4月13日にすみだトリフォニーホールで開催されたオーケストラとの共演ライヴ〈GACKT PHILHARMONIC 2025〉を収録したライヴ・アルバム『GACKT PHILHARMONIC 2025 - 魔王シンフォニー』が早くも7月4日にリリースされる。GACKTの楽曲の中からオーケストラアレンジに相応しいと選ばれたメドレーを含む全13曲が、昨秋より率いるYELLOW FRIED CHICKENzのバンド・サウンドとグランドフィルハーモニック東京のオーケストラサウンドが一つになってステージ上で響き合う。ロックとオーケストラの完全なる“融合”は、これまで洋の東西を問わず幾度も行われてきたが、GACKTはこれを持続的に行なう考えだという。そのために必要な音への徹底的なこだわりとファンを第一に考える胸の内が語られた。
――まず、〈GACKT PHILHARMONIC 2025〉を立ち上げた際に考えたコンセプトをお聞かせください。
「オーケストラ・コンサートは12年前に一度開催したことはあったけれども、正直言ってその時は想像していたほどの感動がなかった。ステージ上で生演奏するとなると、さまざまなコンフリクトがある。ロックはそもそも音が大きいし、その音の中でオーケストラが音を出しても聞こえないし、聞こえるようにするとロックの迫力がなくなってしまう。観に来たファンでさえ“オリジナルのほうがいい”とか“これはこれでありだけど……”という気分になってしまい、演奏する側にとっても、“思っていたものにならなかった”というのが、ロック×オーケストラの現実だ。そういった既成概念を取っ払って、“誰も見たことのないロックオーケストラのステージ”というビジョンから組み上げていくことにした」
――そのビジョンとは?
「最初に思い描いたのは“黒ミサ”のような儀式だった。ボクがこれをやるんだったら、まるで宗教の儀式に飛び込んでしまったかのような世界観であったり、見てはいけないものを見てしまったようなものでないと感動は生まれないと思った。全員がマスクを付けて、儀式の様な状況から始まるイメージ作りから始めた。オーケストラ側の代表と話を詰めていく中では、立奏のスタイル(一般的なオーケストラのスタイルと異なり本公演では立って演奏する)に難色を示されることもあった。ただ、その時に伝えたのは“ボクは単にオーケストラと一緒に演奏したいからやろうと言っているのではない”と。たとえ著名な指揮者だったとしても、その人がしたくないことを無理矢理説得してやらせたいとは思わない。そうではなく、“一緒にこの世界観を作ってくれる仲間を探しているんだ”と伝えるところが最初のスタート地点だった」
――会場にすみだトリニティ・ホールを選ばれた理由は?
「それは今回一緒に演奏したグランドフィルハーモニック東京(指揮:米田覚士)が決めたことで。でも、久しぶりにクラシカルホールで演ってみて、良い音で演奏できるのは幸せだとも感じた。通常のホールはステージで歌っている時に、必ず返り(反響)を考えて、モニターも調整し、マイクにどれぐらい返りの被りがあるかを考えて調整していく。ところが、クラシカルホールは音に特化しているだけあって、音が進むスピードがとても速い。音は真っ直ぐ飛んでいくし、後部座席の人たちにも同じように届くようにすごく考えられて設計されている。それでいて決してデッド(残響が少ないこと)なわけではない。音の方向がステージから客席に向かって一方向でドンと進んでいくから、めちゃくちゃ気持ちがいい。一方で、クラシックのホールではスモークなどもNGだし、他にも様々な演出上の規制がある。ボクはこのライヴは音だけではなく、ビジュアルも含めてのものだと思っているから、そのバランスは今後の会場選びをする上で考える必要があると感じている」
――あくまでこの世界観を保ちつつ、音楽的にも満足のいくものを同時に成り立たせて構築していく必要があったんですね。
「そう。音楽的な話をすると、ボクは元々ドラマーだから、エレドラ(電子ドラム)を使うことは嫌で。でも生ドラムを置くとオーケストラの他の楽器と音がぶつかってしまうし、遮音板を置けば儀式のような世界観が失われてしまう。だったら、エレドラでいいんじゃないか、と。ほかにも“どうやったらクリアできるのか”という考え方でステージ構成などを組み始めていった」

©KEIJU TAKENAKA
――リハーサルはどのくらいの期間かけられましたか?
「1ヵ月くらい。打ち込みの形で上がってきたオーケストラアレンジの音に合わせて音を合わせるわけなんだけど、オーケストラは生楽器を弾くから、基本的に抑揚とか音の出力の差が大きい。一方でロック・バンドはエフェクターで音色を変えることはあっても、出力は一度決めたら基本的に変わらない。つまり、出力幅が少ないバンドと、出力幅の大きいオーケストラとの両者が一つのステージに立っている状態で、これを一人のPAが調整することは不可能。そのため、リハーサルでそのバランスを完璧に作り上げなければ、このライヴは決して上手くいかない」
――どんな対策を立てられたのでしょうか?
