大石 始 presents THE NEW GUIDE TO JAPANESE TRADITIONAL MUSIC 第27回: 南部式

2017/03/23掲載
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大石 始 presents THE NEW GUIDE TO JAPANESE TRADITIONAL MUSIC
第27回: 南部式
 2016年9月、鹿児島県姶良市下名の市立山田小学校前に小さな文化センターがオープンした。名付けて「山田村文化センター」。かつて山田村と呼ばれていたこの一帯は、よく手入れされた田畑が広がるとても美しい農村だが、各地の農村と同じように、高度経済成長期以降に多くの若者たちが都心部へと流出。住民たちは過疎化に頭を悩ませている。
 山田村文化センターはそんな過疎の集落にオープンした。文化センターといっても決して豪華な設備が揃うホールなどではない。一角には地元の物産や子供たちのための駄菓子が並ぶほか、手作りの小さなステージ「芋蔓座」があり、定期的にイヴェントも行われている。
 そんな山田村文化センターを立ち上げたのは、南部式という音楽ユニットでも活動するテラバル仁太。もともと彼は博多でターンテーブリストとして活動し、九州のヒップホップ界隈では知られた存在だった。だが、九州南部の伝統文化に立脚した南部式では、香具師の口上(映画「男はつらいよ」の寅さんの喋りをイメージしていただければいいだろう)をベースにした民族パンクを志向。以前この連載でも登場したTURTLE ISLANDの面々や奄美大島の盛島貴男との縁も深い。
 「地域活性化」というといささか堅苦しいが、音楽と文化の力によって楽しみながら地域社会を変えていこうという彼らの試みには、もうひとつの音楽の可能性がある。山田村の革命児に会うため、僕は一路鹿児島へと飛びたった。
南部式 / はじまりの口上〜不二才〜灰汁巻ハンヤ
――仁太くんはもともと宮崎県の日向市生まれで、山田村出身ではないんですよね。
 「そうですね。親が転勤族で、住む場所も転々としてきました。熊本の天草、鹿児島の川内、そのあとが鹿屋、中学・高校は(宮崎県の)都城で、高校卒業してからは福岡に12年、途中台湾の台南に1年。各地に友達や仲間はいるけど、自分自身、地域性の深みがないというか。そのぶん方言や土着のものに対してものすごく憧れがあるんでしょうね」
――山田村に来たのはいつごろ?
 「1年少し前です。嫁さんと結婚して、それまで住んでた鹿児島市内から姶良市に移ったんですけど、子供ができたので山田村に住もうと。嫁さんは代々ここの人間なんです。初めて来たときはびっくりしました。空気が良くて嫁さんの実家は薪風呂で畑に猿や猪が出たり絵に描いたような田舎で」
――山田村文化センターがオープンしたのは2016年の9月ですよね。
 「最初は春に開ける予定だったんですよ。でも、4月に熊本の震災があって、ここ(山田村文化センター)が支援物資の拠点になった。それで9月まで(オープンを)伸ばしました。震災のときはここで売ったものをボランティアのガソリン代にしたり、仲間たちと支援活動もしました」
――どのような目的でここを始めたんですか。
 「何だかんだいって自分らの演奏場所ということですよね。今までだったらイヴェントを組むにしても鹿児島市内で場所を借りて、自分らも泊りがけでやってたんです。それはそれで楽しいけど、どうしても自分たちが一番似合う場所が欲しくなって。だいたいライヴをやるにしても、南部式はクラブ的な場所が似合わないでしょ?ミラーボールの下で雪駄に半被で手拭い巻いて出るわけには」
――まあ、そうですよね(笑)。
 「ここは公民館と同じぐらいの値段で場所貸しもしてるんですよ。土着芸能をやってる人たちをメインにした〈芋蔓寄席〉は1か月1回ぐらい開催していこうと思ってるし、映画の上映会もやってます。地元のオジさんたちのライヴをやってもいいし、おばあちゃんたちの芸事の発表会をやってもいい。それこそ呑ん方(飲み会)の場所にしてもらってもいいと思ってます」
――もともとここは何の建物だったんですか?
