[注目タイトル Pick Up] ノルウェーが生んだ国際的スター、オーレ・ブルって誰? / やのとあがつまの音楽的冒険をハイレゾで聞ける喜び
掲載日:2020年3月24日
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注目タイトル Pick Up
ノルウェーが生んだ国際的スター、オーレ・ブルって誰?
文/長谷川教通


 オーレ・ブルって誰? 19世紀ノルウェーの作曲家&ヴァイオリニストですよ。1810年にベルゲンで生まれ、9歳でベルゲン劇場管の第1ヴァイオリンを務め、ソリストとしてベルゲン・フィルと共演するなど、天才の名をほしいままにする。成人する頃にはドイツ、フランスと移り住み、その間にもヴァイオリンの腕を磨き、ついにはパガニーニにも匹敵するともてはやされ、ヨーロッパからアメリカまで何千回もの演奏会を行っている。この成功で巨万の富を築き、アメリカでは広大な土地を購入して開拓事業を推し進めたり(現在もオーレ・ブル州立公園として残っている)、故郷ベルゲンでは島を購入したり……とにかくノルウェーが生んだ国際的スターとして名声を勝ち得た人物だった。その波瀾万丈の生涯がイプセンの戯曲「ペール・ギュント」のモデルにもなったというのだから驚きだ。ブルはその「ペール・ギュント」の劇音楽を書いたエドヴァルド・グリーグとも親交があり、15歳だった少年エドヴァルドの才能を見出しライプツィヒ音楽院への入学を勧めたという。現代の日本でブルの名を知る人は少ないが、シューマンやリストからも評価されたヴィルトゥオーゾであり、有能な作曲家でもあったのだ。
 そんなスターの存在を、ノルウェーの2Lレーベルが放っておくはずがない。e-onkyo musicのハイレゾ配信では『OLE BULL Violin Concertos』(2009年録音)と『OLE BULL Stages of Life』(2018年録音)がアップされている。どちらもオリジナルはDXD(352.8kHz/24bit)収録され、録音場所も同じJar教会。ヴァイオリンがアンナル・フォレソー、指揮者は異なるがオケは同じノルウェー放送管だ。楽器の配置は指揮者を起点としてグルッと円を描くといういつもの方式で、指揮者の左側から第1ヴァイオリン8、ヴィオラ5、右側から第2ヴァイオリン8、チェロ5(2009年録音では4)、コントラバス3という並びで、ソロ・ヴァイオリンは指揮者の正面やや左で1mほどの高さの演奏台上で弾く。ソロの背後に木管、金管が階層状に並び、打楽器を左右に振り分ける。9年という時間差があっても基本は変わらない。ただ、2009年の段階では円の中央に設置されたマイクスタンドに組まれたアームに取り付けられたマイクは5本で、コントラバス用のピックアップマイクが追加された7.1chサラウンドの設定。つまり水平方向のサラウンドを想定しているが、最新の収録ではマイクスタンド(7本設置)の上方にアームを追加して4本のハイト・チャンネル用マイクを設置。ソロ、低弦、大太鼓用それぞれのピックアップ・マイクも追加され、楽器の明瞭度を向上させて、Auro-3Dのようなイマーシブオーディオを想定した設定に進化している。
 興味をひかれるのが、この9年の差で音質に違いがあるのかどうか。あらためて聴き直してみる。今回はあえて2ch音源で、e-onkyo musicで入手できる最高スペック192kHz/24bit(2009年)と352.8kHz/24bit(2018年)を試聴した。2L録音の特長は高音域がタイトに伸びきって、響きがクリアで透明感があること。それに対して低音域は量よりも明瞭度。スピーカーによっては高音域が細く鋭く感じられるかもしれない。だからトゥイーターの再生能力が問われる。20kHzを超える信号を再生できるかどうかよりも、20kHzを超える信号が入っても可聴帯域の再生が暴れないこと、濁らないこと、粗くならないことが大切。トゥイーターだけでなくスコーカーにも同じことが言える。
