[こちらハイレゾ商會]第67回 令和を迎えて、ベートーヴェン後期ピアノ・ソナタの新しい聴き方
掲載日:2019年5月14日
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こちらハイレゾ商會
第67回 令和を迎えて、ベートーヴェン後期ピアノ・ソナタの新しい聴き方
絵と文 / 牧野良幸
 今回はスペインの高音質レーベルEudora Recordsのハイレゾを取り上げてみたい。ベートーヴェンの後期ピアノ・ソナタと「6つのバガテル」(作品126)を収録した『Late Piano Sonatas - Bagatelles』。ピアノはジュゼップ・コロン。これがなかなかのハイレゾだったのだ。
 Eudora Recordsはスペイン発の高音質レーベルというところが異色だ。音質へのこだわりも強く、収録はDSD256(11.2MHz)でおこなわれている。
 収録にこだわるのと同じくらい配信にもこだわっている。今回の『Late Piano Sonatas - Bagatelles』も、flacが96kHzと192kHzの2種類。DSFは2.8MHz、5.6MHz、11.2MHzの3種類。さらに5.0ch flac 96kHz/24bitまである。ピュア・オーディオ愛好家からサラウンド・ファンまで、全方向でマニアをうならせるラインナップである。
 この中で、僕が聴いたのはDSF5.6MHzであるが、確かに音質はいいと思った。スタインウェイの音はクリア。弱音は星がキラキラと輝くような美しさだ。その一方でフォルテは力強く、フォルテッシモでは、コンサートグランドピアノらしい重量感がある。その時の低音はピアノの鋼鉄弦がハンマーで打たれるのを伝えるメタリックな感触。
 これらの音が目の前に粒立ち良く浮き上がるのである。解像度もあり、ベートーヴェンなのにバッハのように各声部の動きがわかる時があるほど。まるでピアノの中を覗き込んで聴いているかのようだ。
 しかしマイクをピアノの中に入れたわけではない。購入特典でダウンロードできるブックレットの写真を見ると、マイクはピアノから少し離れたところに設置してある。マイクそのものは写っていないが、一本のスタンドを立て、そこに2本のマイクを付けるワンポイント録音ではあるまいか。サラウンド収録用と思われる、観客席に向けられた2本のマイクもワンポイントで設置されているのが写っているから、多分そうだろう。
 いずれにしても、一定の距離感がある自然な音場。低音から高音まで、中央から広がるのはワンポイント風だと思う。それでいて鮮明なピアノ音が浮かび上がる。これがDSD256(11.2MHz)収録の威力というものか。
 感心したのは音質だけではない。ジュゼップ・コロンの演奏も文句なく素晴らしかったが、何より曲の並べ方に感心したのだ。
 ベートーヴェンの最後のピアノ・ソナタである第30番、第31番、第32番。これらの前に「6つのバガテル」の中の2曲ずつをそれぞれ配置して連続して演奏していくのだ。
 「6つのバガテル」はベートーヴェンがピアノ・ソナタ第32番の作曲後も取り組んだ小品集でこれが最後のピアノ曲となる。ベートーヴェンは6曲をまとまった小品集として作曲したらしいが、ジュゼップ・コロンはあえてそれを分けて、2曲ずつを後期ピアノ・ソナタの前に置き、連続して演奏していくのである。
 ピアノ・ソナタ第30番の前に「6つのバガテル」の第5番と第4番を、ピアノ・ソナタ第31番の前に第1番と第3番を、ピアノ・ソナタ第32番の前に第2番と第6番というように。
 その結果、2曲のバガテルとピアノ・ソナタが、まるで楽譜がそうなっているかのように1曲として聴こえるのである。
 おそらく初めて後期ピアノ・ソナタを聴く人には、どこからピアノ・ソナタが始まったのかわからないのではあるまいか。そういう意味では、クラシックの入門者にはおすすめできないけれども、さんざん後期ピアノ・ソナタを聴き込んだ人には新鮮だろう。
 それにしてもバガテルとピアノ・ソナタがあまりにスムーズにつながっているので、念のためバガテルのピアノ譜を見ながら聴いてみた。
 そうしたらやはり最後のところで(またはピアノ・ソナタの冒頭で、と言ってもいいが)、数小節の繋ぎ部分が付け加えられているようだ。まあカデンツァもそうだが、もともと即興演奏が加えられることはクラシック音楽にも許されているのだから、これぐらいは異存ない。
 それよりもベートーヴェンの後期ピアノ・ソナタが、今までにない新鮮さで聴けた感慨のほうが大きい。これほどの名曲でも、何十年もレコードやCDで聴き続けていると正直言って感動が薄れてくるところがある。「6つのバガテル」も同様で、そのまま聴くのもいいが、今回のように2曲ずつのほうが、ちょうど額縁をつけたように曲が引き締まって聞こえ、染み込む度合いが増した。
 人によってはオリジナルに手を加えることに眉をひそめるかもしれない。しかしブラームスの『間奏曲集』を再構成したグレン・グールドのアルバムが原曲をより輝かせたように、ジュゼップ・コロンも、この方法でベートーヴェンの後期ピアノ・ソナタに新鮮な息吹を吹き込んだ気がする。
 令和を迎えて、ベートーヴェンの後期ピアノ・ソナタも新しい聴き方をしてもいい時代が来たのかもしれない。そんな感想を抱かせるハイレゾだった。よかったら聴いてみてください。



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