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ユッスー・ンドゥールが世界文化賞を受賞

ユッスー・ンドゥール(Youssou N'Dour)   2017/10/18 16:08掲載
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ユッスー・ンドゥールが世界文化賞を受賞
 絵画、彫刻、建築、音楽、演劇・映像の各分野で、世界的に顕著な業績をあげた芸術家に毎年授与される〈高松宮殿下記念世界文化賞〉の第29回受賞者と同賞国際顧問による記者会見と、各受賞者との個別懇談会が17日、東京 ホテルオークラ東京で行われました。

 今年の受賞者は、(写真右から)ミハイル・バリシニコフ(演劇・映像部門)、ユッスー・ンドゥール(音楽部門)、シリン・ネシャット(絵画部門)、ラファエル・モネオ(建築部門)、エル・アナツイ(彫刻部門)の5人。

 音楽部門で受賞したユッスー・ンドゥールは、セネガルのグリオの家に生まれ、1970年代に音楽活動を開始。80年代からは国外での活動も本格化させて、ピーター・ガブリエルスティング坂本龍一ネナ・チェリーなど多くのミュージシャンと共演し、次々にヒットさせたことで80年代後半のワールド・ミュージック・ムーヴメントを象徴するアーティストの一人と言われています。

 2011年から政治活動に専念するために音楽活動を休止。マッキー・サル政権下で文化観光大臣を務めましたが、現在は音楽活動に復帰。今年4月にワールドワイド・アルバムとしては約7年ぶりの『アフリカ Rekk』を発表しました。

[記者会見でのスピーチ]

 まず、国際顧問の方々にご挨拶を申し上げます。この賞をいただけることをとても幸福に思っています。

 ニューヨークで受賞者発表の記者会見に出た際、なぜ遠い日本があなたに賞を授けるのか? と聞かれ、私は、音楽は距離を縮めると答えました。音楽はひとつの言語であり、おそらく第一の言語であって、人々が互いに聴き、そして互いに理解でる言葉ではないかと答えました。質問した人はとても驚き、感銘を受けていました。

 私たちはいつも外に開かれた精神を持っています。昔からアフリカでは、奴隷貿易やその他のことで多くの人々が外国に行きました。音楽もまたその人たちとともに出ていきました。また、さまざまな島からアフリカに来た音楽もあります。ジャマイカや他の島から来た音楽です。それは我々の一部になっています。

 私はいつもコラボレーションに興味を持ってきました。1986年に偉大な音楽家、坂本龍一さんに会い、一緒に仕事をしました。彼はピアノを弾き、私は歌を歌いました。今回賞をいただいたことは、昔から我々が持っている外に向かって開かれた精神を思い出します。

 私は非常に名誉と思っていますし、こうした賞をいただいたことで私自身の国(セネガル)が栄誉を受けたように思っています。私はこの賞をアートの世界に、そしてさまざまな多様性に捧げたいと思います。音楽は多様性のいわば機関車です。ひとつの芸術形態として多様性に向かう牽引力となっています。セネガルのアーティスト全員にこの賞を捧げたいと思います。才能あふれる彼らが、多くの対話を人々の間で可能にしているのです。私たちの国一国のなかにはさまざまな言語があり、国を統一し、豊かさを強くしているのは音楽です。多様性そして差異は障害ではなく、むしろ豊かさであります。本当に名誉に思っています。ありがとうございました。



[個別懇談会]

――最近公開されたエイコン feat. ユッスー・ンドゥールの「Khalice」のミュージック・ビデオでは、セネガルの歴代の大統領や、あなたとオバマ元大統領との写真が出てきます。
 「仕事を通じて徐々に認められる存在になることをビデオにしました。ですからこのビデオでは大統領だけではなく、機械修理工など多彩な労働者が登場し、出会いがあり、人生におけるさまざまな出来事が描かれます。曲名になっている〈Khalice〉という言葉はウォロフ語で“お金”という意味です。お金をかせぐには誠実に仕事をしなければならない。そうすることで人々に認められて大統領にまで至る。勤勉な労働をしてはじめてお金はかせげるものだということを示すために大統領を含むさまざまな人々をビデオに使いました」