 ヴァイオリンの名手の作品だけに、高音域の情報量がものすごい。ヴァイオリンのE線のハイポジション乱れ打ち。高音域に問題のあるスピーカーだとギブアップだろう。といっても音楽自体に難解なところはなく、未知の世界への憧れや故郷への感傷的な想いがつまった旋律が耳に優しく、アップテンポの曲では民族的な踊りの要素も入って、とても親しい気分にさせられる。どちらのアルバムも音作りに大きな違いはないが、2009年録音ではやや高音域に傾く。グッと音量を上げていくと、思いのほかダイナミックレンジが広いことに驚かされる。弦と金管にティンパニが加わったアタックがバンと炸裂して、その衝撃はかなりなのものだ。一方の2018年録音では高音域の解像感や金管の鮮烈さはそのままに、低音域の量感が増し、木管の艶も聴きもので、さらに空間の立体感がすばらしい。音楽的なバランスではこちらに軍配を上げよう。録音の技術の進化が、音楽表現に影響を与えることをあらためて認識させられる。2Lレーベルの中でも出色の音質なので、ぜひオーディオ・ファンに聴いてほしい。


 1963年、ウラジーミル・アシュケナージ26歳の録音だ。演奏旅行でロンドンを訪れていた際のセッションで、当時30代前半のロリン・マゼールがロンドン交響楽団を振っている。この年、アシュケナージはイギリスへの移住を決意する。実質的には妻と子どもをともなっての亡命だった。ソ連当局からは帰国するように促されたが従わなかった。それまでのソ連における公式記録から彼の名は抹消された。1955年のショパン国際コンクールでは優勝を逃したものの、翌年のエリザベート王妃国際音楽コンクールでは優勝、1962年にもチャイコフスキー国際コンクールでジョン・オグドンと優勝を分け合うなど、ソ連を代表する期待のピアニストだった。それだけに「亡命」の判断と行動の意味は重い。そんな迷いと不安と恐怖、自由な活動への希望……葛藤の中での演奏だった。
 若き日の演奏だから、バリバリと勢いにまかせて弾きまくるようなイメージを持つかもしれないが、まったく違う。むしろマゼールの指揮が前のめりな感じに聴こえてしまう。ピアノは安定したテンポ、抜群のテクニック。ダイナミックなのに細かい音までていねいに弾き込まれている。過度に想い入れを押しつけたり感傷的になることを避けつつ、チャイコフスキーならではの旋律を美しく彩っている。ロマンティックなのに爽やかな空気が漂う。何より明瞭で美しい音色なのに、あくまで艶やかで尖ったところがない。これぞ天才的な音楽性とバランス感覚の出会い。マゼールの指揮も冴えている。このころのマゼールはとてもアグレッシブでロンドン響をみごとにドライブしている。2人の名手があるときは火花をちらせ、またリスペクトし合って生み出された超名演。アシュケナージのキャリアの中でも最上位に評価していい。後年アシュケナージはこの曲をレパートリーから外してきた。外面的な効果を求められる作品は自分には合わないから……というのだが、2020年に演奏活動からの引退を発表したアシュケナージ。もう聴けない。この演奏で弾きつくしてしまったのかもしれない。


 トゥガン・ソヒエフがいよいよショスタコーヴィチの交響曲を録音した。まずは第8番からだ。オケは2008年から音楽監督をつとめるトゥールーズ・カピトール国立管弦楽団。ソヒエフは2014年からボリショイ劇場の音楽監督でもあるわけで、ショスタコーヴィチならロシアのオケで……と思われるかもしれない。交響曲第8番では、この曲の初演も担当したムラヴィンスキーによる鋼鉄のような強靱で冷厳な録音もあり、また名演と評価されるコンドラシンの録音も荒々しいまでの激しい表現で聴き手に挑みかかってくる。
