すでに“魂”は失われてしまった――チュス・グティエレス監督自身が語る「サクロモンテの丘〜ロマの洞窟フラメンコ」

2017/03/10掲載
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 スペイン・アンダルシア地方、グラナダ。イベリア半島最後のイスラム王朝であるナスル朝グラナダ王国の首都だったこの地の一角に、サクロモンテという地区がある。この地区には数多くの洞窟があり、迫害されたヒターノ(ロマ)やイスラム教徒たちが住み着いた。彼らは独自の文化とコミュニティを形成し、そのなかから数多くのフラメンコの踊り手や歌い手が生まれたという。
 映画「サクロモンテの丘〜ロマの洞窟フラメンコ」は、そんなサクロモンテのフラメンコ・コミュニティーのかつての姿を、当事者たちの証言によって色鮮やかに浮かび上がらせるドキュメンタリー作品だ。1950年代のサクロモンテ黄金時代、大洪水によってサクロモンテのコミュニティーが崩壊してしまった1960年代、その後の歴史と現状が丁寧に描き出されていく、フラメンコ愛好家ならずとも必見の音楽ドキュメンタリーだ。その内容について、チュス・グティエレス監督に話を伺った。
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――先ほどスタッフの方から興味深いお話を伺ってびっくりしたんですよ。監督はグラナダのお生まれですが、80年代はニューヨークでラップ・グループをやってらっしゃったそうですね。どういうグループだったんですか?
 「ニューヨークで映画の勉強をしていた84、5年頃、ヒップホップがブームになり始めていたんですね。私も周囲のスペイン人の友人たちと“私たちも何かをやろう!”という話になった。ただ、そのままやってもおもしろくないので、フラメンコ・ラップのグループを始めたんです。重要なテーマは反レイシズム。ただし、真面目に訴えかけるというよりも、少し茶化すような感じというか、楽しみながらやってましたね。スペインに戻った89年にはアルバムも出して、コロンビアでも1曲ヒットしました。映画の撮影で向こうに行ったことがあるんですけど、私がその曲をやってたと知って、現地のスタッフもびっくりしてましたね(笑)」
――なんというグループ名だったんですか。
 「チョチョニーズ(XOXONEES)。かつてマンハッタンをオランダ人に売っぱらった先住民部族の名前をもじってるんですけど、チョチョはスラングでもあるんです。まあ、お下品な下ネタですね(笑)」
――80年代のニューヨークの話もお聞きしたいんですけど、それだけで時間がなくなっちゃうので、映画の話に移りましょうか(笑)。
 「あはは、そうですね」
――チュスさんは子供の頃からサクロモンテを訪れていたということですが、当時のチュスさんにとってサクロモンテはどのような場所だったんでしょうか。
 「子供の頃はあまり行ったことがなくて、行くようになったのは10代後半、70年代末ですね。外から入ってきた若者たちがバーを始めたりして、サクロモンテがだいぶ変わってからですね」
――劇中ではサクロモンテのフラメンコ・コミュニティ復興に力を注いできたクーロ・アルバイシンが作品の案内役を担っていますが、彼はサクロモンテのコミュニティでどのような存在なんでしょうか。
 「クーロとは私が10代のころ知り合いました。彼は洪水以前のサクロモンテの記憶をどうにか残したいと考えていて、サクロモンテの人たちに聞き取り調査をして本を執筆・出版したこともあるんですね。だから、サクロモンテのどこに誰がいるのか、完全に知り尽くしている。クーロと再会したのは2011年のことでしたが、彼からサクロモンテのことをいろいろと聞き、映画を作ることを決意しました」
――1963年の大洪水以前のサクロモンテは世界中から多くのアーティストがやってくるような、いわばエンターテインメントの世界的な最前線だったわけですよね。当時の話は聞いていて本当にワクワクしてきました。
 「私も生まれる前の話ですから興奮しました。クーロから数々のエピソードを聞いたことで映画制作を決意したところはありますし、映画を作るなかで当時の話をより掘り下げてみたいと考えていました。大きく分けてサクロモンテには2つの黄金時代があったそうなんですよ。ひとつは19世紀末、もうひとつは1950年代。サクロモンテの歌い手や踊り手が海外でも活躍するようになった時代ですね。いずれにせよ私も体験していない時代なので、私自身とても関心があったんです」
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――作品のなかでもうひとつ興味深かったのが、サクロモンテのコミュニティのなかではヒターノ / 非ヒターノの間で差別意識がなかったということです。人種を超えた強い同胞意識がサクロモンテの人々の間で共有されていたということなんでしょうか。
 「サクロモンテのコミュニティは元々とても貧しかったので、お互い助け合っていかないと生きていけなかったんです。貧しければ貧しいほど相互扶助の精神が生まれるというのはどこでも同じことではあるとは思いますが、サクロモンテはそういう精神がとても強かった。いろんな問題を抱えながらも、ヒターノ / 非ヒターノ間で結婚するケースもあったそうです」
――15世紀、サクロモンテのヒターノやイスラム教徒はキリスト教徒から迫害されてきましたよね。迫害されてきたからこそ、サクロモンテの人々は人種を超えて団結したんでしょうか。
 「迫害の歴史によって団結したというより、やっぱり助け合わないといけないほど貧しかったということだと私は思いますね。かつての生活の厳しさはいろんな人が話してくれました」
――映画のなかでは1963年の大洪水以降の地域コミュニティの変化についても詳しく触れてますよね。洪水以降、サクロモンテは荒廃してしまうものの、70年頃からは外部の学生たちが入ってきて、どんどん若者向けのバルができていくと。活気は戻るものの、何人かの登場人物は劇中で“本質が失われてしまった”と口にしています。その“本質”とはなんだと思われますか?
 「生活とフラメンコが密接な関係にあることだと思います。洞窟というひとつの空間で共に生活し、食事をとり、歌い、踊る。かつてサクロモンテの女性たちはフラメンコの衣装を着て料理をしていたそうなんです。どこかから“今からみんなで踊るよ!”という声がかかれば、料理の手を休めてみんなが集まり、ひと踊りする。そして、自分の住む洞窟に戻って料理を続けるんです。サクロモンテの本質はそういう生活のなかにこそあったと思います」
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――子供たちもそうした生活のなかで自然に歌を覚え、踊りを覚えていった、と。
 「そうですね。師匠が弟子に教えるというよりも、年長者の踊りや歌を見て覚えたそうです。ただ、フラメンコを踊っている間は子供たちを部屋のなかに入れなかったそうで、みんな戸口や窓からこっそり見ていたらしいですね」
――だからこそ、洪水によってコミュニティ自体が破壊されてしまったことは、サクロモンテの人々にとっては“本質”そのものを破壊されることであり、そのことによってサクロモンテのフラメンコのあり方は大きく変わってしまった。
 「その通りですね。洪水の後、当局は郊外のゲットーのような場所を作り、そこにサクロモンテの人々を住まわせたわけですが、そのことによってコミュニティは完全に分断されてしまった。そこで継承の歴史が途絶えてしまったんです」
――登場人物のなかには成功を収めた後もマドリードなど都心部に出ていかず、サクロモンテに残っている人が何人もいますね。それはなぜなんでしょうか。
 「サクロモンテのヒターノたちはお互いで助け合いながら常に小さな地域に住んでいたんですね。なぜマドリードに移らないのか、そこには大きな意味はないと思いますよ。なぜならば、彼らのアイデンティティがサクロモンテにあるからです」
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――劇中ですごく印象に残った言葉のひとつが、“自分の血筋を忘れるな!”というものでした。“どこに住もうとも自分がサクロモンテの人間である”という自意識がその言葉に集約されているように感じました。
 「ヒターノたちは歴史的にも差別されてきた人々ですが、彼らは私たち以上に“尊厳”を持っているんです。社会から追放されながらも、自分たちのアイデンティティを守るために誰よりも尊厳を持ち、強く生きてきたんですね。ヒターノがいかに差別されてきたか分かるエピソードをひとつ話しておきましょうか。スペインにはペンカスという木があるんですが、トゲのある実がなるんですね。お腹の空いたヒターノの子供たちが落ちた実を拾いにいくと、治安警備隊は子供たちを蹴飛ばして追っぱらってしまうんです」
――ひどい話ですね。
 「そうなんですよ。そんな生活を強いられてきた人々なので、彼らは自分たちの尊厳を必死で守りながら生きてきたんですね」
――現在のサクロモンテはどのような状況にあるんでしょうか。劇中では小さな子供たちが器用にパルマ(手拍子)を叩いていたりと、伝統が次世代に受け継がれているようにも見えるのですが。
 「観光客相手にショウをやってる洞窟もあるんですが、外国人もすごく多くて、やはりコミュニティ自体はだいぶ変わってしまいましたね。確かに素晴らしい若手の踊り手や歌い手もいます。サクロモンテの黄金時代を再現した洞窟もありますが、すでに“魂”は失われてしまったと私は思います」