――ひさびさに訪れた日本の印象。
 「長い間日本に来ませんでしたけれども、到着したときの印象は昔から同じです。日本の方々が芸術に興味を持ってくださっている、とくに今回は世界文化賞ということで、日本がいかに文化を重視しているかを感じています。そして、これは世界的にもどこも同じ状況だと思っていますけれども、音楽の世界でプロモーションのために外国からアーティストを招聘するということがだんだん難しくなっています。それはアメリカでもヨーロッパでも同じだと思います。国境があったとしてもアートはそれを通り抜けることができる。そのように私は考えています。ですから音楽のプロモーターの方々は、今後も外国のアーティストをぜひ呼んでいただきたい来るたびに日本はルーツを持ちながらも外に向かって開かれているという印象を持つ。日本の太鼓は私にインスピレーションを与えてくれます」

――国境はあってもアートはそれをくぐり抜けるという発言がありました。しかし現在は、テロがあったり芸術に反対する動きがあったりといった状況が世界にはあります。アートに関して絶望的な気分になることはありますか? アートはこうした文明において今も力を持っているのでしょうか。
 「アートのすべての形式が諦めないこと、諦めずに戦っていくことを必要としていると思います。アートは国民と国民との関わりのなかで、第一線であり続けるでしょう。現状に対して恐怖は感じていません。けれどもいけないと思うのは自閉的になっていることです。国が自分に閉じこもる自閉的になる傾向がみられます。そうするとテロなどのひどい行為に対して、国は力を弱めることになります。外に向かって開かれていることが必要ですし、アートをよりよくしていくこと、芸術の状況がよければ互いの国を知り合うことができ、互いの差異がじつは障害ではなく、豊かさであると気付くことになると思います」

――新しいアルバム『アフリカ Rekk』ではアフリカのセネガル以外の国の人たちとコラボレーションをしています。それはアフリカではよく行われていることなのでしょうか。
 「これまで私は多くのコラボレーションを行なってきましたが、アフリカ以外の人たちとのコラボレーションのほうが多かったのです。それは私がアフリカ大陸を忘れているかのようでした。したがって今回のアルバムでは、アフリカ大陸内、アフリカの国同士のコラボレーションを考えました。アフリカにはアーバン・ミュージックを好む若者たちがいます。その若者たちのためにこのアルバムを作りました。これまでアフリカのアーティスト同士がコラボレーションするという例は多くはありませんでした。その点を是正したいという気持ちもありました」

――日本人とのコラボレーションは計画しているか。
 「コラボレーションは計画してできるものではありません。自発的に生まれてくるのがコラボレーションです。記者会見の席でも申し上げましたけど、初めて日本人とのコラボレーションをしたのは坂本龍一さんでした。彼とはニューヨークで出会い、本当に自発的に音楽を作りました。コラボレーションは大きな喜びです。日本でそうした偶然を起こすためにはもっと頻繁に日本に来なくてはならないし、人々に会わなければならない。いずれにしても日本人とコラボレーションできれば非常に名誉なことに思います。私はアーティストとして非常に開かれた存在であります。ですからコラボレーションを歓迎しますし、素晴らしい機会だと思っています。みずからが与えると同時に得るものも多い。ただプロジェクトとして企画を立てることはありません」

――政治活動の後、音楽活動に戻ることは困難でしたか。
 「音楽に戻ることは難しくありませんでした。政治活動をしているとき、私は文化観光大臣だったのですが大臣はひとつの機能です。それに対して音楽は私にとって情熱です。情熱が私から離れていくことはけっしてありません。大臣を務めたことで自分の国のために奉仕できて、とてもよかったと思います。しかし、ある時点で私は自分が音楽をしていないことを寂しく思うようになり、自分の情熱のために仕事をする方向に戻ることを決心しました。この機会を利用してみなさんに発表したいことがあります。今回世界文化賞でいただける賞金(注:日本円で1,500万円)をすべて芸術のために寄付します。現在、全国レベルでの普遍疾病保険制度が始まっています。そのなかにアーティストのための共済保険が存在しています。これは芸術家健康保険として存在している制度なのですけれども、賞金の全額をその保険制度に寄付して、アーティストのための貢献としたいと思います。この賞金の寄付も自分にとっての芸術の実践の一形式です」