 そういった先入観でソヒエフの演奏を聴く。冒頭……暗雲が立ちこめてくるような威圧感と不安感……ではあるのだが、一瞬唖然としてしまう。往年の巨匠たちが描き出す表現とはまったく違う。「えっ」と驚く。すばらしい弦の合奏なのだ。巨匠たちはヴァイオリンと低音弦を強烈に対比させ、衝突させ、ヴァイオリンの高域などあまりに鋭くて、まるで恐怖の叫びのように耳に突き刺さってくる。
 熾烈を極めた独ソ戦を体験し、スターリン体制のもとで生きる当時の音楽家として、惨憺たる戦争の傷跡を生々しく描くのは必然かもしれない。ただ、現代の音楽家がショスタコーヴィチを演奏するとき、かつての巨匠たちと同じアプローチでいいのだろうか。ソヒエフは「対比と衝突」ではなく、音楽的に融合し、管楽器との組み合わせで響きの色合いを巧みに変化させる。また第3楽章ではコンドラシンのように高速&粗暴で攻めるまくるのではなく、むしろ抑えたテンポで弦をまるで人間の呼吸であるかのように扱う。同じリズムを繰り返しながらも、刻々と表情を変化させる合奏の妙。これがショスタコーヴィチの作曲技法の本質なんだと、ソヒエフは訴えているのかもしれない。無機的な進軍ラッパや機銃音などを意図的に増幅させるのではなく、むしろ遠目からの鳴りに止めることで音楽は立体的に響き、苦難の中で生きようとする人間の呼吸が際立ってくる。やがて粗暴な音が極限に達しながら第4楽章へとなだれ込む。ラルゴの旋律が破壊の跡に立つ人間の癒えることのない傷、生き延びたんだという安堵とわずかな希望が入り混じった複雑で哀しい心象を描き出す。
 ソヒエフは戦争の暴力を無機的な音で再現するのではなく、音楽表現としてショスタコーヴィチの楽譜に向き合い、そこに込められた人間の生き様に光を当てようとした。現在、最良の関係にあると評価されるトゥールーズのオケだからこそ、先入観に囚われることのない新たな解釈が可能になったと言えるのではないだろうか。



 2020年3月はミュンヘン交響楽団の日本ツアーで、ソリストとしてモナ=飛鳥・オットのピアノが聴けるはずだったのが、新コロナウイルスのパンデミックにより、全公演中止で聴けなくなってしまったのが残念。それだけに彼女が弾いたモーツァルト・アルバムがハイレゾ配信されたのは嬉しい。彼女の日本でのCDデビューは3年ほど前にOehms Classicsからリリースされたシューベルトとリストのアルバムだが、これがとっても良かった。44.1kHz/24bitだが、音はクリーンで、作品を真っ直ぐ見つめるような演奏。抒情的で透けるような響き。作為的な表情や個性と称するあざとさもなく、20代の感性をそのまま曲に反映させたピアノが清々しい。リストで聴かせるテクニックとリズムの切れ味が抜群だ。姉のアリス=紗良とどうしても比較されるてしまうが、繊細な感覚とどこか奔放さを感じさせるところが姉の魅力なのに対して、モナ=飛鳥は自分の感覚を素直に音にしてしまう。ある意味オーソドックスなアプローチだと言っていいかもしれない。
 モーツァルト・アルバムはhaenssler CLASSICレーベルで96kHz/24bit音源で、モナ=飛鳥のタッチのクリーンさに魅せられる。音の立ち上がりがきわめて速い。けっしてバリバリと弾きまくっているわけではない。K.1の「メヌエット」など何ともチャーミングで、ピアノを習い始めたころのワクワク感を今でも持ち続けているんだなとほっこり気分。K.511「ロンド イ短調」にも暗さよりモーツァルトならではの愉悦感が印象的だ。K.310のソナタでもモーツァルトの短調ということで、ことさらに悲劇性を強調するピアニストも少なくないが、彼女は大袈裟な表現はとらない。指を軽く弾ませる感じの素早い指回し。粒の揃った音が連なり、フォルテピアノのような風合いも感じさせる。第2楽章ではいくぶんテンポを揺らしながら感性のままに旋律を紡いでいく。第3楽章にも重々しさや押しつけがましさはなく、音楽の悦びや愉悦が弾んでいる。こういう演奏は好きだなー!




