Podcastingをはじめ、“ネット・ラジオ”という言葉も市民権を得た今日この頃。遠く地方局の放送を聴くため、アンテナの位置からラジカセの位置まで微妙にセッティングを施したあの頃。ジェネレーション・ギャップもここまできたか! と、ひたすらエアチェックに忙殺された日々を思いだしては一人感慨にふける方も多いのでは? そんな時代だからこそ知っておきたい、USインディ・ロックの発信源“CMJ”ヒストリー。簡単ではありますが、ぜひご一読を。
資金さえあれば開局が容易なアメリカだからこそ? 巷を賑わすヒット曲ではなく、もっと作り手の意見を反映させた番組/地域に特化した番組作りをテーマに広まっていったのが、各大学にあるFM局・通称“カレッジ・ラジオ”(たいていは学生自治会など、学生自身が運営している模様)。メジャーとは一線を置き、あくまでローカルにこだわるこの姿勢が大きなムーヴメントとなったのは、時を遡ること30年あまり前、70〜80年代ごろのお話・・・・・・。
マサチューセッツ州にあるブランダイズ大学のラジオ局“WBRS”のDJをつとめていたロバート・ヘイバーは、当時1,000をゆうに超える数をほこっていたとも言われるカレッジ・ラジオ局を組織化した“CMI(カレッジ・メディア・インク)”を設立。1979年には、組織に参加している各ラジオ局の放送曲データを集め、分かりやすくチャートにまとめた雑誌『CMJ(カレッジ・メディア・ジャーナル)』を創刊。

メジャーのレコード会社/雑誌社/ラジオ局が手を結んで“売れ線”のアーティストを大量にオンエアする一方、カレッジ・ラジオは、同じく学生街を中心にローカル・バンド/アーティストをリリースしていたインディ・レーベル(代表的なレーベルを挙げるならば、I.R.S、SST、HOMESTEADなど)らをバックアップ。その土壌のおかげで、
R.E.M、
ソニック・ユース、少し先を見れば
ニルヴァーナに
グリーン・リヴァーなど、後にメジャーでも活躍することとなるバンドが世に生み落とされたのでした……。無論、CMJチャートには、ジャズ/ヒップホップ/ワールドなど様々なジャンルが揃っているものの、どうしても“ロック”の印象が強いのは、これら輩出されたバンドがビッグ・ネームになったことも一因かと。

流行を追うのではなく、あくまで“ANTI MAJOR”な姿勢のもとに、自分の目で観て、聴いて、イイ!と思ったものをグイグイ取り上げていく、少々雑多な運営理念。しかしそのおかげで、各局ごとのユニークな特色が出ていることも言うまでもありません。その他にも、ライヴ/討論会などバラエティに富んだイベント“CMJ MUSIC MARATHON”を開催(このイベントには、
スーパー・ジャンキー・モンキー、
ヌードルス、
25m FLOATER、
GITOGITO HUSTLER、
ルミナス・オレンジなど日本のバンドやレーベルも数多く参加)、公認組織である“CMJ JAPAN”が誕生、“CRJ(カレッジ・ラジオ・ジャパン)”が発足するなど、ここ日本でもその影響は脈々と受け継がれております。
様々なメディアが進化する一方で、いつの日かその意義を問われることになるかもしれない“ラジオ”の世界。CMJ/CMIとも呼応するような、貴方のお住まいのローカル局をチェックしてみれば、『サスケネエダ王国ドンマイ団』(ラジオ福島)!? なんて感じに広がるディープな好奇心! ハガキ職人だけに独占させてしまうにはもったいない“ラジオ”の面白さを今再び体感してみてはいかがでしょ。