 「JAです。人がいないから、20年ぐらい前に撤退しちゃって。10年前に一度児童館になったけど、1、2年やってからは何も入ってなくて、近所の子供たちの間で有名な心霊スポットになってた(笑)」
――このあたりは商店はひとつもないんですか。
 「ゼロです。近くのコンビニまで車で20分。ここの子供たちは中学生になるまで自分の家から歩いてひとりでモノを買いに行くという経験がないんです。買い物はいつも親と一緒。だから、ここができたことで“ひとりで買い物ができる”って喜んでくれてます。……(買い物をしていった年配の男性に向かって)ありがとうございまーす!」
――結構年配の方もいらっしゃるんですね。
 「はい。昔、音楽とか芸事をやっていた年配の方がフラッとやってくることもあって。ここの機材は全部寄付してもらったものなんですよ。高校生のころまでバンドをやってた近所のトラックの運ちゃんがドラムセットをくれたり、昔ライヴ・バーをやってた人がPAを提供してくれたり。機材に関してお金は1円も使ってないです(笑)」
――内装は?
 「親戚に竹細工もやれば、車も治せて、三味線や農業もやる人がいるんですけど、僕が何かをやろうとすると“お前なんかにできるもんか!俺に任せておけ!”と全部やっちゃうんです(笑)」
――去年の8月には山田村の氏神様である黒島神社で〈南部式寄席盆祭り〉という手作りのお祭りもやりましたよね。
 「あれはおもしろかった。完全に〈橋の下世界音楽祭〉のインスピレーションですね。黒島神社の歴史を調べたら、昔は十五夜や夏祭りが行われていたみたいで、参道にお店が並んだり、境内で相撲を取ったり、結構賑やかだったそうなんですよ。でも、50年近く黒島神社での祭りが途絶えてることを聞いて、これは自分たちでやろう!と。しかも入場料を取らず、自治会費も使わずに投げ銭だけでやったんです。そうしたら、お盆のために実家に帰ってきていた僕ら世代の人たちも遊びに来てくれて、見事に音響代から設備費、出演料も払えて、最終的に神主さんにお礼のお金も渡せました」
南部式寄席盆祭り黒島神社
――素晴らしい!バッチリですね。
 「いやー!なんとかかんとか結果オーライ。地域の人たちも“話を聞いたときは絶対にコケると思ってたんだけど、お前らががんばってる姿を見たら協力せんといかんと思った”と言ってくれて……今後は自分たちがやりたいことを軸にして、おじちゃんたちが警備をやってくれたり、おばちゃんたちの日本舞踊の枠を作ったりと、前回とは違う動きができたらいいですね」
――2013年からは〈Newあくまきプロジェクト〉をやってますよね。これはどういうプロジェクトなんですか?
 「“あくまき”はモチ米と木の灰を竹の皮で包んで煮た南九州(鹿児島〜宮崎〜熊本)の郷土菓子で、400年前からあるそうなんですよ。でも、地元でも好きな人もいれば嫌いな人もいるというクセの強い食べ物で。ある時バンド仲間と飲みながら、くまモンに勝てるゆるキャラを考えてたんですよ(笑)。そのとき、ふとあくまきのことを思いついて」
――くまモンに対抗して、あくまきだったと(笑)。
 「あくまきって見た目や匂いが一般的には毛嫌いされるけど、栄養価が高くて、健康食品でもあるそうなんですね。見た目はちょっと悪いけど、中身は健全なわけで、俺らと一緒だ!これだ!という話になって(笑)」
――わはは!
 「“いっちょ、あくまきの歌でも作るか”という流れになって、〈あくまき音頭〉という曲を作ったんです。アメリカでソウル・フードの歌があるように、こういうものがあってもいいだろうと」
――仁太くんがヴォーカルをやってるこのCDですね。
 「はい。この当時、呑みに行く先々であくまきの話ばっかりしてて、いろんな人が“じゃあ、俺はあくまきのキャラクターを考えるよ”とか言い出したり、テレビ局が企画したコンテストに応募してみたら入賞したりと、悪ノリでどんどん話が進んでいったんです(笑)。で、自分達であくまきを作らないとリアリティないってことで、実際に山田村のモチ米を使ってあくまきを作り、イヴェントで売ったりもしてます」
――あくまきを作って村おこしをしようと?
