[注目タイトル Pick Up] 謎のユニット“Shinkansen”に隠されていた驚愕の事実 / 賛否両論を呼んだ、大植英次のオンリーワンのマーラー
掲載日:2020年8月25日
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注目タイトル Pick Up
謎のユニット“Shinkansen”に隠されていた驚愕の事実
文/國枝志郎

 1974年のゲイリー・バートン・クインテットのアルバム『RING』(1974年)への参加でECMレーベルとのつながりを得、1976年にソロ・デビュー作『Bright Size Life』を同レーベルから発表し、以後1984年の『First Circle』までECMレーベルにおいて輝かしい盤歴を築き上げたギタリスト、パット・メセニー。ジャズの伝統を「絶えることのない変化」と捉え、ECMを離れてゲフィン / ノンサッチ・レーベルに移籍してからはさらに作風を変化させ、ジャンルを超えた活動を続けているが、しかしパット・メセニーというアーティストを世間に知らしめ、音楽性の確立に寄与したのはやはりその活動初期をECMという唯一無二のカラーを持つレーベルで過ごしたことが大きな要因だったことは間違いないだろう。「沈黙の次に美しい音」と言われたこの北欧のレーベルは、オーナーのマンフレート・アイヒャーの“リヴァーブ美学”によってそのサウンド・キャラクターが決定づけられていたが、本人曰く「過剰なリヴァーブ」が辛くなって離脱したとのことらしい。加えて、ECMのポリシーである「2日で録音、1日でミックス」も容認できなかったパットは結局アイヒャーとは袂を分かつことになる。しかし、ECMに残されたパットの11枚のアルバムはやはり至宝であると言わざるを得ないだろう。その11枚が、遅かった梅雨が明けるのと同時に一気にハイレゾ(96kHz/24bit)で配信され、灼熱の世界に爽やかな風を送り込んでくれたのは嬉しいことだ。デビュー作『Bright Size Life』などはDSDでの配信が数年前に先行していたが、こうして統一フォーマット(96kHz/24bit)でパットのECM作品がまとめて聴けるのは、彼の作風や音質の志向の変化を感じ取るという意味でもありがたい。どれも素晴らしいアルバムばかりだが、とくに今回うれしいのは『As Falls Wichita, So Falls Wichita Falls』のハイレゾ化だ。パット・メセニー・グループでもおなじみのキーボードの盟友ライル・メイズとのデュオ・アルバムは、パーカッショニストのナナ・ヴァスコンセロスをゲストに迎え、ビル・エヴァンスの訃報に触れて作られた「September Fifteenth」の静かな悲しみをインタールードに、デュオ・アルバムとしては異例に壮大かつ映像的な作品となったもの。乾いているのにウェットな抒情は、パットとマンフレート・アイヒャーの志向の最上のバランスの元に生まれた奇跡としか言いようがない。


 学生のそれじゃなくて、楽しくて踊れるブラス・バンドといえばバルカン・ブラスだよな〜って思いますよね。ジプシー・ミュージック、ロマ音楽に焦点を当て、ジプシー・ブラスとも呼ばれるブラス・バンドと言えばルーマニアのファンファーレ・チォカリーアなどが有名です。ファンファーレ・チォカリーアは来日経験もあり、日本でもしっかりしたファン層を持っているブラス・バンドですね。あるいは、ビアホールやビアフェスなんかで民謡とかポルカのような軽音楽を演奏しているドイツのブラス・バンドというのも見たり聴いたりしたことがある方も多いのではないでしょうか。
 で、今回紹介するLaBrassBanda。バンド表記がイタリア語表記でその意味は“ブラス・バンド”。直球すぎるバンド名ですが、ではイタリアのバンドと思いきやさにあらず……ドイツ南部のバイエルン地方を出自とするバンドでした。なんだよそれ(笑)と思いながら聴き始めたのですが……これがかなりユニークなダンス・サウンドでびっくり。アルバムのタイトル・トラックで、ズバリなタイトルを持つ「Danzn」や、シングル・カットもされた「Kafee vs. Bier」なんてトランペット、トロンボーン、チューバのサウンドのボトムを4つ打ちのキックが曲を引っ張っていくリアルなダンス・トラックですし、「Discobauer」はトラクターのエンジンの起動音と牛の鳴き声とチェーンソーのサンプルが突然ドライヴィンなディスコビートに変わるというヤバさです。その名も「Tecno III」のベースは70年代のソウルとミュンヘン・ディスコ・フレイヴァーですし、「DaOideMo」は超リアルなレゲエ・ナンバーというぐあい。ところどころで歌を聴くこともできますが、バイエルン語の歌詞の内容はビールと女の子とパーティのことらしいです。LaBrassBandaは、専門的に音楽を学ぶ大学生5人によって2007年に結成され、その後さまざまなコンサートやフェスで演奏を重ね、この『Danzn』は5枚目のスタジオ・アルバムになるそう。おそらく彼らにとって初めてのハイレゾ(44.1kHz/24bit)ではないでしょうか。ここからは最上の快楽的ポップ・ミュージックが聞こえてきます。コロナ禍と灼熱でもうぐったりな毎日に、このサウンドは確実にココロとカラダを沸き立たせてくれますよ。