 ミェチスワフ・ヴァインベルクの名は、日本では2010年以前はほとんど知られていなかったのではないだろうか。2010年のオーストリアのブレゲンツ祝祭劇場で上演されたオペラ「パサジェルカ」は彼の重要作品とされており、その映像が日本でも「クラシカ・ジャパン」で放送され、大きな話題となった。アウシュヴィッツで看守だった女性が、ブラジルへの客船のデッキで囚人だった女性と出会う。そこから忌まわしい記憶がよみがえり、現在と過去を行き来しながらドラマが展開していく。この衝撃的なオペラを指揮したのがテオドール・クルレンツィスだったことも注目された要因の一つ。ヴァインベルクの作品はギドン・クレーメルが熱心に取り組んできたし、最近ではミルガ・グラジニーテ・ティーラもヴァインベルクを取り上げている。
 1919年にポーランドのワルシャワで生まれ1996年に亡くなったが、まさに激動の20世紀を振り返るとき欠かすことのできない作曲家として再評価が進んでいる。多作家で、交響曲やオペラ、室内楽など多方面で多くの作品を書いており、弦楽四重奏曲だけでも17曲ある。シレジアン弦楽四重奏団による録音は、2019年の生誕100年を記念して企画された全7タイトルの“室内楽全曲”シリーズで、e-onkyo musicでは96kHz/24bitのハイレゾ音源が3タイトルまでリリースされている。
 彼はユダヤ人の家庭で生まれ、ワルシャワ音楽院で学んだが、1939年のナチス・ドイツのポーランド侵攻でソ連に亡命する。ワルシャワに残った親と妹は強制収容所で亡くなっている。ソヴィエト国内を転々としながら作曲への道を歩み始めていたが、1943年からはモスクワに移り、ショスタコーヴィチとの親交を深めていった。この時期に書かれたピアノ五重奏曲はショスタコーヴィチの影響を感じさせるものの、彼が評価されるきっかけとなった作品。弦楽四重奏曲第7番は抒情的な旋律が彼の根にあるユダヤ的な要素が表現された作品と言えそうだ。
 戦後のスターリン体制のもとで起こった反ユダヤ主義運動の影響もあり、1953年2月に逮捕されるが、同年3月のスターリンの死に救われた。とはいえ、社会主義リアリズム路線による芸樹家への締め付けは強かった。1959〜1964年に書かれた弦楽四重奏曲第8〜10番は古典的な作風で、彼の作品の中では聴きやすいといわれている。各声部のコンストラストが鮮やかでテクニカルな表現もあって、シレジアン弦楽四重奏曲の巧さが際立っている。後期に入ると激しく痛切な表情と内的に沈潜していく音楽が交互に浮き上がってくるような独自の世界が展開されていく。「3 Palms」はミハイル・ユーリエヴィチ・レールモントフの同名の詩を元にした作品でヨアンナ・フルシエルのソプラノが加わる。
 シレジア弦楽四重奏団は、1978年にポーランド南部のシレジア地方の都市カトヴィツェにあるシマノフスキ音楽アカデミーの学生たちによって結成された。ラ・サール弦楽四重奏団やジュリアード弦楽四重奏団にも教えを受けたということもあって、とくに現代作品を積極的に取り上げており、初演も数多くこなしている。ヴァインベルクへのリスペクトと、作品に対する理解の深さが感じとれる名演だ。

やのとあがつまの音楽的冒険をハイレゾで聞ける喜び
文/國枝志郎

 何も知らずに「やのとあがつま」というユニット名を見たらまあ普通「だれ?」って思いますよね。しかもですよ。1曲めが「こきりこ節」、2曲めは「おてもやん」ときたもんだ。しかしそれが実はシンガー・ソングライターの矢野顕子と、津軽三味線奏者・上妻宏光とのデュオと聞けばなるほどと膝を打つわけであります。このふたり、2013年6月にニューヨークで上妻が三味線を演奏した際、その公演を観ていた矢野が上妻に声をかけたのがきっかけ(声がいいからもっと歌えと言ったとか)で交流が始まり、2014年9月には記念すべき地ニューヨークで共演して大喝采を受け、2015年には日本凱旋公演を行なうまでに至っているわけです。そのライヴの成果は矢野の2018年のアルバム『ふたりぼっちで行こう』で上妻とのコラボレーション(矢野の1981年のアルバム『ただいま。』