T.レックスのマーク・ボラン、“予言”通りに死去
グラム・ロックを代表するバンド、T.レックスのマーク・ボランが死去。恋人であるグロリア・ジョーンズの運転する車に同乗、その車が大木に激突するという事故が原因だった。享年29。30歳になる2週間前の出来事で、生前から彼は「自分は30歳になる前に死ぬだろう」と語っていた。その“予言”の他、事故現場は危険な場所ではなく、遺体には外傷がほとんどなかったと言われているなど、その死は後年になってもミステリアスなものとされている。
−2006年08月28日作成−
リチャード・マークスが誕生
AORシンガーのリチャード・マークスが米国イリノイ州に生まれる。彼のキャリアは長く、ソングライターとしてライオネル・リッチーらに楽曲を提供しはじめたのは10代の頃。しかし、それ以前から音楽ビジネスに関わっており、CMソングでその歌声を披露していたそうだ。その後、シンガーとして87年にデビューすると、その甘い歌声と大人のロックでいきなり人気を獲得。90年代後半以降はプロデューサーとして腕をふるっている。
−2007年08月28日作成−
GLAYのTERU、シークレット・ライヴでビールまみれに
98年8月8日より行なわれていたGLAYの「pure soul in STADIUM 「SUMMER of '98」」が9月15日にすべての日程を終了。その後、仙台にあるライヴ・ハウス「マカナ」で深夜1時からシークレット・ライヴを決行した。人数はスタッフを含め約100人。みなビールを片手に持ち、ライヴは予定時間をはるかに越えて約3時間も続いたという。また、voのTERUはみんなにビールをかけられ、客席に埋まってしまい、皆にナメまくられたらしい。
−2000年08月28日作成−
75歳でも年平均200公演、超御大B.B.キング誕生
キング・オブ・ブルースことB・B・キング、ミシシッピー州に生まれる。75歳を迎えた2000年にはエリック・クラプトンとの共作を発表するなど、年齢を感じさせない活躍。農園で働きながらギターを独学で修得し、'47年、所持金2ドル40セントでメンフィスに行きその才能を開花。ニックネームのビール・ストリート・ブルース・ボーイと本名のライリー・B・キングを合わせてB・B・キングと名乗るようになる。彼が後のギタリストに与えた影響は大きく、キース・リチャーズやジミ・ヘンドリックスなども彼の大ファン。
−2001年08月24日作成−
モンパチ、驚異のロングセールス2nd、発売
2年以上にわたり売れ続けたモンゴル800の2ndアルバム『MESSAGE』が発売。'99年12月に1stアルバム『GO ON AS YOU ARE』を地元沖縄でインディーズリリースした時から絶大な支持を集めていたモンパチ。翌年同アルバムがメジャーで発売され全国的に注目を浴び、洗剤のCM曲にもなっていた「あなたに」や「小さな恋のうた」などを含むこの『MESSAGE』は、結果的に恐るべきロングセールス記録を作っているのであった。
−2002年08月26日作成−
あだち充原作の映画『みゆき』『ナイン』が公開される
1983年、あだち充の人気漫画を原作にした劇場版アニメ『ナイン』と劇場実写版『みゆき』の2作品が東宝系にて同日公開される。『ナイン』の監督は『タッチ』のTVシリーズも手がけた、あだち充作品にはお馴染みの杉井ギサブロー。主役・新見克也の声は古谷徹が担当している。また、実写版『みゆき』の監督は井筒和幸。主人公役は永瀬正敏で、その主人公を振り回す2人のみゆきには、宇沙美ゆかり、三田寛子が起用されている。
−2008年09月15日作成−
Mr.ダイナミズム!ミッキー・ロークが生まれた日
俳優のミッキー・ロークがアメリカに生まれる。『ディア・ハンター』のマイケル・チミノ監督作品『イヤー・オブ・ザ・ドラゴン』で主役を演じ、ボクシングで鍛え上げられたセクシーな肉体と野性味あふれる風貌でセックス・シンボル的存在に躍り出る。その後ボクシングに専念するため俳優業を引退するも、ボクサーと呼ぶには程遠いひ弱なファイティング・スタイルは“猫パンチ”と揶揄され、次第に映画界からも追放されていく。低迷が続いていたが、近年『SPUN』『シン・シティ』に出演し、その独特の存在感で高評価を受けた。
−2007年08月28日作成−
ビートルズ365:シングル「シー・ラヴズ・ユー」米国発売。
米国でシングル「シー・ラヴス・ユー」発売(英国では8月23日、日本では64年4月5日発売)。米国では2週連続1位、英国では6週1位を記録。英国で大ヒットしたこのシングル、米国でのEMI系のレーベルであるキャピトルはリリースを拒否。そのため、米国ではマイナー・レーベルであるスワン・レコードからの発売となった。しかし発売当初はヒットせず、64年に入って「抱きしめたい」がヒットした後、大ヒットとなった。このシングルは、「キャッシュ・ボックス」誌の64年度年間シングル・チャートにて2位を記録した。
−2006年08月28日作成−
※ 掲載記事は作成後に生じた動向、および判明した事柄等は反映していない場合があります。