1970年代に成功を収め、世界的な人気を獲得したアメリカ・コネチカット州ニューヘイブン出身の兄
リチャードと妹
カレンによるポップス・デュオの
カーペンターズ。1969年4月22日にA&Mレコードと契約し、正式にカーペンターズの名で活動を始めたことから、2009年にユニバーサルミュージックが4月22日を「カーペンターズの日」に制定しています。
1963年にカリフォルニア州ロサンゼルス郊外に移り住んだ後、兄リチャードは熱心にピアノを弾き、作曲と演奏を行なう一方、妹カレンはドラムの演奏を始めます。60年代半ばにリチャード・カーペンター・トリオなるジャズ・バンドを結成し、メジャーレーベルの契約を勝ち取るまでになりました。しかし、順調とはいかず、ソロでの伴奏や歌唱、スペクトラムなるバンドでも活動を続けました。
リチャード・カーペンター・トリオの解散後、1969年に兄妹はカーペンターズとしてA&Mレコードと契約。初のアルバム『
オファリング』に収録した、
ビートルズの楽曲をアレンジ・カヴァーした「涙の乗車券」(Ticket to Ride)がスマッシュヒットしたことで、翌1970年に『オファリング』は『
涙の乗車券』と改題、再発されました。
同年に
バート・バカラックとハル・デイヴィッドのコンビで手掛けたシングル「遙かなる影」((They Long to Be) Close to You)が全米1位となると、同曲収録のアルバム『
遙かなる影』(Close to You / 当初の邦題は『愛のプレリュード』)からは「愛のプレリュード」(We've Only Just Begun)もヒット。グラミー賞では最優秀新人賞と最優秀ヴォーカル・グループ賞の2部門を受賞する成功を収めました。
以来、「ふたりの誓い」(For All We Know)、「雨の日と月曜日は」(Rainy Days and Mondays)、「スーパースター」(Superstar)、「ハーティング・イーチ・アザー」(Hurting Each Other)、「シング」(Sing)、「イエスタデイ・ワンス・モア」(Yesterday Once More)、「トップ・オブ・ザ・ワールド」(Top of the World)、「プリーズ・ミスター・ポストマン」(Please Mr. Postman)が全米トップ3を記録するなど、ヒットチャートの常連アーティストとして名を馳せました。1973年に初のセルフ・プロデュースとして発表した5作目のアルバム『
ナウ・アンド・ゼン』(Now & Then)では、A面に「シング」などのヒット曲を、B面に「イエスタデイ・ワンス・モア」に挟まれる形で「ジョニー・エンジェル」などのオールディーズカヴァーをメドレーで組み込んだ構成も話題を集め、全米・全英ともに2位を記録。日本でもロングセラーとなりました。
1975年の「オンリー・イエスタデイ」(Only Yesterday)が全米4位となったのを最後に、シングル、アルバムともに全米トップ10入りを果たすことはありませんでしたが、アルバムでは『
見つめあう恋』(A Kind of Hush)などがゴールドディスクに認定。同作収録の「青春の輝き」(I Need to Be in Love)は、のちに、
いしだ壱成、
香取慎吾、
反町隆史ら出演の1995年のドラマ『
未成年』の主題歌に起用され、日本でリバイバルヒット。同ドラマでは「トップ・オブ・ザ・ワールド」「愛は虹の色」(Desperado)も主題歌に起用されたほか、挿入歌にもカーペンターズの楽曲が用いられました。
70年代末になると、全盛期と比べてセールスに陰りが見え始めましたが、それでも高い人気を博していました。しかしながら、リチャードが薬物依存症、カレンは結婚や拒食症など、兄妹ともにプライヴェートな問題によってデュオとしても大きな影響を与え、特にカレンは見るからに重病を患う姿へ変貌。治療に努めましたが、1983年2月4日に32歳の若さで亡くなりました。カレン急死後、リチャードはカレンとの最後のレコーディング作品となった「ナウ」を収録したアルバム『
ヴォイス・オブ・ザ・ハート』(Voice of the Heart)を発表。同作は全米46位、全英6位でゴールドディスクに認定されています。
その後もリチャードは未発表音源やコンピレーション・アルバムなどをプロデュース。カーペンターズの版権管理などを行ないながら、自身のソロ・アルバムを発表。また、前述の日本でのリバイバルヒットを受けて、1996年にお蔵入りとなっていたカレンのソロ・アルバム『
遠い初恋』(Karen Carpenter)がリリースされています。
1970年に初来日を果たしたカーペンターズですが、当時は母国では「遙かなる影」「愛のプレリュード」がヒットしていたものの、日本では無名に近い存在。同年の第1回東京国際歌謡音楽祭(翌年、世界歌謡祭に改称)にも出場しましたが、熱狂する声はほぼなかったそうです。しかし、1972年に正式な単独初来日公演となった日本武道館公演や、チケット応募や空港へファンが殺到した1974年の再来日公演では、不動の人気ぶりがうかがえました。
カーペンターズとしては、カレンの体調不良で延期された1976年が最後の来日公演となってしまいましたが、兄リチャードはたびたび来日。2018年には『
カーペンターズ・ウィズ・ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団』のリリースに際して日本を訪れると、2021年に発表したキャリア初となるソロ・ピアノ作『
ピアノ・ソングブック』を掲げて、2023年にリチャード・カーペンター名義で大阪、東京、横浜で公演を開催。リチャードの娘たちも参加し、歌を披露する場面もありました。
2026年にデビュー57周年を迎えるカーペンターズ。その色褪せない楽曲と美しいメロディや歌声を、いまいちど聴いてみてはいかがでしょうか。
(写真は、2017年12月リリースのカーペンターズのベスト・アルバム『
40 / 40~ベスト・セレクション』)