収録の「Rose Garden」のリメイク)として結実。その後もふたりは音楽的交流を続け、そしてここに新ユニットとして「やのとあがつま」が始動したという次第なのですね。実際このコラボレーションは基本的には洋楽的なポップス畑の矢野と、邦楽畑の三味線奏者・上妻の異種格闘技戦的な興味深さに加え、矢野が1976年のデビュー・アルバム『Japanese Girl』からずっと彼女独自の表現として日本の童謡や民謡を新解釈して披露してきたということ、そして一方の上妻は長きにわたって純邦楽界を牽引しながらも、マーカス・ミラーやハービー・ハンコックといった異ジャンルの巨人とも共演し、ジャズ、ロック、ポップスにも積極的にアプローチしてきたということを考えると、このふたりがユニットを組むのはごく自然なことだったのでしょう。ピアノと三味線に和風の打楽器が色を添える富山県民謡「こきりこ節」で始まり、「おてもやん」や「斎太郎節」といった民謡に加え、矢野の『JAPANESE GIRL』に収録された「ふなまち唄 Part I」「ふなまち唄 Part II」のヴァージョン・アップとも言える「ふなまち唄 PART III」、そしてこのアルバムのために書き下ろされた2曲の新曲を含む全9曲。ゲストに迎えられた仙波清彦のパーカッションや12歳の民謡歌手・白戸琴菜の歌も素晴らしく、矢野と上妻の共演に華を添えています。この音楽的冒険をハイレゾ(96kHz / 24bit)で聞けるのは大いなる喜びと言えましょう。


 こういう振り切れた作品がなんの前触れもなくすっと提示されてしまうところが配信というもののすごさであり恐ろしさでもある。Cutsigh(a.k.a.河西裕之)は、1995年に日本が世界に誇るレゲエ / ダブ・バンドAUDIO ACTIVEに加入して以来、この唯一無二のバンドの奥行きのあるサイケデリックなサウンドに大きく貢献してきた。いっぽうでCutsighはまたMELONMANの一員として知られ、DRY&HEAVY、DOOOMBOYS、FORCE OF NATUREへの客演、JemapurとのユニットDELMAK、勝井祐二(ROVO)とのデュオ、Sr.Ringsなどでの活動のほか、ソロのコンポーザー / プレイヤーとしても活動するギタリスト。彼はこれまでにソロ・アルバムとして2011年にファースト『Pipedreams』、2018年にセカンド『SADistortion』を発表しており、また2015年にはイラストレーターSHOHEIとのコラボレーションによる『88Loops』を制作している。ちなみにこの『88Loops』はタイトルどおり、30秒前後の短いギターを中心としたループが88曲(アナログは2枚組で、各面に22曲ずつ)収録されたもので、やや特殊とも言えるが、2作のソロは、レゲエ / ダブを経たドゥルッティ・コラムかマニュエル・ゲッチング(アシュ・ラ・テンペル)かとでも言うべき繊細かつ大胆な音響彫刻で、凜とした美しさと、ダーティで地面を這い回るような猥雑さを兼ね備えた佳作だった。そしてそれに続く3作めのソロが本作である。これは当初カセットテープ(Cutsighはカセット好きなのか、過去の作品もカセットでリリースされている)でリリースとなったものだ。それがついにハイレゾ(96kHz / 24bit)で配信となったのだからこれを事件と言わずしてなんと言おう。いまどきカセットを聴ける環境よりハイレゾを聴ける環境のほうが圧倒的に多いんじゃないでしょうか(本人はカセットで聞いてほしいのかもしれないけどそれは置いておく)。しかもこの新作はこれまで同様、ギターを中心に作られているんだけど、過去の作品があくまでも“ギターの音”中心だったのに対し、この新作からはときになんの楽器で奏でられているのかわからないような深い音像が40分にわたってとめどなく流れ出てくる。AUDIO ACTIVEの盟友Nanaoの参加を仰いだ「Yoake no Raga」における静かな高揚感はまさにピークエクスペリエンス! ピュンピュンと飛び回るシンセ音がたまらないわけです。本作のリリースに合わせて、旧作もBandcampなどで配信(ハイレゾあり)されているので、ぜひお試しのほど。