 来た来た来た来た来た来た来た来た来た来たぁぁぁぁぁぁァァァァーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!! 待ちかねたぜ!!!!!!!!!!!!!!!!!! オーストラリアの、いや、世界最強のロックンロール・サンダー、AC/DCの全カタログがドバーッと一気にハイレゾ配信スタート!!!!!!!!!!!!!!!!!! しかもロック系にありがちな44.1kHzとか48kHzじゃないぜ。ぜーーーーーーーんぶ96kHz/24bitという高スペックで配信だ!!!!!!!!!!!!!!!!!! いやもうここで興奮せずしていつ興奮する? ってなぐあいですよそこの人!!!!!!!!!!!!!!!!!! 興奮気味ですいません。あ、じつは2014年に出た16作目『Rock or Bust』だけはアルバム発表と時を同じくしてハイレゾ(こちらも96kHz/24bit)で配信が実現していたのですけどね。2008年には15作目のアルバム『悪魔の氷(Black Ice)』リリースの際にそれまでのカタログが一気にリマスター&紙ジャケット仕様で再発されていたので、『Rock or Bust』リリースに合わせたバックカタログのハイレゾ化が待たれていたのですが、その時は見送られてしまいました。しかし今年2020年は、AC/DCにとっては大きな節目の年となります。1980年に初代ヴォーカリスト、ボン・スコットの他界という最大の危機を乗り越え、新たにブライアン・ジョンソンを迎えて完成させた6作目のアルバム『Back in Black』……マイケル・ジャクソンの『スリラー』に次ぐ5000万枚のセールスを記録したロックの金字塔とも言えるこの漆黒のジャケットを持つアルバムの発売から40周年にあたるのです。そして、ついに、ついに来ました。『Rock or Bust』以外のオリジナル・スタジオ・アルバム、ライヴ・アルバム、サウンドトラック、ボックス・セットなど全23タイトルのハイレゾ配信が一気に実現したのです! おそらく最終的には全部聴いてしまうことになるとは思いますが(笑)、まずは40周年ということで『Back In Black』から聴き始めてみましょう。ハイレゾ的にはアルバムのオープニング・トラック「地獄の鐘の音(Hells Bells)」の冒頭の深ぁぁいゴォーン! の音にノックアウト。ラストの「ノイズ・ポルーション」までの40分間の大胆かつ繊細な没入体験。クソ暑い夏を、ハイ・ヴォルテージなAC/DCのハード・サウンドで乗り切ろう!