「もっとオーケストラに寄った考え方をしなきゃいけないと。“音が聞こえないから音量を上げる”という考え方でやってしまうと、必ず何らかの音が聞こえなくなってしまう。それでは音楽としてアンサンブルが成立しない。そこでまず、“何の音が抜けるのか”をリハーサルで実験するところから始めた。ポイントになるのはドラムとベースで、ここが聞こえなかったらバンドは成立しない。でも、うるさければ全てを壊してしまう。シンバルは音が大きいから聞こえるのではなく、“音の抜け”が良いから聞こえる。音さえ抜ければ、アタックのインパクトはあっても他の楽器を邪魔しない音を作れる。それを皆に伝えて、エレドラの周波数帯を全て確認しながら、“この音は抜ける、抜けない”と選定していくのをリハーサル中、ずっと行っていた。1曲のなかで、イントロ、Aメロ、Bメロ、サビ、2番、ソロ、アウトロという風に、全セクションでオーケストラのバランスを取るために、全楽器の出力を調整するところから始まった」
――音作りに対するとんでもない労力のかけ方ですね。
「そんなのは本来ありえないことだよ。プロのステージではエフェクターの切り替えはテック(音響技術スタッフ)が行うけれど、その音作りを全てのセクションで行うと、同一音色(おんしょく)でも凄まじい量の踏み替えが存在することになる。そんなことをテックも想像していないし、どうしたらいいかわからなくなるのも当然」
――このライヴに合った音作りの思考法を徹底させるわけですね。
「単純にバンドの上にオーケストラを乗せればいいというわけではない。ギターもベースもドラムも、オーケストラの一部になる音量バランスでなければ、そもそも存在できないし、アンサンブルにならない。例えば、バンドの音量を上げた時にオーケストラの音が消えるようであれば、それは単純にその帯域がオーケストラの楽器とぶつかっているわけだから、聞こえる帯域がどこなのかを探す。そこまでやって組み上げることでやっと1つの曲として成立する。これを12曲分行う作業でリハーサルがほぼ終わる……みたいな。マニアックな話だよ(笑)」
――ステージ上あれだけの大所帯で激しいバンド・サウンドだったにもかかわらず、非常に聴きやすかったのはそうした細やかな調整の賜物だったんですね。
「でもドラムもギターもベースも、ステージ上では激しく弾いているけれど、実はステージ上では音は存在していない。バンド側の楽器はアンプを排除し、ライン出力にしている(ステージ上から音を出すのではなく、各楽器からPA側に出力しそこから音響として流す方法)。これはステージ上のプレイヤー同士の音のコンフリクトを起こさないための方策で、その結果としてオーケストラはいつも通りの演奏ができる」
――なるほど。
「ただ、ボクのマイクには間近で鳴るオーケストラの生の爆音が思い切り被ってしまう問題があって。それも想定して、自分のヴォーカルがどう聞こえるかのモニターバランスの調整は細かく自身で行っていった。オーケストラの音が一定のレベルに保たれた上で、ボクのヴォーカルの声が抜けて聞こえるのかを、自分でモニター卓の前に立って、EQを全ていじり、その帯域がどこなのかを探していった。こんなマニアックな作業をリハーサルで5日ほどかけて行った」

©KEIJU TAKENAKA
――資料映像で拝見しましたが、マイクと口の距離が非常に近かったですね。
「そう。ああしないと音が被ってしまうし、あれぐらい近づけないと、そもそもヴォーカルの声が取れない。マイクから離すとモニターからオーケストラの音しか聞こえなくなる。だから、あれぐらいの距離感でないとダメで。指向性がめちゃくちゃ狭いマイクを使う方法もあったけど、ボクは“このやり方がいずれ経験としてバンドのステージングに必ず返ってくる”と思っていたから、ここまで追求した。そしてヴォーカルが抜ける帯域を探し、実際に声を乗せていくとボクのモニター上の声はロボットみたいになってて(笑)。自分でも気持ち悪かったんだけど、その声でないとイヤモニで声が抜けてこない」
――モニターでご自身の声だけを聴くとそう聞こえる発声だったんですね。
「自分で音を取る上でも、この帯域以外を落とすことでオーケストラの音も聞こえるし、ボクは自分が何を歌っているかの音程感が明確に聞こえるようになる。ただ、ボクのリアルな声ではない。それよりも全体のアンサンブルとして耳に届いて成立することを優先した」
――ご自身としては、その全体像に従う意志があったわけですね。