 このアルバムに僕はCutsighのサウンドと通じるものを感じる。そう、Cutsighのアルバムも、このHis Name Is Aliveというアーティストのアルバムも、そのサウンドのベースはギターなのだが、どちらもギターという楽器から想起されるサウンドとしては極北に位置するものであるという点で。
 His Name Is Aliveは、アメリカはミシガン州出身のWarren Defever率いるユニットで、コクトー・ツインズやデッド・カン・ダンスなどで知られるイギリスの耽美的レーベル、4ADから1990年にアルバム『Livonia』でデビュー。同レーベルのスペシャル・ユニット、ディス・モータル・コイルへのアメリカからの返答とも評されて人気を博した。4ADらしい透明感のあるKarin Oliverのヴォーカルと、宅録的なややチープでレトロとも評されるサウンドがユニークな個性となり、当時アメリカのカレッジ・レディオ周辺の常連的なバンドと契約を次々に交わしていったこのレーベルの中でも際立って個性的なユニットだった。耽美的なデビュー作以降は、アルバム発表ごとにソウル、ロック、ヒップホップなどを取り入れて多様性をきわめ、2005年には自身のレーベルSilver Mountain Mediaを設立、現在も活動中である。そんな彼らの『Home Recordings 1979-1986』と題されたアルバムの第1弾『All The Mirrors In The House(Home Recordings 1979-1986, Vol 1)』が発表されたのは2019年のこと。このアルバムに収録されたトラックはすべてWarrenによるインストゥルメンタルであるが、それは楽器の音が識別できなくなるような、茫漠としてまるで夢の中で奏でられているようなサウンドなのだ。Warrenは1969年生まれなので、このアルバムは彼が10歳から17歳の間に録音されたことになる。本当か? これはギター、ピアノ、エコーペダル、4チャンネルのカセットレコーダーで録音されたものであるとのことだが、このアルバムがすごいのは、全トラックが切れ目なく再生されること。たんなるホーム・デモのようなものではなく、これも立派な作品として仕立て上げられているのである。そしてここに登場したのがホーム・レコーディング・シリーズの第2弾となる『Return To Never』である。こちらもやはり全曲切れ目なしに再生されるようになっているが、前作との違いはついにこれがハイレゾ化(44.1kHz / 24bit)されたこと。いわゆるハイファイという雰囲気の作品ではないけれど、ホーム・デモ的なものとは一線を画したこのシリーズには、ハイレゾという符牒はとても有効だと思うのだ。音の海に浸ってみていただきたい。


 ジェイ・エレクトロニカがアルバムを出した! これは大事件である。しかも、よりによって13日の金曜日にリリースしたというのだから、事件以上にスキャンダラスな話題も提供しちゃってるじゃないか……。
 ジェイ・エレクトロニカは1976年ニューオーリンズ生まれの43歳。2007年にジム・キャリーの映画にインスパイアされたというミックステープ『Act : Etarnal Sunshine(The Pledge)』を世に問い、その後ジャスト・ブレイズがプロデュースしたExhibit Cで注目された。2010年に各社争奪戦ののち、ジェイ・Zのロック・ネイションと契約したものの、その後なかなかアルバムは完成せず、ジェイ・エレクトロニカはアルバムを作るつもりがないのではないかとすら囁かれていたのだった。エレクトロニカ自身、“何かを作って時間がすぎると、スキルが変わってしまってそれに満足できなくなるからまた変えるんだ”と語っており、自分の作品が完成しないうえに、50セントやケンドリック・ラマーをディスったりしてどんどんみずからのハードルを上げていってしまった結果、身動きが取れなくなったのではないかとすら囁かれていたのだが、やはりジェイ・エレクトロニカは最高のMCであった。アルバム『A Written Testimony(証言書)』は、6曲がセルフ・プロデュース、そのほかはアルケミストやNo.ID、スウィズ・ビーツにヒットボーイらが手掛け、また参加アーティストにはジェイ・Zのほかトラヴィス・スコットとザ・ドリームの名前があがっている。
