[こちらハイレゾ商會]第90回 ブルーノ・ワルターのステレオ録音がハイレゾ化。ワルター・ブームが来る?
掲載日:2021年4月13日
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第90回 ブルーノ・ワルターのステレオ録音がハイレゾ化。ワルター・ブームが来る?
絵と文 / 牧野良幸
ブルーノ・ワルターが残した人類の遺産ともいえるステレオ録音がハイレゾ配信された。
ワルターのステレオ録音はアナログ・レコードの時代から人気があった。今回ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンから、ブラームス、ドヴォルザーク、ワーグナー、ブルックナー、マーラーまで、ワルターが棒を振ったカタログが一挙にリマスターされ配信されたのだ。ハイレゾ界においても画期的なことだろう。スペックもflacの192kHz/24bitと申し分ない。
今回はその中から『マーラー:交響曲「大地の歌」』を取り上げてみる。オーケストラはニューヨーク・フィルハーモニック。歌手はエルンスト・ヘフリガー(テノール)とミルドレッド・ミラー(メゾ・ソプラノ)。1960年、ニューヨークのマンハッタン・センターでの録音である。
「大地の歌」を取り上げたのは、実は僕が生まれて初めて買ったCDがワルターのこの録音だったからである。
ここでちょっとCDの話をしよう。
1985年、それまで高嶺の花だったCDプレーヤーが6万円を切り、庶民にもようやく手が届くようになった。この年あたりからCDが爆発的に普及したと思う。僕もマランツのCD-34というプレーヤーを買った。そして記念すべき初CDとして、慎重に考慮したあげく選んだのがワルターの『マーラー:交響曲「大地の歌」』だった(正確にはジェシー・ノーマンのシューベルトの歌曲集も買って2枚同時だったのだが)。
ワルターの録音の中でも有名な「田園」や、アナログレコードでよく聴いてきた「未完成」ではなく、一度も聴いたことがないマーラー。それまでマーラーの名前は知っていたものの、交響曲第1番「巨人」さえ聴いたことがなかったのに、なぜ「大地の歌」を選んだのか?
それはその頃サントリーのCMで「大地の歌」の第3楽章「青春にふれて」の部分が使われたからだ。当時サントリーはおしゃれなCMが人気で、男子大学生の就職希望会社の人気ランキングにも入るほどだった。CMではテノールが歌う中国風の旋律が新鮮だった。“マーラーって面白そうじゃん”。そう思ったのは僕だけではなかったと思う。世はマーラー・ブームを迎えていた。そこにCDという74分が一気に聴けてしまう媒体が登場したのである。長時間の演奏を要するマーラー入門にピッタリのタイミングだったというわけだ。僕にはワルターというと「大地の歌」が印象深い。
そんなわけで、今回のハイレゾでも「大地の歌」がまず気になって聴いてみた。
ハイレゾを聴いた第一印象は、CD(最初に買った1983年発売のもの)と比べて高域の成分が豊かになったこと、音場に透明感が出たことである。加えて録音がおこなわれたマンハッタン・センターのホールトーンであろうか、オーケストラの残響も耳に入るようになり、奥行き感、聴衆からの距離感も感じた。これはハイレゾが新たにリミックスされ製作されたことによるのかもしれない。
テノールとメゾ・ソプラノの声も同様である。CDでは初期ステレオ録音にありがちな、目の前で歌っているような感じだったのだが、ハイレゾでは歌手の声にも距離感が生まれオーケストラと一体化している。この方がオーケストラとのバランスが良い。実演で聴くバランスに近いかと思われる。
第1楽章や昔サントリーのCMで好きになった第3楽章では、独唱テノールに絡みつくようなオーケストラが新鮮だった。これらはマーラーの他の交響曲とはまた違ったオーケストラの使い方のように思われる。ニューヨーク・フィルハーモニックの弦もきめ細やかで味わい深い。
第2楽章と第4楽章ではメゾ・ソプラノ独唱が、左右に広がるステレオ再生のニューヨーク・フィルハーモニックの中央で歌っている感じが伝わる。
第5楽章は再びテノール独唱で、ここでも声楽とオーケストラの溶け込んだバランスがいい。残響の豊かさと透明感のせいか録音現場の空間が浮かび上がるようだ。臨場感があるというか、ライヴを聴いているような感覚にさえ陥る。
最後の第6楽章も左右に広がるオーケストラの中でひとり歌うメゾ・ソプラノの歌声が切ない。ミルドレッド・ミラーの歌うドイツ語の一句一句が意味も分からないのに心に刺さる。この楽章に付けられた「告別」というタイトルどおり、最後はオーケストラとメゾ・ソプラノが消えいるように終わる。音量が小さくなるというより、オーケストラと歌声が“無”になっていくように感じるところもハイレゾでの感想。
このようにハイレゾでは、この曲の初演をしたワルターらしい臨場感のある演奏を味わえるだろう。CDも最初期のCDにしてはいい音だと思っていたが、これからは間違いなくハイレゾで「大地の歌」を聴くことになる。
「大地の歌」はニューヨーク・フィルハーモニックとの録音だが、クラシック愛好家にとってはコロンビア交響楽団との録音も気になるところだろう。そこでコロンビア交響楽団とのハイレゾも最後に少し触れてみる。
モーツァルトの交響曲第40番。これは僕もLPと聴き比べてみた。80年代初頭にプロデューサーのジョン・マックルーアがデジタル・リマスタリングしたLPである。こちらもLPよりもハイレゾの方が高域が豊かだ。空間も曇りが取れたようにクリア。右チャンネルのチェロやコントラバスの動きがよく聴き取れるので、コロンビア交響楽団の演奏がLPよりもキビキビとしたものに感じた。古楽器の出現後はワルターのモーツァルトを旧世代のもったりした演奏と思い込んでいたが、今回のハイレゾは僕の判断を覆す音だった。
ベートーヴェンの交響曲第5番「運命」では低域が出ていたのが印象的。ブラームスの交響曲もハイレゾだとブラームス特有の重厚な音楽観が迫ってくるようだ。このように少なくとも僕の聴いた範囲で述べると、ハイレゾ版で聴くワルターの演奏はLPとCDで抱いていた印象と違う。これまで抱いていたワルターの演奏様式、コロンビア交響楽団のサウンドをもう一度考え直したい、と思わせる音質だ。
LPやCDで聴いてきたように、これからはハイレゾであらためてワルターの演奏を何度も聴いてみたい。“やがて私の時代が来る”と言ったのはマーラーだが、ハイレゾでワルター・ブームが来るかも。



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