「ボクはそういうことに対しては柔軟に対応できる方だし、“自分の声じゃないものを聞きながら歌うのが嫌だ!”というわけではない。ボクが気持ちよく歌いたいからではなく、聞いてる人たちに気持ちよく感じてもらうために、自分が何をしなければいけないのか、そのためのリハーサルだった。それはほとんど実験の繰り返しのような状態だったけど、それを繰り返すことでステージ上で音がもっと明確にまとめられることがわかったし、それは間違いなく今後のバンド演奏にも返ってきて、よりクオリティの高い音楽を届けられるはず」
――観客に向けたプロフェッショナルな姿勢が伝わってきます。
「ステージに上がって、本当はイヤモニなんか使わずフットモニターだけで爆音で鳴らしているほうが気持ち良い。でも、ステージは、自分が気持ちよくなるためだけのものではなく、観に来てくれる人たちを気持ち良くさせるためのもので、その人たちが音やパフォーマンス、エネルギーに感動してこそ、初めてライヴが成立すると思っているからこの26年間のライヴ活動がある。それを今回のオーケストラでさらに突き詰めていったら、答えが出た。それは今までやってきたことで十分だと思っていたボクの認識を大きく変えるものでもあったし。実験の最中にも“こういうことをもっと若い頃からやれていたら、だいぶ音楽に対する成長の仕方も変わっただろうな”と思ったよ。こういったマニアックなことを一つずつ追求していくのは、何て言うんだろう……、“面白い”という言葉で片付けるのはちょっと陳腐だけど、本当に“音楽ってスゲェな”“音って面白いな”と思わせてくれる。この歳になってそんな風に思えるって、幸せじゃん?(笑)それがバンドのメンバーにも伝わる。バンドのリハーサルでそこまで徹底して音の出力を決めて、全て変えながら合わせて演奏する。そうすると、演奏をもっと細かく意識するようになるんだよ。どれぐらい音を伸ばして、どれぐらいのタイミングで切って、といった、ものすごく細かいグルーヴまで気をつけて皆が演奏するようになると、演奏している自分たちでさえ演奏のクオリティの違いに気づく。それがバンドメンバーにも感じてもらえたことは、やっぱり嬉しかったな」
――バンドのYELLOW FRIED CHICKENzの皆さんは初ステージが11月の〈氣志團万博〉で、その後クリスマス・ライヴを2回やって、そして今回ですよね。短い期間にずいぶんと多くのライヴを経験されましたね。
「〈氣志團万博〉も4曲しか演奏しないのに、バンドだけで1ヵ月近くリハーサルに入っていた。そしてクリスマス・ライヴを迎える前も1ヵ月ぐらい入っていて、連中はめちゃくちゃリハーサルをやっていた。それは何故かというと、ボクが求める演奏レベルに応えてほしいと思っていたから。だからこそ、あそこまでの演奏になったんだとボクは思う。それだけでもだいぶキツかったし、しかも今回は1ステージが約1時間40分ほどで、MCもないノンストップだったから、それをこなすための体力作りもしなければいけない。朝はボクのジムに来て一緒にトレーニングし、そこからリハーサルに行き、今度は音をまとめる作業に入って、そしてボクがそこから入り、さらに細かくチェックして、翌日までに修正をする。それを毎日繰り返すのだから、そりゃキツいよ」
――GACKTさんご自身は、直前の3月にもKさんとのアコースティック・ライヴ・ツアー〈LAST SONGS〉がありましたが、そちらとの切り替えの気持ちや集中はどのようにされていたのですか?
「切り替えをするというよりは、同時進行でずっと練習していた。〈LAST SONGS〉はアコースティックで楽器が少ないから、完全に音がなくなるレベルまで声の出力を落とすことができる。囁くように歌っても聞こえる。でもオーケストラを背負ってそんな歌い方をしたら、たちまちかき消されてしまう。自分の音量の出力の幅はものすごく狭くし、振り幅を上げずに、ある一定のレベルをキープする歌い方を、〈LAST SONGS〉のリハーサル中から別に練習して、自分の中で切り替えるようにやっていた。〈魔王シンフォニー〉のリハーサル期間中に、沖縄の映画祭があったんだけど、朝の4時までホテルの中にスタジオを組んで、ずっと練習していた。そこまで練習して突き詰めてやっていくと、何かおかしくなっていくんだよ(笑)。テンションだけが上がってきて、“なんか面白いな”と思いながら、“この歳でこんなに夢中に音作りだけに必死になれるって幸せだな”と感じた」
――本当に音というものについてのGACKTさんの愛やこだわりが伝わってきました。セットリストについてはどのように考えられましたか?