OE
『Suchness』


(2020年)

「Model Electronic Records」というレーベルから、OE、Dark Model、Captain Funkといったアーティストのハイレゾ作品(いずれも48kHz/24bit)がどどどっと9タイトルも配信されたのはコロナで社会機能が麻痺真っ只中の2020年5月のこと。これら3つのアーティストネームの中にひとつだけ見知ったものがあった。Captain Funk。1990年代半ばには日本でもアンダーグラウンドなテクノやハウスなどのエレクトロニック・ミュージックがアンダーグラウンドからオーバーグラウンドへと浮上しつつあった。いまや世界中を駆け回るDJ / クリエイターとして著名なケン・イシイはそうした流れの中で、最初に海外で“発見”され、日本には逆輸入されるかたちで紹介されたアーティストである。ケン・イシイはPlus8(アメリカ)やR&S(ベルギー)といったテクノの名門レーベルを経て、日本のSublime Recordsからもリリースをするようになったが、そのケン・イシイがFlare名義でSublimeからリリースしたシングルのリミックス・ワークを担当していたのがCaptain FunkことTatsuya Oe(オオエタツヤ)であった。Captain Funkはその後ファースト・アルバム『Encounter with...』をSublimeから発表していた。ユニット名どおり、ファンキーな要素(それは当時のケン・イシイのテクノには希薄な要素だった)を感じさせるもので、当時からアンダーグラウンドにとどまらない音楽性を感じさせたものであったのを今更ながらに思い出すが、じつは僕はその後のオオエの活躍を追えていなかった。このハイレゾ配信のニュースを見て、ネットの海から彼の情報を拾い読みし、そのあまりのインターナショナルな活動に驚いているところなのである。Model Electronicsは2006年にオオエによって設立されたレーベルで、今回のハイレゾ配信はそのレーベルからCaptain Funk、Dark Model、OEの3つの彼のペルソナによる作品群が登場となった。壮大なオーケストレーションとファンキーなリズムを駆使したそれらの作品は、オオエの音楽が世界中で受け入れられている理由をはっきりと聴き手に伝えてくるが、今回僕はとくにOE名義のアルバム『Suchness』に興味を惹かれている。ほぼリズムレスのアンビエント・アルバムは、同じOE名義の他の作品と比べても異色だが、この深くて映像的な音世界はこれまでのオオエの音楽的冒険の成果から生み出された作品なのだろう。じっくりと何度でも聴きたくなるハイレゾ・フレンドリーな作品。


 このレビューコラムを書くために、僕は毎日欠かさず配信サイトを巡回しているのですが、このアルバムは申しわけないけど完全にスルーしていました。だってまずこのジャケットですよ? 新幹線って書いてあるのに映っているのはミニチュアの蒸気機関車じゃないですか……。しかも指が映ってるし……。あと関係ないかもしれないけど、ジャケットには全部大文字で“SHINKANSEN”とあり、さらに漢字で“新幹線”と書かれているにもかかわらず、表記はアルバムタイトルもユニット名も“Shinkansen”となってるんです……。どっちが正しいんですか? こういうのってどうしても気になってしまうんですよね……。し・か・も! クレジットを見ても「Shinkansen[AssociatedPerformer], Shinkansen[MainArtist]」としか記載されていないし、Info欄を見ればこれが忌まわしき「【ご注意】CDパッケージ用のコメントを利用していることがあるため、一部内容が当てはまらない場合があります。あらかじめご了承ください。」……ねえ! コメントなしですか! やる気あるんですか? それともわざとなにも伝えない作戦ですか? というわけで、忙しいので普通はこういうのスルーしちゃったりするんですが、なにか第六感が働いたのでしょう。ちょっと聴いてみるかとダウンロードしてみたのですが……1曲目がタイトルトラック「Shinkansen」。電気グルーヴかよ(笑)、どんだけふざけた曲かなと思いながら再生を始めたところ、ハイレゾとしてはまあ比較的低スペック(44.1kHz/24bit)ですが、思いもかけず爽やかなサンバが流れ出してきて思わず再生画面を凝視してしまいました。ネットで検索したところ、驚愕の事実。“ジャキス・モレレンバウム、リミーニャ、マルコス・スザーノ、トニーニョ・オルタ。ブラジル音楽界の最重要人物4人によるユニット <シンカンセン>の最新スタジオ・アルバム『新幹線』”とあったのです。ちょっと! これなんでインフォに書かないの! おかしいでしょ! 担当者出て来なさい! “プロデュースはリミーニャとジャキス・モレレンバウム / レコ―ディングはリオデジャネイロ / 全曲インスト / スペシャル・ゲストはブランフォード・マルサリス、坂本龍一、ジェシ・サドックが参加”……お宝じゃないですか……。頼みますよ……。とりあえず必聴と書いておきますので。
後日談:この原稿を送った後に、これはまずいとレーベル担当もしくは配信担当が思ったのか、配信ページに情報が追加されていました。フィジカル・リリースと違って配信リリースの場合、やはり情報出しは大切だと思いますし、僕も困りますので(笑)レーベル担当の皆様、情報出しは最初から確実に!