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 「まあ、村おこしといえばそうなんですけど……ただ、村おこし自体に興味があるわけじゃないんです。自分がヒネくれてるのかもしれないけど、村おこしで旗を振ってる人たちが嘘くさく見えちゃうことがあって」
――それはどうして?
 「自分らの場合はシンプルに好きだからやってるんです。地域の祭りやイヴェントをやるにしても、集客のために有名なゲストを呼ぶんじゃなくて、自分たちがやってることをおもしろいと思ってくれる人がひとりずつ増えていって、最終的にお客さんがパンパンになる、それが理想だと思う」
――村おこしありきじゃないと。
 「そうです。村おこし以前に、自分らの生活で一杯一杯なので(笑)。先々、ここであくまきを作る工場も作りたいと思ってるし、あくまき用の田んぼもやりたい。地元の年配の人たちが山から取ってきた竹の皮を俺らが買い取ったりして、お金が回るちょっとしたサイクルを作ってるんだけど、もっと起動したいと思ってます」
――ところで、仁太くんはもともとはDJ JINMANという名前でヒップホップDJをやってたんですよね?
 「パンク・ロック生まれ、Bボーイ育ちです(笑)。高1ぐらいまでずっとブルーハーツ少年だったんですけど、DJをやってる先輩がいて、スクラッチをはじめて見てめちゃくちゃびっくりして。その先輩に習ってDJを始めました。高校を卒業してからは、高校時代に都城の仲間たちと作ったUNDER BRIDGEというクルーごと福岡に引っ越して活動してました。シカゴランダムというラップ・チームもやってて、2007年に『ロック・ハリウッド』というアルバムも出しました」
――DJとしては何年ぐらい活動してたんですか。
 「12年です」
――それまでヒップホップずっぽりだったのが、今の方向性になったきっかけは?
 「(現在の職業でもある)按摩業の扉を開いたとき、東洋医学と出会いました。(按摩の)教本を読むと、SOUL SCREAMBUDDHA BRANDのリリック、ウータン(・クラン)ブルース・リーに似た世界観を感じて、感動しちゃったんです。そのあたりから一時期ベジタリアンになったり、瞑想教室にも通い出すようになって」
――また極端な(笑)。
 「途中で合わないことに気付いて止めましたけどね(笑)。それ以前から“己とは何ぞや?”という思いがずっとあって、いろんな矛盾を感じていた時に聴いたTURTLE ISLANDが日本の土着文化に関心を持ったきっかけ。ルーツを追い求める精神性とパンク・ロックの衝動が全部あって、背中押された感じがしたんですよ。いろんな悩みが吹き飛んで、シンプルにバンドをやりたい!と思うようになって。それと、福岡親不孝通りで活動していたジュンゾウさんという人の歌を聴いてボロボロ泣いてしまったことがあって、それがきっかけでギターを弾きながら歌うようになってました」
――じゃあ、南部式を始めたのはどういう経緯で?
