【クリスティアン・ベズイデンホウト interview】非凡なタッチから生み出される千変万化の音色

クリスティアン・ベザイデンホウト   2010/04/02掲載
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 鍵盤楽器演奏について語られる際に、よく耳にするキーワードのひとつ、“タッチ”。演奏に重要なファクターはあまたあれど、中でもこの“タッチ”は、そのセンスとテクニック如何で、作品をこの上なく魅惑的なものとするか、あるいは退屈きわまりなくしてしまうかを、大きく分けてしまう(もちろん、そのタッチを導き出す音楽性が重要なのだが)。
 79年南アフリカ生まれのクリスティアン・ベズイデンホウト(Kristian Bezuidenhout)は、この“タッチ”の妙をことのほか味わわせてくれる音楽家だ。彼が繰り出す音色は、柔らかさと温かみ、そして清澄さを常に維持しながら、さまざまにその様相を移りゆき、聴くものを陶然とさせる。
 彼は2002年、武蔵野市民文化会館でのリサイタルで初来日。次いで訪れた2009年のクリストファー・ホグウッド指揮NHK交響楽団との共演で、一気にその名を知られるようになった。今年は2月に王子ホール、Hakuju Hallでのリサイタルに招かれたばかりだが、なんとこの5月にも鈴木秀美指揮オーケストラ・リベラ・クラシカのソリストとして、たった1回の公演のために再来日を果たす。筆者イチオシのこのフォルテピアニストを、ぜひともお聴きいただきたい。


ベズイデンホウト
(C)Marco Borggreve
――まず最初に、お名前の正式な発音を伺っておきましょう。
クリスティアン・ベズイデンホウト(以下、同) 「ベズイデンホウト(註:“ズ”は“ザ”音に、“ホ”は“ハ”音の要素をやや含む感じ。アクセントは“ズ”)。もともとは17世紀にオランダにあった家系です」
――南アアフリカご出身で、最終的にはアメリカのイーストマン音楽学校で学ばれていますね。
 「97年にアメリカに行き、2008年までいました」
――そこでまずレベッカ・ペニーズにモダン・ピアノを習い、その後マルコム・ビルソン(フォルテピアノ)やアーサー・ハース(チェンバロ)、ポール・オデット(コンティヌオ)らに師事されていますね。なぜピリオド楽器に傾倒されたのでしょう?
 「もともと世界中の交響楽団とチャイコフスキーやラフマニノフのコンチェルトを弾いて廻るようなスタインウェイのソロ・アーティストになりたいとは思っていませんでした。イーストマンでの2年目にビルソンやハースさんと出会い、古楽にたずさわる方たちの気質や、その姿勢にとても魅力を感じました。歴史的な情報や楽器を用いながら、古い音楽を活き活きと、そして聴きやすいように提供してゆく。そして、彼らはその信念に対してものすごく情熱を持っていらっしゃる。そういうところに惹かれたんです」
――その後、2001年の第38回ブルージュ国際古楽コンクール(旧モーツァルト・コンクール)のフォルテピアノ部門で第1位、および聴衆賞に輝かれました(註:この時の第3位は平井千絵。38回のコンクール史の中で、第1位と聴衆賞をダブル受賞したのはベズイデンホウトを含む3名のみ。ちなみに、その後の2005年にはヴァイオリンの高橋未希がその栄誉に輝いている)。
 「かなり厳しいコンクールで、その名に見合う人でないと絶対に第1位を出さないんです。きわめて高いスタンダードに誇りを持つというのは、ある意味でとてもよいことで、そこで評価されたのは本当に光栄なこと。ですが、逆に参加者にとっては大きな恐怖でもあるんです。究極の緊張状態に陥ってしまいますからね」
――大学卒業後、アメリカやヨーロッパでバロック・オペラのコンティヌオをやっていらっしゃっいましたが、当時とくに印象に残った公演などはありますか?
 「フランスのバロック・オペラ、とくにリュリラモーの作品に参加できたのは、かけがえのない体験だと思っています。それらのレパートリーは、自分が実際に中に入ってやってみることによって、真の理解が得られるものです。ソリストではおそらく想像できないような大きなものを得たと思いますし、自分のソロ活動に素晴らしく役に立っています」
――たとえばジョス・ファン・インマゼールなどは、バロック的なレトリカル/修辞学的フィギュアに対して、とてもヴィヴィドに対応・表現しようと試みます。そのアプローチについてはどうお考えになりますか?
 「まったく大賛成です。もっと多くの方たちが重要視してよいのではないかと思っています。レトリックというのは、とても難しいものですが、最終的にそれが目的としているのは、情熱をもって音楽を聴衆に伝えるということです。強調しておきたいことは、演奏家というのは、聴いている方たちをその音楽に引き込まなければいけない。そういう演奏をすることで、モーツァルトでもハイドンでもベートーヴェンでも、皆の感情により近いものを表現できるのではないでしょうか」