賛否両論を呼んだ、大植英次のオンリーワンのマーラー
文/長谷川教通





 日本を代表するハープ奏者、吉野直子のソロ・アルバムがいっきに96Hz/24bitのハイレゾ音源でリリースされている。父の赴任先ロンドンで生まれ、6歳からロサンゼルスでスーザン・マクドナルドについてハープの勉強を始めた吉野。1981年の第1回ローマ国際ハープ・コンクールで第2位、1985年の第9回イスラエル国際ハープ・コンクールで優勝。このとき17歳。たいへんな天才少女だった。ところが面白いことに大学は国際基督教大学で美術史を専攻している。日本の音楽大学には進学していないのだ。“ハープだけ”ではなく、より見識を広め人間的に成長したかったのかもしれない。吉野の演奏からテクニックではなく気品やエレガントさを感じるのは、彼女の人間性からにじみ出すものがあるからだろうか。これまでソリストとしてだけでなく、多くの指揮者やオーケストラと共演し、室内楽にも意欲的だ。まさに引っ張りだこの状態なのだが、自身としては急ぐことなく着実に芸術を深めていくための道を歩んでいきたいと思っているようだ。そんな吉野が2016年に立ち上げたのが「grazioso(グラツィオーソ)」という自主レーベル。音楽用語としても使用されるが、イタリア語で“優雅に、優美に”といった意味。吉野らしい。第1弾の『ハープ・リサイタル〜その多彩な響きと音楽』から、すでに第5弾までリリースされている。ハープのために書かれた珠玉のような作品、20世紀に書かれた組曲や変奏曲、ピアノやヴァイオリンの魅力ある作品をハープ用に編曲してハープ・ソロのレパートリーを拡げようと意図したり、武満徹や細川俊夫、グレイス・ウイリアムズなどの作品を取り上げ、空間や宇宙の広がりを表現しようと試みたり、まさに吉野直子の芸術の進化をたどるプログラムになっている。高音質録音で知られるエンジニア峰尾昌男による、ハープの響きの美しさを追求したサウンドも魅力だ。




 かつての東ベルリンにあってクルト・ザンデルリンクやギュンター・ヘルヴィヒら旧東ドイツの名匠たちに鍛えられ、2001年から2006年まではエリアフ・インバルも首席指揮者を務めたベルリン交響楽団(Berliner Sinfonie-Orchester)を母体とし、本拠地のシャウシュピールハウスが2006年にコンツェルトハウスと改称されるともにベルリン・コンツェルトハウス管弦楽団(Konzertothausorchester Berlin)となったドイツ屈指のオーケストラ。2008年から日下紗矢子が第一コンサート・マスターに就任したことで、日本での知名度が急上昇。それにしても日下は読売日本交響楽団のコンマスも兼ね、さらに彼女をリーダーに構成されたベルリン・コンツェルトハウス室内オーケストラをも率いるのだから、まさに超人的な活躍と言えそうだ。あの細身の容姿のどこにそんなエネルギーが潜んでいるのだろうか。まずはグリーグの「ホルベルク組曲」から聴こう。いやー、なんて清新な弦楽アンサンブルだろうか。冒頭から爽やかな風が吹き抜けていくような快さ。透明度の高い響きが素晴らしい。指揮者をおかず、メンバーの自発的な音楽作りをやろうよ……という意欲が溌剌とした演奏を作り出している。弦楽四重奏曲は日下自身の弦楽合奏版だ。バーバーの「弦楽のためのアダージョ」はどうだろうか。息の長い旋律を繊細で濁りのないアンサンブルで描き出す音楽の美しさ。こんな美しい演奏って、いままであっただろうか。テクニックを前面に押し出したり、故意に飾り立てられた美しさとは別次元。それぞれのメンバーから湧き出す自発性が一体となった響きの新鮮さがとてもいい。バルトークでは野性味の表出はいくぶん抑え気味にしつつも、バルトーク特有のリズムをしなやかに受け止め洗練されたアンサンブルに仕上げている。なお、ブルックナーの弦楽五重奏曲では、この室内オケのもう一人のコンマスであるミヒャエル・エルクスレーベンの編曲だ。彼は1960年のドレスデン生まれで、ヴァイオリニストとしてだけでなく指揮者としても有名で、彼がリーダーの演奏ではアンサンブルの印象が少し変化して、より構成感が強固になり、響きに厚みも出てくる。作品の傾向によってリーダーを変えながら表現の幅を広げることができるのも、このオケの強みと言えそうだ。