「曲それぞれにはクラシックとの親和性がある曲とない曲があって、その中でより親和性の高い曲をピックアップしていって構成した。もちろん、ボク自身が元々クラシックを嗜む人間だったこともあり、親和性が高い曲が比較的多いのは事実としてあるけど、無理矢理なアレンジになってしまえば本末転倒だし、やっぱり観に来てくれる人たちが心震えて、鳥肌が立ちっぱなしになって“音楽ってこんなにすごいんだ”と、涙を流すくらいの感動がないと、ボクがステージに上がる意味がない」
――ご自身の楽曲を今回のアレンジで歌うことでの新たな発見はありましたか?
「どちらかというと、やはりロックにはロックの届けやすい歌い方が存在しているということを明確に感じた。〈LAST SONGS〉は、小さい時は本当に囁くような歌い方をして、出力を上げる時は限界の80%ぐらいまで上げたりするんだけど、〈魔王シンフォニー〉のようにあれだけの量の音があるステージでは、出力差をそこまでつける必要はない。大体50%らいから75%ぐらいまでを常にキープするような出力だった。ボクは抑揚をつけて歌いたいタイプだから、“こっちのほうが音が抜けるな”とか、“こっちのほうが届くんだな”というのをあらためて確認できたライヴだった」
――そして、「Four Seasons」の最初の3曲(「白露 -HAKURO-」「暁月夜 -DAY BREAKERS-」「サクラ、散ル…」)ではタクトを振られました。以前にご経験は?
「指揮をするのはこれまでしたことがなかったし、今回ステージに立つ時も一切練習はしていない」
――えぇ…?
「これはボクの勝手な考え方なんだけど、リハーサルで合わせる時に、手を動かして皆とグルーヴを合わせることは普段からやっていることであって、ボクが指揮者として上手く指揮が振れることよりも、ボクが普段リハーサルでどうやって皆とグルーヴを合わせるために体を使って表現しているか、をファンに届ける方が意味があるのではないか、と思って。今回は自分が普段リハーサルでやっていることを普通にやっただけ。だから、指揮者として、それが上手いかどうかなんてボクにはよくわからない。ただ、ボクは“こうやったら演奏者に伝わる。ここはもっと感情を大きく出してほしい、表現してほしい”とそれぞれの楽器に伝えることを指揮台の上でやっただけ。リハーサルと何が違うかと言われたら、指揮棒を持っているか持っていないか、それぐらいの違いだよ」
――今回のライヴCD、GACKTさんはマスタリングの音源などは聴かれましたか?
「それはまだ聞いてないけど、演奏し終わった後の音をあらためて聴いたら、“これ、スゴいな”と感動した。ミックスしていない状態ではありえないほどの仕上がりだった。あれだけリハーサルを詰めて、全ての出力を考えて、PAが操作しなくても済むようにやった結果、ここまで音がまとまっている。それをさらにもう一度リミックスするわけだから、それはかなりクオリティが高いものに仕上げられる」
――この〈魔王シンフォニー〉を他のオーケストラの皆さんや他の会場でも展開していきたいというお話をされていますが、その意図と、今後の見通しについてお聞かせいただけますか?
「先進国、例えば日本だけで考えたとしても、ほとんどの県には、公営のものを含め様々な形態のオーケストラがあるんだけど、コロナ禍以降、オーケストラの存続が難しくなっているところも残念ながらある。今回、様々な場所のオーケストラと一緒に作っていきたいと願う一つの理由は、演奏がある一定のレベルを超えていることはもちろん最低条件ではあるんだけど、それ以上に“一緒に世界観を作りたい”という人たちと一緒にやっていきたい。ただ乗っかって“はい、やりました”だけでは良いものはできないし、今回のように、一緒に作っていくことの意味がたくさんある。ロックとクラシックは同じ音楽というものではあるけれども、ジャンルの隔たりが非常に強い。ロックが好きな人はクラシックを聴かないし、逆もそう。でも、ロックとクラシックが本当の意味で融合し、アンサンブルになった時、クラシックの人たちは“こんなの聞いたことない”と、なるだろうし、ロックしか聴いてこなかった人たちは“クラシックってこんなにすごいんだ”という橋渡しになる。それはお互いのジャンルにとって非常に意味のあることだし、演奏することが素晴らしいことだと思ってくれる人が増えれば増えるほど、音楽マーケットは広くなっていくから、ボクらのような歳をとったミュージシャンが、そのきっかけを届ける担い手にならなければいけないと思うんだよ。自分がやるべきことの一つとして、やっていかなければいけない年齢になったのかな、と思っている」
取材・文/日詰明嘉