 アルバムのオープニング「The Overwhelming Event」は、ゆっくりとフェードインしてくる優雅で物悲しさを感じさせるストリングスのトレモロとピアノのせつないメロディが、この記念すべきファースト・アルバムの幕開けにふさわしいムードを用意する。そしていきなり2曲めの「Ghost of Soulja Slim」が最初のピークを形成する。ソルジャ・スリムは2003年に黒人と黒人の殺し合いで殺されたニューオーリンズのラッパー。フランス映画のサウンドトラックのような旋律にのせてネイション・オブ・イスラム総帥のルイス・ファラカーンの演説が持ち込まれ、ジェイ・Zとジェイ・エレクトロニカが怒りのラップをぶちかます。全体としてトラックは優雅とすら表現できるような色気を漂わせている。本来こうした音楽を“色気がある”と表現していいかわからないが、10年越しにやっとアルバムにたどり着いたジェイ・エレクトロニカの音楽は、私にはそう聴こえてしかたがない。この滑らかな質感にはロービットよりもハイレゾ(44.1kHz / 24bit)がよく合う。


 1970年にイギリスで結成されたプログレッシヴ・ロック・トリオ、キース・エマーソン、グレッグ・レイク、カール・パーマーの3人からなるエマーソン、レイク&パーマーのハイレゾ版(MQAヴァージョンも同時配信あり)が2020年2月に9タイトル(『エマーソン・レイク・アンド・パーマー』『タルカス』『展覧会の絵』『トリロジー』『恐怖の頭脳改革』『レディース・アンド・ジェントルメン』『ELP四部作』『作品第2番』『ラヴ・ビーチ』)がまとめてリリースとなった。じつは2015年に彼らのアルバムは一部(『展覧会の絵』『トリロジー』『恐怖の頭脳改革』)がハイレゾ(176.4kHz / 24bit)でリリースされていて、私はそれを入手していたので調べてみたのだが、どうもその古いほうのファイルは現在では配信されていないようだ。たとえば同じプログレッシヴ・ロックでもイエスは同じアルバムで新旧のハイレゾがまだどちらも入手可能だったりすることもあるので、せっかくの名作なのだから多様なリマスターがあってもいいんじゃないかと思ってもみたりするんだが、まあ混乱のもとになるということもいっぽうでは確かなので、そこはなんとも言いがたいところもある。が、ものは試しに今回配信されたハイレゾ(96kHz / 24bit)と、2015年に配信された176.4kHz / 24bit版を彼らの代表作のひとつである『展覧会の絵(Pictures at an Exhibition)』で比較試聴してみた。2015年版のほうは2020年版に比べると、おしなべてレベルが高く取られていて、波形で見てもかなりの違いがあることに驚かされる。2015年版のほうがいわゆる“海苔波形”に近い。一聴してのインパクトはたしかに旧版のほうがあるとも言えるのだが、その分やや歪みっぽさがあるし、いっぽうでレベルを低めに抑えた2020年版は、キース・エマーソンの多彩なシンセサイザーの音色がより繊細に表出されているように感じられる。一点だけ残念なのは、2015年版に加えられた15分におよぶボーナス・トラック「Rondo」が2020年版には収録されていないことだが、もともとオリジナルのLPには入っていなかったものではあるし、それは贅沢な悩みだろう。やや大味に感じられることもあるエマーソンのキーボードの実は細かい音色の違いやグレッグ・レイクの細かく動き回りながらもリリカルなベースおよびギター、カール・パーマーの自在なドラミングを、繊細なハイレゾ空間で楽しむべし。

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