『My Japanese Heart』というアルバムタイトルを見れば、誰だって日本のメロディをピアノで弾いたのね……と、そう思って聴くと“え、え、えっ”とびっくりしてしまうかもしれない。ズバリ、このアルバムは現代音楽というか、日本のメロディをベースにしたインプロヴィゼーションだ。大田麻佐子というピアニスト。知らない人が多いかもしれない。桐朋学園大学音楽部ピアノ専攻を卒業後ベルリン音楽大学へ進み、首席で卒業。さらにジョルジュ・シェベックやアンドラーシュ・シフ、ジェルジュ・クルターグなどの薫陶を受け、現在はミュンヘンを中心に独自の音楽活動を続けて高い評価を受けている。日本に戻っても大ホールで演奏することはなく、自然の中のホールだったり少人数の集まりであったり、彼女のピアノと聴き手の距離は限りなく近い。アルバムの1曲目は細川俊夫の「Melodia II」。Gの単音そして沈黙の“間”、G音と間の繰り返し、強烈な飛躍……こんな曲、よほど自分の身を削らなければとても弾けない! 大田は演奏を再現ではなくて創造だととらえているに違いない。“間”は休符ではない。意識はつながっている。武満徹の「雨の樹 素描」では、雨の音、濡れる樹、それを見ている自己という存在……それぞれがいく層にもなって存在の奥にある意識でつながり空間を作り出す。そして静かな時間が流れていく。ヨーロッパ音楽とはまったく異なる要素が『My Japanese Heart』に投影されている。そして八橋検校「六段の調」、宮城道雄「春の海」、吉沢検校「千鳥の曲」と、箏曲の代表的な作品が続くが、ピアノの打鍵があまりに鋭敏で、聴き手の聴覚をストレートに震わせる。氷のような透明度と鋭さをもあわせ持った音の連なりを、ぜひ多くの音楽ファンに聴いてほしいと思う。
 それにしても「Winter and Winter」レーベルの録音がすごい。雑味を徹底的に取り払ったように鮮やかで輝かしい音色と打鍵の鋭さ。きわめてS/Nが高く、ダイナミックレンジが広大だ。ピアニシモからフォルテシモへ駆け上がる勢いがすさまじい。大田麻佐子は同レーベルに『Poetry Album』というタイトルの録音もしているが、こちらの録音もいい。作曲家が思いを寄せた人へ捧げた作品集だ。バッハと妻アンナ・マグダレーナ、ベートーヴェンとテレーズ、ブラームスとクララ・シューマン、クルターグと妻マルタなど、心の通い合いから生み出された音楽を、ピアノによる“詩”として表現したアルバム。ミュンヘン文芸新聞が“大田麻佐子は詩人”と評したという。いわゆる名曲アルバムとは一線を画するすばらしい演奏だ。


