3月25日には音楽界の世界的なスターが2名誕生しています。まずは、“クイーン・オブ・ソウル”や“レディ・ソウル”の異名を持つのが、
アレサ・フランクリンです。1942年にアメリカのテネシー州メンフィスでアレサ・ルイーズ・フランクリンとして生まれ、ミシガン州デトロイトで過ごしたフランクリンは、父の教会でゴスペルを歌って育ちました。
1961年のデビュー当時はポピュラー・ソングやジャズ調の楽曲を発表していましたが、1967年に〈アトランティック〉へ移籍すると、持ち前のゴスペルをベースとした力強い歌唱で人気を獲得。全米R&Bチャート1位となった「貴方だけを愛して」や全米1位に輝いた「リスペクト」を皮切りに、「ベイビー・アイ・ラヴ・ユー」「ナチュラル・ウーマン」「チェイン・オブ・フールズ」「愛する貴方を失くして」「シンク」など次々と名曲を発表。〈アリスタ〉に移籍した80年代は、「フリーウェイ・オブ・ラヴ」「フーズ・ズーミン・フー」、そして、1987年には
ワム!解散後の
ジョージ・マイケルをデュエットに迎えた「愛のおとずれ」で全米1位を記録しました。
グラミー賞では20回受賞を重ね、女性アーティストとして初めて「ロックの殿堂入り」を果たしたフランクリンは、ローリング・ストーン誌「歴史上もっとも偉大なシンガー」の第1位に輝くなど、名実ともに“クイーン”として偉大な功績を遺しています。
もう一人の3月25日生まれは、
ビリー・ジョエルとともに“ピアノ・ロック”というジャンルを確立した
エルトン・ジョンです。1947年にイギリスのロンドンにてレジナルド・ケネス・ドワイトとして生を受けると、4歳頃からピアノを弾き始めます。バンド活動を経て、サクソフォーン奏者の
エルトン・ディーンにちなみ、エルトン・ジョンと名前を改めて、1968年にデビューを果たします。
70年代に入ると、「僕の歌は君の歌」が全米7位とヒット。1972年のアルバム『
ホンキー・シャトー』は初の全米1位になると、1975年の『
ロック・オブ・ザ・ウェスティーズ』まで7枚連続で全米1位となる快挙を達成。以降も世界80ヵ国以上でコンサートを行ないながら、全世界で3億万枚超のレコードセールスを積み重ねていきます。
ヒット曲も「ロケット・マン」「クロコダイル・ロック」「ダニエル」「グッバイ・イエロー・ブリック・ロード」「ベニーとジェッツ」のほか、
キキ・ディーとの「恋のデュエット」や「悲しみのニキタ」など枚挙にいとまがありません。なかでも1997年の「キャンドル・イン・ザ・ウインド~ダイアナ元英皇太子妃に捧ぐ」は、チャートの歴史が始まって以来最も売れたシングル(歴代シングル売上記録ではビング・クロスビー「ホワイト・クリスマス」に次ぐ2位)としての輝かしい記録を保持。グラミー賞では5回受賞(34回のノミネート)、「史上最も売れたアーティスト」で5位とされ、大英帝国勲章を受章して“サー”の称号を得るなど、最も高く評価されるソロ・アーティストの一人として語り継がれています。
(写真は、2023年11月リリースのアレサ・フランクリンのベスト・アルバム『
アレサ・フランクリン・ソウル・ベスト』)