――日本の太鼓からインスピレーションを受けるという話がありましたが、アフリカに多くの打楽器があり、世界にも多くの打楽器があるなかで日本の太鼓にどのような魅力があるか。
 「アフリカの打楽器は、高音でメタリックな音がします。ところが日本の太鼓はより低音で、それは我々の打楽器に欠けていたものを太鼓が補完してくれるように思えました。残念ながら最近亡くなられたアフリカの打楽器奏者、ドゥドゥ・ニジャエ・ローズが、太鼓を演奏するのをライヴで観たことがあります。そのときにアフリカの打楽器と補完性があると感じました。高音の出る私たちの打楽器、それに対して低音の太鼓がそこに加わって素晴らしい共生関係がそこに生まれている。そのような相互補完性、我々に欠けていたものをもたらしてくれる点で太鼓に惹かれました」

――挑戦していること、これから挑戦したいこと。
 「私は計画を立てて何かにチャレンジするタイプではありません。音楽は感じるものであって、その時になにを感じるかが重要になってきます。もちろん個別のプロジェクトを立てることはあります。たとえば音響設備が素晴らしいところで演奏しようと決めたり、あるいは自分の伴奏をしてくれる楽器を選んだり。そういうプロジェクトを立てることはあります。私は交響楽団と演奏することもあれば、打楽器だけを伴奏に歌うこともあり、ア・カペラで歌うこともある。このような多様性を伴奏の楽器によってもたらすことができるのですけれども、演奏する会場も重要です。ニューヨークのカーネギーホールで歌ったり、普段はクラシック音楽のコンサート会場として使われているパリのサル・プエイエルで歌ったり、そういったことをしています。音響設備の優れた劇場で歌うこともあります。とはいえ、音楽は計画してできるものではありません。計画をするのではなくて、そのときそのときに感動し、それに反応することから音楽はできていきます。今度の週末、私は香港で非常に大掛かりなショウを開くことになっています。アフリカにある都市の音楽、伝統的な音楽、そして私自身の音楽、それらすべてを紹介する大掛かりなショウになっています」

――『アフリカ Rekk』のほかに『セネガル Rekk』というアルバムを出していますが、『アフリカ Rekk』はインターナショナル向け、『セネガル Rekk』はセネガル国内向けという位置づけなのでしょうか?
 「音楽には国境がないと先ほど申し上げましたが、アフリカには多様な音楽がある。セネガルにはンバラという音楽がありますが、それだけではない。ですから『アフリカ Rekk』ではアフリカに存在するさまざまな流派を紹介しました。ナイジェリア、中央アフリカ、そしてセネガルの隣国であるマリなどの音楽です。それらの音楽はンバラに近いものではありますが、異なっています。したがってアフリカのさまざまな流派のポップ音楽のコンピレーションとして作ったのが『アフリカ Rekk』です。そしてそのなかからセネガル部分を取り出したのが、『セネガル Rekk』となっています。よろしければ、『アフリカ Rekk』と『セネガル Rekk』と両方聴いてみてください。『マリ Rekk』『ナイジェリア Rekk』も作れますよ(笑)」

――セネガルに限らず、若い人たちはエレクトロニックなダンス・ミュージック、ヒップホップやテクノに興味を持っています。そういう音楽に関してはどのように思われますか。
 「私はエレクトロニック・ミュージックではなく、都市の音楽、アーバン・ミュージックという呼び方をしたいと思います。現在の若者たちは、たとえばアメリカやヨーロッパからの影響を受けます。アメリカのダンス音楽やヒップホップの音楽の影響も受けます。けれども、現在、都市の若者たちはアフリカの伝統的な古典的な音楽も知っています。伝統音楽を自分のプログラミングの中に入れてそうしたコンピュータ・ミュージックを作っているのです。すなわちアーバン・ミュージックという言い方をしましたけれども、クラブでそれにあわせて踊るためには、音楽の中に力動感がなくてはなりません。すばらしい力動感が必要なのですが、残念なことにアフリカの伝統的な音楽のなかには、それだけの力動感がない。だからほかのものと混ぜ合わせなければならないのですが、プログラミングをして音楽を作るにしても、そのなかに現代のものだけではなく、伝統的な音楽の要素を入れることを私は奨励していて、実際に実践されています。今週末の香港のコンサートでは、そのようなダンス・ミュージックも紹介します」