 「僕も参加していた(鹿児島のお祭り系ラスティック・バンド)BLOODYのメンバーだったツルくん(太鼓)ともっと土着の文化を追求したくなってきて。BLOODYから脱退して、いろいろ手探りしながら三味線を弾くようになったんです。当時は奄美と琉球の三味線の違いもわからなかったけど、次第に“六調”かっけえ!“ワイド節”かっけえ!となって……」
――徐々に鹿児島〜奄美の歌に近づいていくわけですね。
 「そうこうするうちに、鹿児島にはゴッタンという伝統弦楽器があることを知るんです。かつて(生き物の殺生を禁じられていた)薩摩の仏教徒は(通常の三味線で使われていた)猫の皮の代わりに木の板を貼ったゴッタンという弦楽器をやっていて、路上でそれを弾きながら念仏を唱えていたと。しかも廃仏毀釈のころだから、念仏とバレないように独自の歌にしていたという話を聞いて、反骨的で最高!と」
――ゴッタンはかつて南九州各地に伝っていた三弦楽器で、伝統が途絶えつつあることから“幻の楽器”などとも言われてますよね。
 「はい。昔は大工さんが余った木材でゴッタンを作っていたそうなんです。いい大工はいいゴッタン作りでもあったらしくて。今の70代ぐらいの世代まではだいたいゴッタンのことを知ってます」
――いまゴッタンを弾いてる人はいるんですか。
 「(ゴッタンの伝説的演奏者だった)荒武タミさんが住んでいた財部大河原の橋口晃一さんや永山成子さん、あとはサカキマンゴーさんが弾いてますね。甑島では島おこしとして子供や大人たちが弾いてるみたいです」
――南部式の話に戻ると、今の仁太くんの歌唱スタイルは香具師の口上に近いものですよね。ああいうスタイルに辿り着いたきっかけは?
 「香具師の口上というと寅さんのイメージがあって、昔から格好いいなと思ってたんです。パンチラインとフロウがあって、日本のラップじゃん!と。で、自分のルーツを調べてみたら、爺ちゃんが宮崎日向でひょっとこを踊っていて、曾祖父ちゃんは四国から流れてきた薬売りの香具師だったんです」
――そうなんだ!
 「その事実を知ったとき、こういう口上のスタイルは自分がやらなきゃいけないものだと思って。あと、口上はBPMに支配されないし、フロウに枠がない。民謡にもそういうフロウってありますけど、すごく自由なんです」
――仁太くんは紆余曲折を経て口上やゴッタンに辿り着いたわけだけど、それ以前から好きだったヒップホップやパンクとの共通性を感じているからこそ、そうした日本の文化にのめり込んでいった感じがしますね。
 「うん、それはありますね。かつての奄美大島は薩摩藩の過酷な支配下に置かれていたわけですけど、アフリカから連れてこられた黒人たちの歴史と一緒だと思っていて。差別され、苦しんできた奄美の歌のなかには薩摩への怒りを暗号のように盛り込んだものもあるし、ジャマイカのナイヤビンギにもそういう怒りが込められているものがありますよね」
――そうですね。
 「ナズが自分の父親であるオル・ダラの曲をサンプリングするように、アメリカでは自分の親や近所のおっちゃんが歌っていたものからインスパイアされながら、その現代版を作ったりする。そういう風に、鹿児島の人間が(鹿児島の代表的な民謡である)“おはら節”の上でラップしてもいいと思ってます。サンプリングするより弾いた方が断然楽しいけど。ヒップホップの元ネタ・コレクターがJB(ジェイムス・ブラウン)を好きすぎるあまり、ファンク・バンドを始めたりするじゃないですか。自分たちとしてはその流れにも似てるんじゃないかと」
――なるほどね。
 「時々“ネタ”って言葉が嫌になりますけどね。とにかく、歴史の続きを鳴らしているだけかも」
――仁太くんたちがやってることがこの文化センターにやってくる子供たちのルーツになる可能性も多いにあるわけだし、すごく重要なことをやってると思いますよ。
 「そうなるといいんですけどね。もちろん技術や精神を磨くのは必要だとしても、背伸びをせず、前のめりのマイペースでこれからも九州南部のサウンドをやっていきたいと思っています」
芋蔓寄席春が来たスペシャル
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2017年3月26日(日)
鹿児島 山田村文化センター野外ステージ
〒899-5543 鹿児島県姶良市下名1067-1
山田小学校前旧JA跡地

10:00〜16:00
前売 1,000円 / 当日 1,200円
※18歳未満入場無料


[出演]
盛島貴男 / ALKDO / PLUTATA / 知久寿焼(パスカルズ) / サカキマンゴー / 南部式 / GIANT STEPS / ジャイアントストンプス / クラウンもっきー
ほか


[お問い合わせ]
山田村文化センター 0995-73-8188
西方食堂 090-5750-9347
テラバル 080-1707-7315



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