モーツァルト:疾風怒濤
『モーツァルト:疾風怒濤』

モーツァルト:鍵盤楽器のための作品集第1集
『モーツァルト:鍵盤楽器のための作品集第1集』
――2000年に録音されたデビュー盤『モーツァルト:疾風怒濤』は、そのタイトル通り、とても情熱的でエネルギッシュな演奏で、今でも耳を離さないクオリティです(註:この盤ではブックレットなども彼自身でデザインしている。インレイの彼の写真はファン必見?)。そして今回、harmonia mundiからリリースされた『モーツァルト:鍵盤楽器のための作品集第1集』では、同じハ短調の「幻想曲」からスタートしていますね。しかし、同じ曲から始まりつつ、アルバムの性格はまったく異なった方向に向かうよう選曲されています。
 「この曲で始めることによって、リスナーの耳を現世界から解き放つような役割を果たしていると思いますし、なかば即興のような世界ですので、耳を自由にしてくれるというのも大きいでしょう。新しいアルバムの方では、モーツァルトがすべてのジャンルを完璧に網羅し、そして自由自在に操っていたという点を表現したいと思いました。〈幻想曲〉というのは究極の自由だったと思いますし、〈ソナタ〉というのは出版用、あるいは教育用にきちんとした作品でありつつ、とてもチャーミングに、それでいてシックに作り上げられている。最後の〈変奏曲〉はモーツァルトの生きていた時代を反映するような作品だと思っています」
――それにしても音色の変化が素晴らしい。フォルテピアノという楽器は、音域によって音色がかなり変化するものですが、両アルバムともに劇的と言ってもよいほどに音色が移り変わります。
 「おっしゃるようにこの楽器にはそういう性質があり、ベースからトレブルまで、音の性質が4段階で変わってゆきます。モーツァルトは、トレブルの部分の書き方とベース用のそれをまったく違ったように書いています。トレブルは銀のような音、そして旋律が重要視されます。それに比べると、ベースの方はどちらかというと打楽器的でドラマティック、またオーケストラ的な作風ですね。もちろん、この楽器は音がすぐに消えてゆきますし、ひとつひとつの動きが、モダン・ピアノと比べてもとても小さい。なので、究極のソフトな音が出ると思います。そういう意味で――たとえばスタインウェイのような嵐のような音ではないかもしれないけれども――強弱の幅はとても広い」
――『疾風怒濤』に収録されているイ短調のソナタ第1楽章や、全集でのヘ長調のソナタ第3楽章などの弱音では、ダンパーを使ってらっしゃるのでしょうが、それにしてもとてもインパクトがあります。
 「18世紀後半から19世紀のウィーンの楽器には、左膝で操作するペダルがあります。これはフェルトを落とすような特別効果的なもので、私はかなり頻繁に使用します。なので本当に遠くの方で何かが鳴っているような効果がありますね。こういった極端な音というのはモーツァルトの場合でもとても重要です。彼はオーケストラだけでなく、ピアノでも人間の幅広い感情を素晴らしく表現しているのです」
――調律について。ピッチは430で統一されているのですが、調律は以前トーマス・ヤングだったのが、最近ではフランチェスコ・ヴァロッティに変更されています。前者は物理学者で後者は作曲家の名前ですが、両者は同じものと考えてよいのでしょうか?
 「たしかに実際とても似ています。唯一の違いは、ヤングの方はシャープのキーを重視している点でしょうか。今回の第1集はヴァロッティなのですけれども、ト長調のものは、ドミナント時を考慮して、フラットとシャープをやや低めに調整しています。ですので、基本的にはヴァロッティで、曲ごとによって微妙な調整をしているというのが正確ですね」
ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ第3、9番
『ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ第3、9番』
――最後に、今後の録音予定をお聞かせ下さい。
 「間もなくリリースされるものでは、ONYXでのヴィクトリア・ムローヴァとのベートーヴェンがあります。ヴァイオリン・ソナタの作品12-3(第3番)と「クロイツェル」をフォルテピアノとガット弦とで録音しました。harmonia mundiからは、4月にメンデルスゾーンの初期ピアノ協奏曲集をフライブルク・バロック・オーケストラと録音しますし、彼らとはモーツァルトの協奏曲も視野に入っています。モーツァルトの作品集は第2集を、今年1月にロンドンで録音しました。出るのは来年2011年初めになると思います。第3集は2011年の5月録音で、2012年のリリースになるはず。第4集は2011年の秋に録音です」
――ヤン・コボウやペトラ・ミュレヤンスとの続編は?
 「決まっていないんですよ。今ちょっと手が一杯になってしまって、さすがに……(笑)」
――ではそれらは気長に待つとしましょう(笑)。今後のご活躍を楽しみにしています。
取材・文/松本 學(2010年2月)
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