[こちらハイレゾ商會]第84回 ハービー・ハンコック『セクスタント』はやはり傑作、ジャケもピッタリ
掲載日:2020年10月13日
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第84回 ハービー・ハンコック『セクスタント』はやはり傑作、ジャケもピッタリ
絵と文 / 牧野良幸
ハービー・ハンコックの1973年作品『セクスタント』がハイレゾ配信された。それを機会に今回初めて聴いたのだが、とても良かったので取り上げてみる。ハイレゾはflac(96kHz/24bit)である。
『セクスタント』は1973年にリリースされたハービー・ハンコックのコロンビアへの移籍第1作だ。日本ではCBS・ソニーから発売された。これに続く作品がセンセーショナルを巻き起こした『ヘッド・ハンターズ』で、そちらも同じ1973年リリースである。もっとも当時僕が買った『ヘッド・ハンターズ』のLPの帯(CBS・ソニー独特のかぶせるタイプ)には「'74年度最大の話題作!」と印刷されているから、『ヘッド・ハンターズ』の日本での発売は翌年だったようだ。当時、洋楽のレコードは海外より数ヵ月遅れて発売になるのが当たり前だった。
いずれにしても『セクスタント』と『ヘッド・ハンターズ』はごく近い時期に録音された作品である。しかしその内容はだいぶ違う。『セクスタント』ではファンク色はまだ薄く、アブストラクトでスピリチュアルなジャズという感じ。もちろん当時の“電化ジャズ”のサウンドではある。今回ハイレゾで初めて聴いて『セクスタント』も傑作だと思った。今まで聴いていなかったことを後悔したくらい。
しかし当時LPを買わなかったのは仕方のないことでもあった。『セクスタント』のコズミックでアフロ的なジャケットの醸し出す雰囲気には近寄り難いものがあって、ジャズ入門者だった高校生には腰が引けたのだった。同じことはマイルスの『オン・ザ・コーナー』とか『イン・コンサート』のジャケットにも言えた。どちらも“濃い”イラストが使われており、それらは強烈に僕を惹きつけたものの、貴重なお小遣いを使う気持ちにさせるものではなかった。当時は未知のアーティストのLPを買うのにジャケットも重要な判断材料だった。“ジャケ買い”とは逆に“ジャケ避け”もまたあったのだ。
加えて僕はタイトルの“Sextant”という言葉を、性的な意味に解釈して妙に興奮した。それもアルバムに手を出さなかった理由だった。英語力がないというか、思春期の高校生の思い込みには我ながら呆れてしまう。もっとも当時の日本盤のタイトルも『セックスタント』だったが。
アルバム・タイトルの『セクスタント(Sextant)』は六重奏団(Sextet)に引っかけた言葉らしい。このアルバムはコロンビアに移籍する前のワーナー・ブラザーズ時代に、ハンコックが結成したムワンディシ六重奏団による演奏なのだ。その六重奏団による最後のアルバムが『セクスタント』ということになる。ハンコックはその後バンドを解散し、新たに結成したバンドで録音したのが『ヘッド・ハンターズ』だ。
『セクスタント』のメンバーは、エディ・ヘンダーソン(tp、flh)、ジュリアン・プリースター(tb)、ベニー・モウピン(sax、B cl、fl)の三管に、バスター・ウィリアムス(b)、ビリー・ハート(ds)というリズム隊。ハンコックはフェンダーローズ、クラビネットなどを弾いている。
発売から50年近く経ち、初めて聴いた『セクスタント』。僕も今日までさまざまな音楽体験を重ねて、もうどんな音楽にも驚かないつもりでいたが……驚いた。
「レイン・ダンス」では、いきなり雨粒のような音が機械的にリズムを刻む。ARPシンセサイザーの音と思われるが、当時はまだ存在しないテクノ・ポップのようである。エフェクト音もたくさん重なってくる。
しかし驚いている暇はない。そこにトランペット、トロンボーン、サックスなどのブラスが加わり音楽は先へ進む。ビートは普通のジャズのようであるが、斬新なエレクトロニクスと融合するサウンドは非常にスリリングだ。そこにハンコックもフェンダーローズでインプロヴィゼーションをかぶせてくる。
続く「ヒドゥン・シャドウ」は『ヘッド・ハンターズ』のプロトタイプのような、ゆるいファンク風。最初はエレクトリック一色であるが、ここにアコースティック楽器であるトランペットやトロンボーン、そしてハンコックのアコースティック・ピアノが重なると、新旧ジャズのクロスオーバーと言うか、いいとこ取りのナンバーとなって退屈しない。
そしてアナログLPではB面全部を使って収録された「ホーネッツ」。マイルスの『イン・ア・サイレント・ウェイ』のようなシンバルの刻みが印象的。エディ・ヘンダーソンもまるでマイルスのようなトランペットを吹く。ハンコックも含めて当時はまだみんなマイルスの影響下にあったのだろう。
しかし音楽の世界は紛れもなくハンコックのものになっている。『ヘッド・ハンターズ』を予感させるエモーショナルなリズムで聴く“マイルスの影響下”というところが逆に、この長丁場の曲を聴きやすくしている。ベニー・モウピンのバス・クラリネット(マイルスの『ビッチェズ・ブリュー』でも怪しい魅力をはなっていた)やトロンボーン、そしてハンコックのクラヴィネットやシンセの音が飛び交う音楽はエキサイティングだ。19分35秒があっという間に終わる。
『セクスタント』には『ヘッド・ハンターズ』ほどに切り詰めたストイックさない。混沌としている。しかし聴き込んでしまう。『ヘッド・ハンターズ』を先に聴き、慣れてしまった人間には、『セクスタント』の方が逆に衝撃作になるかもしれない。そして何度でも聴きたくなるポピュラリティを持った作品といえる。高校生の時には物怖じしたジャケットのイラストも、今では音楽にピッタリだと思う。
ハイレゾはクリアな空間だから、さまざまに飛び交う音が鮮明だ。またリズムの切れがいいのか音楽の推進力を強く感じる。混沌とした演奏でも、もたれた感じがしないのはハイレゾで聴いたせいかもしれない。『ヘッド・ハンターズ』に劣らぬ傑作『セクスタント』もぜひハイレゾで聴いてみてほしい。



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