日:2016年02月10日
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第29回 アンドラーシュ・シフがイメチェン?
絵と文 / 牧野良幸
 ピアニストのアンドラーシュ・シフが弾くバッハを初めて聴いたのは80年代だった。ロンドン / デッカから出ていた「パルティータ」のCDである。当時CDはまだ高くて輸入盤でさえも2枚組で6,000円くらいした。だから、それは丁寧に聴いたものである。
 しかしお金とは関係なく、このCDは僕の宝物だった。シフの弾く「パルティータ」に、とても魅了されたのだ。その頃の僕はバッハといえばグレン・グールドの演奏くらいしか知らなかったのだが、シフの演奏はグールドとはまったく違っていた。
 シフのピアノの音色は、まるでタンポポの綿毛のように柔らかかった。とくに「パルティータ第1番」の「プレリューディウム(前奏曲)」は春の日差しのような温かみがあった。それまでグールド一辺倒だった僕に“こういうバッハもあるのか”と気付かせてくれたのがシフだったのである。
 あんまりシフの演奏が気に入ったので、僕は「パルティータ」の楽譜を買ってきて、自分でも弾こうと思ったほどだ。グールドのバッハを聴いて“自分も同じように弾いてみたい”とは誰も思わないだろう。結局、比較的簡単な第1番の「メヌエット1」でさえモノにできなかったのだから偉そうなことは書けないのだが、シフの演奏がいかに親近感を抱かせるものか、わかっていただけるかと思う。
 さて2016年。そんなアンドラーシュ・シフのハイレゾがここにある。バッハの『パルティータ全集』『平均律クラヴィーア曲集全曲』『ゴールドベルク変奏曲』、ベートーヴェン『ディアベリ変奏曲 他』がe-onkyoで配信されているのだ。いずれも新録音で、レーベルはなんとECMである。
 さっそく『パルティータ全曲』を聴いてみる。新禄音では曲順を変え第5番、第3番、第1番、第2番、第4番、第6番の収録である。この曲順はともかく、演奏、音色とも80年代とはかなり違う印象だ。全体に耽美的なところが薄れ、タッチも固さを帯びている。
 こう書くと新録音のほうはシフの持ち味が薄れたように思われるかもしれない。しかしそんなことは全然なく、ほんのちょっとグールドに接近したようなスピードと瞬発力が、逆に新たな魅力をもたらしているように思った。以前より若々しい演奏なのだ。ECMでのシフは“イメチェン”したのかもしれない。
 それは同じくハイレゾで配信されている『平均律クラヴィーア曲集全曲』でも強く感じた。というか『パルティータ全集』以上に、聴きごたえのある演奏だと思った。バッハの書いた音譜の中に“ロマン派”の音楽を思わせるパッションを感じるのである。もちろんそれは隠し味的な意味合いであるけれど、時には長すぎて聴き続けることが困難な『平均律クラヴィーア曲集全曲』が、シフの演奏だと次から次へと聴けてしまうのだ。これだけ楽しく聴ける“平均律”を僕はほかに知らない。
 最後に音質について書くと、各アルバムのハイレゾはflacの44.1kHz / 24bitであるが、録音会場の響きをうまくとらえた申し分ない響きだと思う。ピアノの音はECMの特徴かもしれないけれど、やや固く実体感のあるテクスチャー。それがシフの“イメチェン”とピッタリ合っている。釈迦に説法かもしれないが、オーディオファイルはできるだけいいUSB DACを使用して、音の深みを引き出してあげるのがオススメ。ちなみに僕の使用したUSB DACはTEACのUD-501である。
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