取材・文 / 大石 始(2017年2月)
サクロモンテの丘 〜 ロマの洞窟フラメンコ
www.uplink.co.jp/sacromonte
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ドビュッシー、ファリャ、ロルカなど数多くの芸術家を魅了し、マリオ・マジャ、エンリケ・モレンテ、エバ・ジェルバブエナを産んだ聖地サクロモンテ。
失われた黄金時代を生き抜いた人々を通して、世界で最も重要なフラメンコ・コミュニティのルーツと記憶を探るドキュメンタリー。


今や世界で有名な観光スポット、スペイン・アンダルシア地方・グラナダ県サクロモンテ地区特有の洞窟フラメンコのドキュメンタリー。1963年までこの地には4000人のジプシーたちが居住してきた。洪水による洞窟の破壊という悲しみの過去を乗り越え現地で暮らしてきたダンサー、歌い手、ギタリストなどのインタビュー、そしてアンダルシアの乾いた大地を舞台に繰り広げられる詩の朗読、そして力強い舞の数々。
踊りや歌、詩の朗読は代々引き継がれ、土地に根付いてきた魂が紡がれていくさまを描く。


監督: チュス・グティエレス
参加アーティスト: クーロ・アルバイシン / ライムンド・エレディア / ペペ・アビチュエラ / ハイメ・エル・パロン / フアン・アンドレス・マジャ / チョンチ・エレディア / マノレーテ ほか

日本語字幕: 林かんな
字幕監修: 小松原庸子
現地取材協力: 高橋英子

2014年 / スペイン語 / 94分 / カラー / ドキュメンタリー / 16:9 / ステレオ
原題: Sacromonte: los sabios de la tribu

提供: アップリンク / ピカフィルム 配給: アップリンク 宣伝: アップリンク / ピカフィルム
後援: スペイン大使館 / セルバンテス文化センター東京 / 一般社団法人日本フラメンコ協会

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