――かつてコラボレーションした坂本龍一さんからどのような影響を受けましたか。
 「多くのアフリカ人は、私とのコラボレーションを通じて坂本龍一さんを知ったと思います。私の声を扱う坂本龍一の特別なやり方、それには興味を掻き立てられましたし、それを聴いた人々も同じだと思います。とくに坂本龍一さんに感じたことは、私の作った歌に合わせて異なる和音の選択をする、特別な和音を選択するという点でした。また、コラボレーションしたときになにか大きな空間を与えていただいたような気がしました。今までよりも開けた大きな空間で、そこで私の歌い方も変わったと思います。今までのコラボレーションのなかでもっとも成功したもので、坂本龍一さんも私も双方が望んで行なったコラボレーションです。忘れることはないでしょう。しかし、随分昔のことになってしまいました。あのコラボレーションは日本とアフリカとの間にある距離を消し去ったものですし、セネガルと日本との距離を縮めることに貢献しました。その点私はうれしいと思います。あの歌を聴くと自分でも感動します。アフリカの人はあの歌を聴くと日本からやってきた特殊な日本的なアプローチ、日本の感性を感じるのではないでしょうか。このように音楽は人と人との間の距離を近づけるということのひとつの証拠となっていると思います」

――1987年のアテネでのライヴ音源が、2015年に『Fatteliku』というアルバムになった。1987年のライヴが何故2015年に発売されたのか。それと、このアルバムの1曲目は「Immigres」という曲です。当時と今の移民問題についてどのようにお考えでしょうか。
 「あれはピーター・ガブリエルとともに行なっていたツアーで、アテネでのコンサートが力強く、感動的なものであったことが録音からわかります。アルバムのタイトル『Fatteliku』というのは“歴史的な瞬間を思い出さなければならない”という意味です。現在の移民の状況について言えば、さきほど申し上げましたが、ますます国境は閉ざされ、自閉的な状況になる国が多くなっています。国境を巡って高圧的な態度をとる政府が増えてきています。人々の自由が行き来が不可能になりつつあります。アフリカを考えると人口の増加が続いています。現在のアフリカの人口の60%が25歳未満で、マスコミはアメリカやヨーロッパをエルドラドのような黄金郷のような存在だと紹介します。そこでみんな競ってアメリカやヨーロッパに行こうとする。それに対して受け入れ側は国境を閉鎖しようとする。そのために悲惨な状況になっています。そこでまず考えなければならないことは、どうすればアフリカで雇用が増えるかということではないかと思います。どうすればよいのでしょうか。我々が必要とするのは、もはや開発援助ではありません。資源が多くあり、なすべきことも多くあります。ですから、雇用を増やして自国に留まるほうがずっといいに決まっている。個人的にはそのように思っていますが、テレビやメディアがアメリカやヨーロッパは黄金郷である、楽園であると言い続けますので子供たちはそちらに行こうとします。でも私はアメリカやヨーロッパに移民として移住したからといって、素晴らしい結末が待っているとはどうしても思えません」

――アルバムの『セット』に「ミヨコ」という曲があります。この曲が生まれたいきさつとどんなメッセージを込めたかを教えていただけないでしょうか。
 「ミヨコさん、今日ここに来てくださっていますけれども、ミヨコさんとの話は本当に素晴らしいストーリーになっています。ミヨコさんはアフリカの音楽、とくに私の音楽の大使のような役割を果たしてくれました。アフリカにいらっしゃって、私の音楽を聴き、それが世界中で通用するものだ紹介してくださった方です。家族ぐるみでお付き合いをさせていただき、私の子供たちが生まれるのも彼女は見てきました。したがって、あのアルバムのなかで私はミヨコさんにオマージュを捧げました。私はグリオであり、グリオは歴史の中の素晴らしい物語を語り、歴史的に起きたことを思い出させる歌を歌う役割があります。そしてミヨコさんはセネガルでおそらくいちばん知られている日本人ではないでしょうか。多くのプロモーションをしてくださいました。ミヨコさんに捧げるあの歌の中で、私は“try to be strong, Miyoko Akiyama”と歌っています。そしてその歌を人々が歌っています。今日、ミヨコさんがお越しくださったことを大変うれしく思っています。私は〈Miyoko〉の中でグリオとして美しい物語を語っているとご理解ください」
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