 ウィーン交響楽団は2020年、首席指揮者にアンドレス・オロスコ=エストラーダを迎える。これまで同オケを率いたフィリップ・ジョルダンはウィーン国立歌劇場の音楽監督に移籍する。ジョルダンにとって、ウィーン響とのベートーヴェン交響曲全集とブラームスの交響曲全集の録音は、2014年以来首席指揮者を務めたオケとの総決算であり、大きな置き土産と言えそうだ。ウィーン響は100年の歴史を持つとはいえ、ウィーン・フィルの存在の陰で、いつも二番手の地位に甘んじてきたが、フィリップ・ジョルダンとの共同作業によって大きく飛躍し、ウィーン・フィルに対抗する独自のキャラクターを獲得したと評価していいだろう。名指揮者アルミン・ジョルダンの息子としてスイスに生まれ、フランス音楽にもドイツ音楽にも才能を発揮し、ウィーン響を世界のトップレベルのオケに引き上げた手腕は誰もが認めるところ。ウィーン国立歌劇場が放っておくわけがない。特有の口うるさい聴衆とフロントをぜひとも納得させて、最上級のマエストロへの階段を駆け上がってほしいと思う。
 さてブラームスだが、2019年9月に行なわれたウィーン・ムジークフェラインザールでのライヴとなっている。もちろん演奏会の一発録りではなく、ゲネプロなどでの収録も使って編集されているだろう。まず特徴的なのが弦セクションの響き。かつてラヴェルの管弦楽曲やベルリオーズの「幻想交響曲」で聴かせた鮮やかな色彩感はぐっと抑え込まれ、内声部を生かした厚みのあるサウンドに仕上げている。とくに第1ヴァイオリンとヴィオラの重なり合いが効果的で、これぞブラームス! ただし、低音部が重すぎることはなく、あくまで音楽には活気がある。テンポを速めて活気があるように見せる演奏とはコンセプトが違う。この活気と躍動を生み出すのがジョルダン得意の仕掛けで、フレーズの繰り返しなど最初は音を切って弾いた思うと繰り返しでは伸ばし気味に変化をつけたりクレシェンドとデクレシェンドを細かく指示したり、随所に工夫が凝らされている。ぜひ過渡(トランジェント)特性の優れたスピーカーで聴いてほしい。過渡特性は俗に立ち上がり&立ち下がりとも言うが、入力信号に対してはスパッと対応し、信号が止まったときには余分なバタつきなど起こさずにスッと消えてほしい。そうじゃないと指揮者がデリケートに指示している面白さが明瞭に聴きとれないことにもなるし、過渡特性はピアノの打鍵や金管楽器、シンバルなどの衝撃音や音色感にも影響を与えるので、ぜひチェックしてほしい。


 これは問題作! 2009年に大植英次がハノーファー北ドイツ放送フィルハーモニーを率いて来日公演を行ったときのライヴ音源だ。収録は9月28日、東京・サントリー・ホール。評論家は賛否両論。まあ、そうだろうなって思う。会場で聴いた音楽ファンは、空前絶後の超名演と評する人も少なくない。まず、驚異的に遅いテンポ。曲間を除いた演奏時間が96分24秒。異様に遅いテンポであることがわかる。冒頭のホルンが鳴りハープが奏でられ、第2ヴァイオリンが入ってくる……ええっ何だこの音楽は? と、漂う響きのただならぬ様子に、思わず背筋がゾクゾクしてしまう。ところが不思議なもので、ゆったりと波が砂浜に押し寄せては返っていく、そんな音楽の鼓動にいつの間にか引き込まれている自分に気づく。大植はさらにテンポを落として、今にも消え入りそうなピアニシモをオケに要求する。いままで聴いたことがないような音楽が奏でられている。第2楽章は、さすがに音楽が流れない。しかし、大植はそんなことは承知している。むしろ、この楽章にマーラーの異形さを感じとっているのかもしれない。第3楽章ではゆったりした足取りながら、緊張の糸は途切れることがなく音楽はグイッグイッと前進する。マーラーが楽譜にちりばめた多様な音型が克明に映し出されてくる。そして終楽章の約30分。大きく呼吸をしながら歌い継いでいく弦の合奏が、もう感動的だ。マーラー、マーラー、マーラー……彼にしかかけなかった旋律と色合いを変えながら持続する響きがスピーカーからあふれ出してくる。息の長いホルンの音色も素晴らしい。ピアニシモから沸き立つオケの合奏に心が震える。まさにオンリーワンの演奏が繰り広げられている。

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